洞穴の中 その二
ケット・シー王国の入口と、ゴブリンの棲家を隔てていた山。
その山の一部が崩れ、それを大地の管理者たる勤勉なドワーフが繕った。行動範囲の狭いゴブリンでも、あっという間に山向こうに到達できる抜け道――トンネルとして。
では、その山崩れを引き起こしたものは何か。
ドラゴンが来たと錯覚するほどの――まるで、近くに巨躯が着陸したかのような――大きな揺れ。
「地震だ」
視界に映るものすべてが揺れている。咄嗟に掴んだ木箱ごと、右に左に大きく身体が揺さぶられる。
ゴブリンたちの悲鳴とともに、俺の耳は嫌な音を聞いた。
本能的に分かるヤバイ音――山が崩れる音だ。
「クジョウ――!」
激しい衝撃とともに、身体が宙に投げ出される。
「うそ……」
俺の目は絶望的な光景を映し出した。
地面がない。ついさきほどまで俺を支えていた土が――投げ出された身体が叩きつけられるはずの地面が、遥か下に崩れ落ちている。
まさかこんなところで崩落に巻き込まれるなんて。
何の備えもなしに洞穴に入ろうだなんて、言うべきじゃなかった。そもそも、装備もなしに登山に挑んだのが無茶だったのだ。
慢心していたかな。
これは言い訳になるが、あちらの世界でなら、俺はこんな真似はしなかっただろう。山登りの経験はないが、過酷さは理解しているつもりだ。素人の自分が何の準備もなしに成し遂げられるとは思わない。
だが、こちらの世界では――否、妖精との遭遇にばかり気を取られ、自然への警戒を怠っていた。完全に俺の慢心が招いたピンチだ。
唯一幸いだったのは、連れがフレイアだったことだ。精霊に準ずる彼女は、炎化することができる。この崩落でフレイアが命を落とすことはないだろう。俺なんかの道連れにならなくてよかった。
漆黒の穴に足は着けない。俺の身体は成す術なく、地の底へと落ちて行く。
ガシャアァアン。
「……うっ」
下方から残酷な音が響いた。先に落下した木箱の潰れた音だ。
俺が同じ運命を辿るまで、あと少し。痛みに備え、俺は固く目を瞑った。
◇
「…………? あ、あれ――?」
「ケガはない?」
「フレイア――守ってくれたの?」
痛くない。それどころか、ほとんど無傷だ。
恐る恐る目を開けた俺は、崩れ落ちた地面の上に立っていた。橙色の炎から人型に戻ったフレイアが頷く。
「クジョウが水の眷属でよかったわ。咄嗟のことで加減できなかったから、生身だったらアンタも燃えてた」
「……あ、ありがとう。フレイアがいてくれて本当によかった」
「お、大げさよ。ただ包んであげただけじゃない」
「いや、それができるのはフレイアだけだよ。フレイアがいなかったら、俺は死んでた」
地面に叩きつけられる直前で、炎化したフレイアが俺の身体を包み込んでくれたようだ。
しかも、普通なら炎のベールで衝撃は免れても、全身火傷で命を落としていただろう。だが、サラマンダーの洞窟でも平気だった身体だ。ウンディーネの眷属になったおかげで、俺は少しの熱なら寄せ付けない体質になっている。
俺とフレイアの組み合わせだから、こうしてかすり傷で済んだのだ。
「ま、まぁ、お礼を言われるのは嫌いじゃないわ。でも、まさかこんなことになるなんて――」
フレイアは言葉を切り、片手を掲げた。フレイアの炎でも、上の様子を完全には照らせなかった。随分と下まで落ちてしまったようだ。
どうやら、宝物庫の下には、ぽっかりと穴のような空間が広がっていたらしい。さきほどのバカでかい揺れで地面が抜け、俺はその穴を真っ逆さまに落ちて行ったというわけだ。
洞穴整備の技術は素晴らしいが、ドワーフには耐震工事の知識が必要そうだ。
「ゴブリンは大丈夫だったかな」
ゴブリンに洞穴整備の技術はない。ドワーフのおこぼれをもらっているだけだ。きっと避難場所も設けていないだろう。これほど大きな揺れに耐えられただろうか。
「ゴブリンなら平気よ。土の眷属が土の中で死ぬことはないわ」
「そっか、よかった……」
抜けた地面とともに落下したのは俺だけのようだが、宝物庫の近くまで来ていたゴブリンたちの安否も気に掛かる。だが、土が支配するこの空間において、ノームの眷属が命を落とすことはないようだ。それなら一安心だ。
「とにかくここから出るわよ。その格好も何とかしないと……」
「……口の中にもちょっと入っちゃった」
着地の瞬間はフレイアの炎に包まれていたとはいえ、落下する際、俺は身体を土に呑み込まれてしまった。足の先まで真っ黒だ。
「ひとまず水辺に出るわ。どうせ今の炎でゴブリンたちは気付いたはずよ。まぁ、気付いたところで宝物庫もこの有様だから、しばらくは何もできないでしょうけど」
炎を使えば痕跡が残る。宝物庫に近付いたと知れれば面倒だから、洞穴の中では足を使って移動していたのに。俺を助けるために、フレイアは人型を解いてしまった。
土の眷属の例に漏れず、ゴブリンも宝には敏感だという。宝物庫自体が崩壊してしまった今、落とした宝を拾い集めるのが最優先だろうが、いずれはフレイアに矛先が向くかもしれない。
「ごめん、俺のせいで」
「どうして謝るのよ。クジョウを助けたのはわたしのためよ。アンタを死なせたら、わたしがウンディーネに消されちゃうもの。それに、最初にわたしを騙したのはあの子たちなんだから――噂をすれば、来たわね」
フレイアは目を細めて、上方を見遣った。
「おい、見ろ! 地面が抜けてやがる」
「宝は無事かぁ」
「下りて見てこい!」
遥か頭上から、ゴブリンの嗄れ声が響く。ドタバタと走り回る音が反響している。ゴブリンにドワーフのような整備はできない。どうにかして、落ちた宝物庫――つまりここ――に行こうとしているようだ。
それにしても、さすがは土の眷属である。この崩落を目の当たりにしても、肝が冷えるどころか、まずは宝の無事が気になるらしい。
「鉢合わせる前に出るわよ」
「うん」
フレイアの姿が揺らぐ。橙色の炎に変化しかけ、なぜかフレイアは再び人型に戻った。
「フレイア?」
フレイアは無言で、ほとんどの中身が外に散らばり、潰れた木箱を見つめている。
「え、ちょ、フレイア――!?」
フレイアは表情を変えず、かろうじて木箱に残されていた銀貨をひと掴みすると、その手を俺のズボンのポケットに突っ込んだ。
「欲しかったのよね? 持っていきなさい」
「ちょ、ちょっと――」
「遠慮しなくていいのよ! これは、ゴブリンがわたしに嘘を吐いたお詫びにもらっていくんだから」
「いや、うん、そうじゃなくて――」
「なによ」
「くすぐったいんだけど……」
布越しにフレイアの手が腿に当たっている。
「な――っ!」
フレイアの顔が見る見るうちに赤くなる。銀貨を俺のポケットに残し、ゆっくりと手を抜いた。
「……わざとじゃないわ」
「うん」
「い、行くわよ!」
「うん」
分かるよ。勢いで触ってしまった方が赤面するよね。
今度こそ橙色の炎に変化したフレイアは、俺を巻き込んで洞穴を後にした。




