知るべきこと その二
「バカなことをしたものね」
「フレイア……」
「銀貨の流出はかわいそうだけど、だからって強奪が許されるわけないじゃない。おまけにわたしを騙して――お兄さまの洞窟でしっかり働くがいいわ」
フレイアは溜息を吐いた。
が、それに被せるように、ウンディーネが一回り大きな溜息を吐いた。
「そうじゃの。ゴブリンどもの理屈は到底成り立たぬ。しかし、妖精が愚かな考えに憑かれたとて、精霊が窘めればしまいじゃ。ゴブリンどもに祭を壊す力はなかった。里を燃やしたのはそなたじゃ」
「う……」
「よいか、フレイア。力を持つものは、その使いどころを間違えてはならぬ。そなたはもう少し、慎重にならねばのう」
「……わ、わたしが悪かったわ。ごめんなさい」
今回、フレイアはピクシーの里の一部を燃やしてしまったが、幸いなことに、ピクシーにケガをしたものはいなかった。俺のために羽根を毟ってくれた、通称重い女を除いて。
だが、力を持つものの在り様については、ウンディーネの言う通りだ。眷属最強種のドラゴンは力の使いどころを間違えて、ブラウニーの里を破壊した。妖精の世界が実力至上主義だけならば、お咎めはなかったのだろうが、この世界には精霊が――ウンディーネがいる。力なきものを巻き込むことは許されない。
フレイアは強い。ノームの縄張りでは、その力で俺を守ってくれた。力なきものを守るために力を振るう――フレイアにはそんな精霊になってほしい。ウンディーネのように。
と、力なきもの代表のクジョウの願いはどうでもいいとして、目下の問題は、ゴブリンの銀貨を流出させてしまった穴である。
「あっちに繋がる穴がある以上は、これからもゴブリンの銀貨――小さなものは、向こうに出て行っちゃうってことだよね……」
しかも、ウンディーネは、今のところ人間や妖精は出入りできないと言った。つまり、歪みはこれから大きくなる可能性が高いのではないか。
「手を打たねば、そうじゃの」
「手があるの!?」
一度バランスが崩れれば、二つの世界の引力は日に日に強まっていくだろう。
この世界で地震が頻発し、あちらの世界に妖精の品物が――最終的には、妖精や幻獣本体が出現するようなことがあっては、大変だ。手が打てるのであれば、打っておきたい。
「釣り合いを元に戻せばよいのじゃ」
ウンディーネは事も無げに言った。
釣り合いが変わったのは、二つの世界を行き来する存在が――俺が現れたからだ。
「……てことは、渡航をやめれば元に戻る――?」
「それはない。そなたはきっかけを作りはしたが、引力とやらには入っておらぬ」
俺が転がしたボールは既に、俺の手を離れているということか。今さら俺が手を引っ込めたところで、ボールの動きは止められない。
「じゃあ、どうすれば……」
「こうなることは分かっていたと言ったじゃろう。我らは既に、そなたに策を授けておる」
「え?」
「クジョウ、それじゃ」
ウンディーネはまたしても、俺のポケットに目を遣った。ゴブリンの銀貨が入っていたのと同じポケットだ。歪な形に膨れている。
土蔵から助け出したノームが、去り際に授けてくれたもの。
「……守り石?」
「さよう。精霊の加護が釣り合いを保つ。此方には我らがおるゆえ、そなたの世界では守り石がその代わりを果たすのじゃ」
――クジョウ。我ら精霊の守り石には加護がある。
――悪いようにはせぬ。それはそなたの世界で祀っておけ。
シルフィードの守り石を手に入れたとき、ウンディーネはそう言った。
「こうなることを見越して……」
「加護は四体すべてが授けなければ発動せぬ。守り石は、四つ揃って初めて意味を成すのじゃ。しかし、そなたにすべてを託す前に衝撃は起きてしまった。少し遅かったの」
「……あ」
俺はフレイアと顔を見合わせた。
――ちと、のんびりしすぎておったわい。
ノームのあれは、そういう意味だったのだ。
「しかし、今からでも遅くはない。釣り合いが戻れば、そなたの世界に生じている歪みは消える。此方でも大地の唸りはなくなるじゃろう」
土の眷属が土の中で死ぬことはない。地震が発生したのはノームの縄張りだったから、妖精たちは無事だった。だが、次の地震はどこで起きるか分からない。もしも、ウンディーネの森だったら。サラマンダーの洞窟だったら。シルフィードの――ピクシーの里だったら。
そして、二つの世界がますます近付き、ついには妖精が通れるほどに歪みが広がってしまったら。あちらの世界でも、ケガ人が出るかもしれない。
しかし、守り石の加護があれば、今からでも二つの世界のバランスを保つことが――大地の唸りを止め、既に開いてしまった穴を塞ぐことができる。
ウンディーネとフレイアは俺のせいではないと言ったが、それでもやはり、俺が世界を行き来したことで、バランスが崩れてしまったことは事実だ。どうしても責任を感じてしまう。
守り石の力で、これ以上の被害は抑えられる。俺は心底ホッとした。
「よかった……」
「よいか、クジョウ。何度も言うが、守り石は四つ揃えることが肝要じゃ。離れてしまっては効果がない。必ず一所に祀っておくのじゃ」
「うん」
「そうと決まれば、そなたは一旦けろけろで戻れ。また大地の唸りが起きても面倒じゃ」
「うん……」
四大精霊の加護――守り石の力で、世界の釣り合いを元に戻す。
加護は四つ揃わなければ意味がない。
俺はこれからネスタ社に戻り、四つの守り石を一ヶ所に祀るため、保管室にノームの守り石を加える。そうすれば加護が働き、釣り合いは正され、衝撃は消え去る。ゴブリンの銀貨を流出させた穴は塞がり、大地の唸りも止まる――のだが。
「……あれ……?」
四つの守り石――?
