探し物の行方 その一
ヴェスパとランドル先輩の話を報告するため、社長室に向かったアリシアさんと別れ、俺はひとまず、ラボに戻ることにした。
ノーム救出の疲れは癒えていないが、このまま狭小アパートに帰る気にはなれなかった。帰ったところで、ゆっくり休めそうにもない。
ジングージへの怒り、そして、あちらの世界に通じる歪みが生じていること。
小心者のクジョウには、心がざわつくことばかりだ。夢見が良いとはとても思えなかった。
それに、ランドル先輩とヴェスパの様子も気になる。
しっかり者ではあるが、ヴェスパもまだ子どもであることに変わりはない。友人のために証拠の隠滅に協力した――心優しい彼女にとって、その行為は少なからず心に負荷をかけているはずだ。
スライドドアを潜り、ラボに入る。
「おつかれ」
「……メノウ?」
共有スペースに立っていたのは、深紫のどこかアンニュイな青年――メノウだった。
今日は修羅の顔をしていない。四角いフレームの眼鏡を掛けている。二度目の対面にして、初めてメノウと目が合った瞬間だった。
「眼鏡届いたんだ」
よかったと声を掛けると、メノウは首を横に振った。
「え?」
「注文したのはまだ届いてない。でもさすがに不便だから、昔使ってたのを引っ張り出してきたんだ。見えてるのは六割くらい――ないよりはましかな」
「そうなんだ……」
クジョウの顔は六割に含まれていたらしい。それだけで十分だ。
「ヴェスパはランドルを寝かしつけてる。さすがに今日は一人で眠れないみたい」
「……そっか」
母との思い出を奪われたランドル先輩は、小さな身体で必死に戦っていたはずだ。
ジングージに手渡した石が精霊の守り石だと知ったとき、大事に祀れば加護があると聞いたとき、どんな気持ちだっただろう。大変なことをしてしまったと自分を責めたに違いない。否、写真を取られ、ジングージに手を貸した瞬間から、きっと自分を責め続けていただろう。
ヴェスパを巻き込んでしまったこと、本当のことを言えないこと。
そして今日、アリシアさんに知られたことで、幼い心は限界を迎えたはずだ。一番心配を掛けたくなかった人を傷付けてしまったから。
でも、アリシアさんはもう大丈夫だ。ランドル先輩を見守っているのは、アリシアさん一人ではない。アリシアさんはもう、そのことを知っている。
「起きてきたら、アリシアさんに褒めてもらわないと」
ランドル先輩は一人で抱え込まず、ヴェスパに相談できたのだから。
「クジョウのお手柄だね」
パチパチパチと、メノウが小さく手を叩く。
「え、いや――」
「さんきゅーな」
「ヴェスパ……」
聞こえた少女の声に振り返ると、ランドル先輩の部屋のドアを静かに閉めたヴェスパが、軽い調子で片手を挙げた。
「ランドル寝た?」
「あぁ。ロケット握って寝た」
母と写った唯一の写真――今はそこにはない宝物。それでも、ランドル先輩にとっては精神安定剤なのだ。
空のペンダントを握る幼子の心中は、察するに余りある。母との思い出を必ず取り返さなければならない。
「アリシアは社長室か?」
「うん。二人の話を報告しに行ったよ」
「そっか。オレはクビかな」
「……ジングージの仲間じゃないんだから、それはないでしょ。むしろ、社内にアイツの仲間はいないって分かってよかったんじゃない」
戯けたように肩を竦めたヴェスパに、メノウは素っ気なく返した。
平気そうに振る舞ってはいるが、ヴェスパだって不安でないわけがない。態度とは裏腹の励ますような言葉に、メノウの優しさが表れていた。
「メノウも知ってたの?」
「うん。石を取り返したいってヴェスパに相談されて……」
「写真もな――あの野郎、ランドルの写真を保険に使ってやがるんだ」
ヴェスパが苦々しく言った。
ジングージは石を持ち出すために、ランドル先輩の宝物を利用した。
奴は目的を達成し、まんまとウンディーネの守り石を手に入れたわけだが、ランドル先輩のロケットペンダントは空っぽのままだ。写真は今もジングージが持っている。
「ランドルに写真を返せば、アイツの立場は一気に危うくなる。俺たちに石の奪還を躊躇う理由がなくなるから」
「だから写真を返さない……」
メノウが頷いた。
コーネリアさんとランドル先輩の思い出は、ランドル先輩が幼い手を汚してもなお、ジングージに利用されているのだ。
「だから、アイツが写真を返すのは、自分の安全が確保されたとき」
「安全って……」
「石は今、コーラルホテルにある」
「うん……?」
聞いたことのないホテルだ。
もっとも、俺が知っているのは、ジャーナリストもどきが取材のためと称して夜を明かせる安宿と、各界の著名人が入れ替わり訪れる星付きくらいのものだが。
「表向きは一般的な観光ホテルだよ。でも、実態は隣国――パスティア人のための保養施設だ」
「隣国の?」
「そう。それに、ジングージ本人も宿泊してる」
大企業創業者兼会長のご令孫が――?
