作戦会議
ヴェスパの研究室は、大方想像していた通りの部屋だった。研究室らしさはどこにもない。
床には物が散乱していて、複数のディスプレイモニターの前には、見たことのない数のキーが配置されたキーボードが置かれていた。まるでハッカーの根城である。とにかく薄暗い。
「適当に座ってくれ」
「う、うん」
「……大丈夫、座る場所ないから」
思わず部屋を見回すと、メノウが淡々と言った。座る場所どころか、足の踏み場もない。
モニターの前に陣取ったヴェスパの横にメノウが立つ。メノウに倣い、俺も少女が座る回転椅子の隣に移動した。
「プログラムは――よし、使えそうだな。完璧だぜ。このままいける」
モニターの一つに、膨大なプログラム言語が流れるように表示される。
ランドル先輩お手製のUSBメモリは、異世界と洗濯機の荒波をものともしていなかった。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「それをどうやって使うの?」
「コーラルホテルの通信サーバーに送り込むんだ。簡単に言えばウイルスだな」
「それで監視カメラを無効化する……」
「カメラだけじゃないぜ。至るところに盗聴器、天井と壁にはX線装置までついてやがる。中にいる奴は漏れなく全員丸裸ってわけだ」
さすが諜報のパスティアである。これで保養施設と謳っていることが恐ろしい。
しかし、ヴェスパとメノウは、パスティア自慢の監視システムをすべて無効化してしまうプログラムを作った。モニターに表示された文字の羅列――俺には一ミリを理解できないそれらが、二人の天才によって作り出された奪還作戦の生命線だ。
ウイルスを通信サーバーに送り込む。ヴェスパは簡単に言うが、セキュリティはかなり強固なはずだ。諜報活動で知られているということは、情報に特別な価値を置いているということだ。一片たりとも情報を盗ませる気はない。そのために、強いシステムと優れたエンジニアが守りを固めているだろう。
「問題はどうやってホテルの中に入るかだ」
だが、ヴェスパはそれでも脆弱性を見つけ出す。プログラムが完成した今、監視システムの無効化は未来の確定事項だ。ヴェスパにとって、パスティアのセキュリティなどあってないようなものらしい。メノウも同じで、諜報国が誇る通信サーバーへの侵入に関して、懸念などまったく抱いていない様子だ。
既に二人の会話は、ホテルへの潜入にシフトしている。
「監視が無効化されても、現場の警備員がいなくなるわけじゃないから――正面からは入れない。軍関係者もいる場所で、身分の偽装はリスクが高すぎるし」
コーラルホテルはこの国の建物だ。ただ入り込んだだけなら、捜査機関の厄介になるだけで済むが、戦時中にパスティア人を騙り、侵入したとなれば話は違う。パスティアの軍関係者に身柄を拘束されるだろう。この国の捜査機関には連絡すらいかないはずだ。そうなれば、命はない。
「気を逸らすようなことでもして、警備が緩んだ隙を突くか?」
「通信サーバーも攻撃された後だから……それ以上騒ぎが起きれば、かなり警戒されると思う。パスティア本国に報告されかねない」
「動きにくくなるか」
「サーバー攻撃だけなら、ホテル内は通常営業だろうけど」
スタッフも利用者も、自分たちが隅々まで監視されていることを知らない。監視システムが機能しなくなったとしても、ホテルで過ごす彼らには何の影響もないのだ。その状況で館内に制限をかけるのは賢明ではない。何か起きているのではと、疑う者が出てきてしまう。
コーラルホテルはただの保養施設だからこそ、パスティアが監視を行うメリットがある。利用者に警戒されては、仕掛けが台無しだ。だから、メノウの言う通り、サーバー攻撃――監視システムが一時的に無効化されたとしても、ホテルは表向き、通常通り営業するだろう。
「正面以外で出入りできそうな場所を見つけないとか……」
正面には警備員がいる。パスティア人でない俺たちは、正々堂々と入館はできない。
かといって、騒ぎを起こして人目を引き付けるのも論外だ。十中八九、サーバー攻撃と結び付けられて、パスティアに敵意があると思われてしまう。
俺たちの目的は、ウンディーネの守り石とランドル先輩の宝物を取り戻すことだ。
敵はジングージ。パスティアにケンカを売りたいわけではない。戦時中の国家を刺激するような真似は、できる限り控えるべきだ。
「ホテルの間取りって分かる?」
正面がダメなら、他の出入口を探すしかない。
ヴェスパは頷き、別のモニターに間取り図を出した。
「正面以外だと入口は三ヵ所だな。東はスタッフ出入口――そのまま駐車場に出る。西はバーのテラス席から中に通じてる。裏口はゴミ出しと搬入口を兼ねてるみたいだ」
さすがは一国の保養施設なだけあって、ホテルは利用客の幅広いニーズを満たすように設計されているようだった。テラス席を有するバーの他にも、トレーニングジム、屋内プール、観劇場、ダンスホール、遊戯室、射撃場、カジノなどなど、利用客を退屈させない施設が目白押しだ。
「二階以降は客室にベランダがあるけど……上からは厳しいか」