「……ね、ねぇ」
「どうした、クジョウ」
「……俺、ウンディーネの守り石ってもらってないよね――?」
最初の渡航で、シルフィードの石をもらった。ドラゴンの里の帰り――仲良く一緒にウンディーネの激流に呑まれた後、サラマンダーは石をくれた。そして今、ポケットに重さを感じているのは、ノームの守り石だ。ウンディーネから石を授けられた記憶はない。
ウンディーネは珍しくキョトンとした顔になった。
「わらわの石は、あの小さきものに持ち帰らせたであろう」
小さきもの――?
「まさか、ランドル先輩――?」
「ナイアデスの膝で果実を頬張っておったものじゃ」
間違いない。
「う……」
「どうしたの、クジョウ」
「いや、ちょっと、劣等感と純情の間で」
それはさておき。
道理で俺の記憶にないわけだ。
ランドル先輩が持ち帰っているのなら、キリハラさんがしっかり管理しているだろう。ノームの石と合わせて、ウンディーネの守り石も一緒に保管室に入れてもらおう。少し手狭になるかもしれないが、世界の安寧を保つ守り石を祀るには、警備のしっかりしているあの場所が一番安全だろう。
「クジョウ。そなたはもっと自信を持つとよい」
「ど、どうしたの急に」
ランドル先輩に抱いた劣等感のことだろうか。ナイアデスのお姉さんと未だに会話すらできない俺に対して、初対面で麗しのお膝を独り占めした先輩には、どうやったって勝てる気はしない。
しかし、ウンディーネは静かに言った。
「そなたがいなければ、そなた以外の人間が此方に来ていたのじゃろう。しかし、その者がわれらの加護を集められたかは分からぬ」
「え……でも、ウンディーネたちはこうなることを見越してたんでしょ?」
だから人間の俺に、守り石を授けてくれていた。二つの世界の釣り合いを保つことは、こちらの世界を守ることにも繋がる。渡航を繰り返す人間が誰であれ、そいつに石を渡すことは、精霊の間で了解されていたことではないのか。
「それはそうじゃが――」
ウンディーネは、遠い目をして言った。
「わらわと翁はさておき、サラスとシルフが素直に加護を授けると思うか」
「……あぁ」
「お兄さまはないわね。気に入った人間にしか渡さないわよ」
悪口にも敏感だしね。
そして、シルフィードはサラマンダー以上に気まぐれで有名な精霊だ。守り石をもらった俺ですら、未だにその姿を見たことがない。
「そなたが身を挺してピクシーを救い、サラスの目に留まる人物であったがゆえに、そなたに授けられた加護じゃ」
「……俺に」
人間が異世界渡航を繰り返せば、このような事態に陥ることは分かっていた。それは、ネスタ社に選ばれた記録者が俺でなくとも、九分九厘、起こっていたことだ。けれど、それを元に戻す手立て――精霊たちが自身の加護を与えるかどうかは、記録者の人となりによる。
今でも、両親に打った青臭い演説は一ミリも取り返せていない。それどころか、今の俺の肩書きは特務社員――既にジャーナリストもどきですらない。中途半端どころか、スタートラインにすら、きちんと立てた気はしない。
それでも、二つの世界を守るための手立てを――精霊たちの加護を集めたのは、この俺なのだ。
自信を持て。
ウンディーネの宝石のような瞳が俺を見つめている。
「クジョウよ。水の精霊ウンディーネが乞う――」
美しさと強さを兼ね備えた笑みを浮かべ、主は俺の手を取った。
「我らの加護をもって、釣り合いを元に戻すのじゃ」
「……分かった」
そうして、俺はウンディーネに導かれるまま、左胸にセットした「今すぐカエルくん」を手に取り、腹を撫でた。
「頼んだぞ、クジョウ」
「しっかりね」
意識が遠のく前に見たのは、絶対的なオーラを放つサファイアブルーの大精霊と、少しだけ成長した橙色の準精霊の姿だった。