その恵まれたステータスを惜しみなく利用してきたような奴が、なぜわざわざ、キナ臭い隣国に縁ある場所に滞在しているのか。奴が望めば、それこそ星付きのホテルにいくらでも宿泊できるだろう。
「……まさか亡命しようとしてる?」
にわかには信じられない話だが、幼いランドル先輩を卑劣な手段で脅してまで、欲しいものを手に入れるような奴だ。我が身かわいさに何をするか分からない。
ヴェスパが頷いた。
「パスティアは戦争やってる最中だからな。石が向こうに渡れば、追跡するのは難しい。それに、アイツの罪が明らかになったとしても、この国とパスティアの間には、引き渡しの協定がねぇんだ。亡命しちまえば、それでおしまいだ。アイツを捕まえることはできねぇし、盗品だろうと国境を越えた時点でパスティアのもの――タダでは取り返せねぇ」
「……ホテルが最後の砦か」
国境を越える前――つまり、コーラルホテルで取り押さえなければならない。
ジングージの身柄も、ウンディーネの守り石も。
しかし。
「ホテルに入るには身分確認が必須なんだ。パスティア人でなければ、まず入れない」
「パスティアの軍人も利用するホテルだからな。中の監視もかなり厳しいぜ」
「その状況でどうやってアイツの動向を把握するかだね……」
ネスタ社にパスティア出身の人間はいないはずだ。
この国にはパスティアから亡命してきた移民もいるが、国同士の関係性が良好であるとは言えない。ヴェスパが話していたとおり、両国の間には、引き渡しの協定も締結されていない。敵対国ではないが、決して友好国でもない――それが現在の関係性だ。
ネスタ社は異世界の入口を所有している。この国でも一部の人間しか知らない秘密を抱える企業に、パスティア出身者を雇う理由があるとは思えなかった。
ゴードン・ライトは世界中に散らばっているが、彼らの関心は「世界にとっての有事」だ。一国の利益のためには動かないし、不要な小競り合いも望まないだろう。他国の人間をネスタ社に入れれば、国同士で政治的な駆け引きが始まることは目に見えている。
だから、ネスタ社にパスティアとの関係性はない。しかし、パスティア人でなければ、コーラルホテルに入り込むことはほとんど不可能だ。
外から見ているだけでは、ジングージと石の動向を把握するのは難しいだろう。
「ホテルの中は無理でも、パスティアの中ならできるぜ」
「え?」
「石がパスティアに持ち込まれたかどうかは分かる」
「どうやって……?」
コーラルホテルはこの国にあるにも関わらず、パスティア人以外の出入りは厳しく制限され、俺たちが中の状況を知るのは難しい。ましてや、隣国パスティア内の状況など、どうやって監視するというのか。
「サザモフのおっさんだよ。おっさんは今、パスティアにいる」
「あ」
フィールドワークで隣国に行っているという、ラボメンバーの一人――サザモフ。
彼がパスティア内部から、石の動向に目を光らせていたのだ。
「ブラックマーケットにも伝手があるらしいんだ。いくら引き渡しの協定がなくても、この国の盗品を堂々と売買するわけにはいかないでしょ。だから、石が持ち込まれたらまず、ブラックマーケットに流れる。サザモフからの連絡では、石はまだパスティアには持ち込まれていないし、ジングージがパスティアに入った記録もないって」
「だからまだ追える。今のところはな」
「……そうだね」
ヴェスパは「今のところ」を強調するように言った。サザモフさんの協力のおかげで、守り石がまだコーラルホテルに――この国にあることは分かっている。
しかし、油断はできない。パスティア人向けの保養施設に宿泊している時点で、既にジングージには隣国とのパイプがあるはずだ。今はまだ留まっているが、今こうしている間にも、パスティアへの亡命計画が動き出すかもしれないのだ。
「ホテルにはどのくらい滞在してるの?」
「ひと月ちょっとだな。クジョウがうちに来る少し前からだ」
「そんなに長く……?」
「……半分は娯楽なんだよ」
メノウが吐き捨てるように言った。
ヴェスパが続ける。
「ネスタ社の動きはジングージには分からねぇからな。あれが守り石だってことも、今まさにゴードン・ライトが集まってることも知らねぇ――まぁ、ゴードン・ライトが一人じゃねぇってことも知らねぇけど。とにかく、あんな記事を載せた以上、石を盗んだ犯人だってバレてることは分かってても、オレたちがいつ取り返しに来るかまでは分からねぇ。いざとなったら石もろともパスティアに亡命する腹だが、それまでは休暇がてら、優雅に鑑賞するつもりなんだろうぜ」
「……いざとなったら、ね」
元は取材に訪れたネスタ社で盗みを働き、自分の欲求のために他人を傷付けておきながら、随分と余裕なものだ。介入の難しい安全圏に滞在することで、反撃を防げるとでも思っているのだろうか。
否、コーラルホテルもこの国にある以上は、絶対安全ではない。ネスタ社が証拠を固めれば、捜査機関がホテルに踏み込む可能性は十分にある。
だが、奴はきっと、そう思っていないのだろう。
捜査の手を逃れるためには、いっそのことパスティアに入ってしまう方が安全だ。しかし、パスティアは別の隣国と戦をしている。そんな環境に身を置くことは考えられない。
そして、ランドル先輩の宝物が自身の手にあるうちは、自分は安全だと信じている。ランドル先輩が新たな傷を負いながら、勇気を出して罪の告白をするとは思っていないのだ。
ホテルに滞在していることすら、どこまで本気で危機感を持っているのか、分かったものではない。本当にいざとなれば、キナ臭い隣国に亡命するよりも、偉大なる祖父に縋るのではないだろうか。
メノウの言う通り、これは奴にとって、スリルを楽しむ娯楽なのだ。
「……ホント、どこまでもナメた野郎だよ」
ヴェスパとメノウが目を見開いて俺を見た。
「クジョウ……」
二人が驚くのも無理はない。
創業メンバーには負けるだろうが、入社してからこの短期間の間に、俺は随分とこの場所を――ここで働く彼らを気に入ったようだ。ジングージに本気で怒りを覚えるほどに。
「口わりぃな」
「そこ!?」
ヴェスパには言われたくない。