メノウが言った。
「入りやすいのはここだろうな」
ここ、とヴェスパが裏口を指す。
たしかに搬入口ならば、出入りの業者に紛れて中に入ることもできそうだ。
「その赤い場所はなに?」
三階最北の客室が赤く色塗りされている。
ヴェスパは吐き捨てるように言った。
「ジングージが滞在してる部屋だ」
「……石はそこにある」
「あぁ。ランドルの写真もここにあるだろうぜ。アイツにとっちゃ、御守りと呪いみてぇなもんだからな。大切に持ってるはずだ」
御守りと呪い。
ランドル先輩が石を取り返しにきても、ジングージは写真を盾に、断ることも逃げることもできる。だが、その写真がジングージの手元にあるということは、奴がランドル先輩から写真を奪い、そして脅した事実の証拠でもある。
ジングージにとって、ランドル先輩の写真は諸刃の剣だ。だからこそ、自身の目が届くところに――コーラルホテルの一室に持ち込んでいるはずだ。
「裏口から入って、奴の部屋に――ん?」
「……搬入口は無理かな」
間取り図を見ながら潜入経路を検討していた俺は、指を止めた。メノウも眉間に皺を寄せている。
裏口はゴミ出しと搬入口を兼ねている。ホテルのゴミを出すのも、搬入車両から下ろされた荷物を引き取るのも、スタッフの仕事だ。つまり、裏口にはスタッフ通路が通じている。
そして、スタッフ通路から客室側に抜ける出入口にはすべて、小さなカギのマークがついていた。
「ホテルスタッフの認証だな」
ヴェスパが溜息を吐いた。
「セキュリティは切れるが――」
「やらない方がいい。セキュリティが働かなかったらホテルスタッフは問題にするだろうし、パスティアの諜報部がそれを知って、サーバー攻撃と結び付けないわけがない」
俺はメノウの言葉に頷いた。
潜り込んだ人間を捕まえるまで、パスティアの追跡は終わらないだろう。
ホテル内で、あと一つでもいつもと違うことが起きれば、国際問題に発展する。俺たちはそんな瀬戸際で、奪還を試みなければならないのだ。
「認証が必要ないのは、バーのテラス席か……」
搬入口と同じ理由で、東側のスタッフ出入口も使えない。
唯一、認証がないのは西側だ。バーから客室に戻るのは、ほとんどが利用客だ。スタッフの認証はない。利用客の多い時間帯を狙えば、他の客に紛れることもできるだろう。
「他にいい手は思い付かないし――」
西側で決まりと言い掛け、俺は言葉を切った。
コーラルホテルに潜入するのは、俺だ。
証拠隠滅に加担したヴェスパは、処遇が決まるまでネスタ社を離れるわけにはいかないし、メノウは目がよく見えない。今の眼鏡では六割しか見えていないようだし、特注の眼鏡が届くまで待っているわけにもいかないだろう。
だから、俺が行くしかない。
「……それなら……」
俺は今まで、自分以外の人間が潜入するつもりで、経路を検討していた。だが、これは他でもない、俺の仕事なのだ。
俺がホテルに潜入し、ジングージから守り石と写真を取り返す。
「あ、あのさ、潜入は俺がするってことでいいよね……?」
「……そうだね」
メノウはハッとした顔でヴェスパを見遣り、申し訳なさそうに言った。
この状況では他に選択肢がないことに気付いたようだ。
「ごめん」
「いや、いいんだ。むしろ俺に行かせてほしいんだ」
「え……」
「俺に考えがある」
ホテルへの潜入は何とかなると思う。
目を丸くしたヴェスパとメノウは顔を見合わせ、頷いた。
「……分かった。クジョウ、よろしく頼むぜ」
「うん」
「私も混ぜてください」
「キリハラさん……」
突如聞こえてきた声に後ろを振り返れば、薄暗い部屋に光が差していた。
ドアを開けた入口に、なんだか吹っ切れた様子のキリハラさんが立っている。
「ゴードン・ライトへの報告が終わりました。結論はシンプルです。何としても守り石を取り返し、歪みを抑え込むこと。アリシアと社長は捜査機関への依頼を検討していますが、やはり時間が掛かる見込みです。我々は異世界の秘密を守る者――ネスタ社として動かなければなりません。ゴードン・ライトの命により、何としても盗まれた品々を取り返すのです」
「品々を……」
「はい。もちろん、ランドルの宝物も」
「……キリハラ」
ヴェスパが立ち上がり、入口まで歩いていく。
自信なげに丸められた小さな背中。少女の視線は足元を見つめている。
「防犯カメラ映像を消去したと聞きました」
「……あぁ。オレがやった」
「ランドル一人を悪者にはしなかったのですね」
「え……」
「よく頑張りましたね。今日は醤油ラーメンでどうですか」
「……うん」
ヴェスパがゆっくりと顔を上げる。
「……麺かため」
「もちろんです」
涙の溜まった瞳をキリハラさんが優しく拭った。
メノウと目が合う。
「……ヴェスパ、やっと泣けた」
よかった。俺たちは声に出さず呟いた。
長身のキリハラさんが膝を曲げて向き合っているのは、天才ハッカーでもランドル先輩の姉貴分でもない。どこにでもいる一人の少女だ。
張り詰めたものが緩んだのだろう――泣きじゃくる少女をキリハラさんに預け、俺とメノウはそっとヴェスパの部屋から退出した。




