ちゃぶ台の真実
「クジョウ――メモリの件、本当にありがとう」
「いやいや、お礼はさっき聞いたから――」
十分だよ、と言い掛けた俺をメノウは片手で制した。
「アリシアは応接間にいたでしょ」
「え……うん」
「どうしてか分かる?」
「……ヴェスパは、アリシアさんが成果を出した場所だからって言ってたような……」
メノウは頷いた。
「そう。俺があっちの世界から帰ってきた後、ラボの再編話が出たんだ」
「え?」
ラボ――アリシアさんが部長を務め、メノウやヴェスパが所属している研究調査部。
再編とはどういうことだろうか。そもそも、設立後間もないネスタ社で、既に部署再編の話が出るなんて、あまりにも早すぎやしないか。よっぽどのことでもない限り、まずは組織の動きを見る時間が必要だと思うのだが。
「……よっぽどのことがあったんだよ」
困ったような顔でメノウが言う。
「俺は、誤って渡航して何もしないまま帰ってきたことになってる。メモリを落とした件はアリシアたちにも言ってなかったし、ランドルが石を持ち出したことも、ヴェスパと無効化プログラムを作っていたことも内緒だったから。実際、ずっとメモリを探してただけだから、何もしてないのと同じなんだけど……俺の前に渡航したランドルは、報告書が壊滅的だった」
たしかに、ランドル先輩の渡航記録は、とても読み解けたものではなかった。俺があの暗号を解読できたのは、あちらで同じ目に遭ったからだ。渡航記録は、読む者にあちらの様子を伝えるものでなければ、意味がない。ネスタ社は、あちらの世界を見極めるために設立されたのだから。実際、渡航の記録を正確に残したいという意図で、俺は雇用されている。
「あちらの世界の調査――その中心を担うのがラボの役割だ。でも、渡航したラボメンバーの記録は使えないし、一人はそもそも何もしてない。研究調査部に任せて大丈夫なのかって意見が社内から出たんだ」
「そうだったんだ……」
「……俺は前の職場を一日で退職した。他人と一緒にいるのが苦手で――話をしようとすると、喉がつっかえたみたいに気持ち悪くなって……でも、ここは違った。だって同僚がどう見たって子どもなんだよ。なんていうか、人と上手くやらないとって緊張してたのが、バカバカしくなったんだ。そうしたら、自分でも驚くほど息がしやすくなって――」
最初に会ったときから、メノウとの会話で違和感を覚えたことはなかった。すごい形相ではあったけど。
ネスタ社の環境がメノウを変えた――否、本来のメノウを取り戻したのだろう。
「ヴェスパとランドルは、どう考えたって他のラボには移れない。学院への入学は任意だけど、職に就くには早すぎるから……どこも採用してはくれないはずだ」
この国では、初等部から俺が修了した高等部までの教育体系の上に、アリシアさんやキリハラさんが通っていたアカデミーがある。元は複数の小国だった頃の名残りで、今も独特な文化圏が形成されているため、教育機関への入学は必須ではない。文化圏や家格によっては、学院に通わず、教会や町長の屋敷が開放されていたり、家庭教師を付けたりしている。
だから、既に得意分野で才能を開花させているヴェスパやランドル先輩が、学院に通っていないことは問題ないのだが、就労となると話は異なる。家の手伝いで店番をしている子どもを見かけることはあっても、会社や研究機関に所属しているのは極めて稀だ。よほど上流階級の出身か訳アリでもない限り、いくら優秀でも、子どもは雇用しない。
「国が豊かになったら、子どもを働かせる必要はなくなっていくから……ここでは二人とも好きなことを自由にやってるし、働いてる感覚はないんだけど」
ヴェスパは食事付き、ランドル先輩にいたっては、ねんね付きだ。
二人がネスタ社のラボを職場と認識している感じはない。むしろ、家のような感覚なのではないだろうか。
だが、ネスタ社を離れることになれば、そうはいかない。
「……ここがなくなったら、俺たちには行く場所がないんだ。いきなり会社を追い出されることはないだろうけど、組織が再編されたら、今のままではいられない。俺は人見知りのあがり症に逆戻り、ヴェスパとランドルからは自由がなくなるかもしれない」
「うん……」
「みんな気が重かった。でも、アリシアが言ってくれたんだ。ラボは再編なんてさせない。部長の自分がなんとかするって」
「アリシアさんが……」
たしかに、ラボメンバーを大切に思っているアリシアさんならば、ラボの危機に手をこまねいているとは思えない。窮状を脱するべく、自ら動くはずだ。
「再編の話が出たのは、ラボが異世界を把握する役に立っていないからだ。だったら、ラボに新しいメンバーを――記録のできる人間を入れればいい」
「え」
「雇うなら、少しでも会社に興味を持ってる人間がいい。幸い、ネスタ社には取材の交渉がたくさん来てたから――その中から、力になってくれる人を探すことにしたんだ。でも正直、ジングージに石を盗まれた後だし、みんなもうジャーナリストには関わりたくないって思ってた……だけど、俺たちには、異世界で見たものを正確に伝えることはできない。ジャーナリストの力を頼らないと、ラボを守ることはできなかったんだ」
ネスタ社が唯一、取材を受けたジャーナリストが、ジングージだった。だが奴は社内で窃盗を働き、しかも、奪った石についての記事を書いた。ジャーナリストが信じられなくなっても仕方がない。
ランドル先輩の関与を知っていたヴェスパとメノウは、なおさらだったろう。
そんなとき、キリハラさんが俺のメールを見つけた。
ゴードン・ライト御中。ただ、消し忘れただけだったのに。
「クジョウをネスタ社に呼ぶことになって、アリシアが言ったんだ。すごい人がいるって――この人が来てくれれば、みんなの居場所はきっと大丈夫だって」
「……そんなことになってたんだ……」
専属契約を持ち掛けられたとき、思わず「すみません」と言ってしまったことを思い出す。アリシアさんの呆然とした顔、キリハラさんの落ち込みよう。
二人はあのとき、ラボの命運を懸けていたのだ。
「アリシアはすごい気合いが入ってて、ニホニアの書物に片っ端から目を通してた」
「……まさか……」
「なんだっけ、チャブダイ? アリシアがこれしかないって言いだして、ラボのみんなで作ったんだよ。キリハラは最初からずっと反対してたけど、結局仕上げまでやってた」
ニホニアは、祖父母の代まで俺の一族が暮らしていた小国で、半世紀ほど前に統一され、現在はこの国を構成する文化圏の一つだ。
――クジョウ様の文化圏では、親しき者がこの台を囲むのだと文献にありました。ぜひともクジョウ様と親睦を深めたい――このおもてなしで、我々の気持ちを表現するため、研究調査部に特注で作らせたのです。
俺をもてなすため、一生懸命考えてくれたとは聞いていたが、まさか、あのまんまるフォルムにそれほどの想いが託されていたなんて。
「クジョウが来てくれて、みんな本当に感謝してる。ラボを救ってくれた」
「いや、そんな――」
むしろ、敵対しているジングージの存在が背中を押したとは言えない。
「再編の話はもうなくなったの?」
「うん。クジョウの渡航記録、評判がいいんだよ。警備部のヤンセンなんか、ロマンス小説の新刊よりも次を楽しみにしてるって聞いた」
「そ、そう……それはよかった」
キリハラさんに母親のようなことを言い、筋肉隆々のマッチョを従え、ロマンス小説を嗜む――要素が多い。ヤンセン部長の想像図が定まらない。
「クジョウ」
メノウが改めて俺を見据えた。
「アリシアはあの部屋でクジョウを仲間にした。あそこはアリシアにとって、部長としてラボを守った――成果を出した場所なんだ」
「……だからあの部屋にいたのか」
ランドル先輩が石を持ち出したと聞いたアリシアさんは、応接間にいた。
保護者として、部長としての自分に自信を失いかけていたから、ラボを救った場所――部長として成果を出した場所に足が向いたのだろう。
「クジョウにはラボを救ってもらった上に、俺が無くしたプログラムも取り戻してもらった。期待ばっかりで悪いけど――クジョウなら、ジングージに勝てる。石とランドルの宝物を取り戻してくれるって勝手に信じてる。きっと、みんな同じ気持ちだ」
「……ジングージに勝てる……」
大企業創業者兼会長のご令孫で、出生から人生を約束されていた男。
ガチガチに緊張した背中をじいちゃんたちに叩いてもらい、気合いを入れて臨んだ採用試験は、俺だけが落ちた。試験会場にいた連中は、試験前から既に受かったものとして奴に接していたし、ダメに決まっているという目で俺を見ていた。
盗んだ石の記事とはいえ、かたや、とんでもない発行部数を叩き出したジングージと、ジャーナリストにすらなれなかった俺。俺は、奴と同じ土俵にすら立てなかった。
ジングージに勝てる。
あの試験会場で、奴と並んだ俺を見て、誰がそんなことを思うだろうか。俺自身ですら、受ける前から自信を失っていた。
でも、ここでは違う。
メノウは俺に期待してくれている。メノウだけじゃない。ヴェスパも、ランドル先輩も、アリシアさんも、キリハラさんも――みんな、俺に期待してくれていた。
そして、今も。
「その通りです。クジョウさまがあのようなクズに劣るはずがありません」
「アリシア、口わりぃぞ」
「どちらにも同感です。ところでアリシア、社長と話はついたのか? 捜査機関に協力を依頼する手筈は――」
「はい。その件で社長がヴェスパを呼んでいます。後ほど伺いましょう」
「分かった」
「……ねぇ、ランドル寝てるから、もうちょっと静かに――」
「そうです」
パン。
廊下側から現れたアリシアさんに、研究室から出てきたヴェスパとキリハラさん。
一気に賑やかになったラボで、アリシアさんは注目を集めるように両手を叩いた。小気味よい音が響く。
「だから静かにって」と呟くメノウを無視し、アリシアさんは全員の顔を見渡して、言った。
「みなさん、ご着席ください。ラボミーティングの時間です」
アリシアさんの言葉を合図に、全員が手近な椅子を引いた。
猫足くん。
重厚感溢れる天板が、いつもより輝いて見える。立派な脚を可愛く変身させられた猫足くんが、初めて本来の使われ方をした瞬間だった。
なぜか俺が泣きそう。




