洞穴の中 その一
洞穴の中は、薄暗いが、思いのほか整備された空間だった。
熊のねぐらのようなものを想像していた俺は、若干引けていた腰を何食わぬ顔で戻した。少なくとも、猛獣の棲家ではなさそうだ。
天井は高く、腰を屈めずとも歩いて通ることができる。自然の洞穴ではない。明らかに手が加えられていた。
フレイアが手元に出した炎を松明代わりに進む。
所々に、まだ柔らかい土の固まりが目に付いた。地面は均されているが、踏み固められてはいないようだった。やはりフレイアの言う通り、この洞穴は最近造られたもののようだ。
「ゴブリンかな」
この世界の洞穴は、たいてい妖精の棲家に繋がっている。このあたりで姿を目撃されている妖精は、ゴブリンだけだ。だが、フレイアは頷かなかった。
「ゴブリンにこんなことができるとは思えないわ」
「そうなの?」
「えぇ。土の眷属は職人気質が多いのよ。こんな道をコツコツ造るのもお手の物だけど――ゴブリンはそんなタイプじゃない。おこぼれをもらうのは上手だけどね」
「……フレイアがいてくれてよかったよ」
「な、なによ急に」
「いや、俺一人じゃ詰んでたからさ。洞穴にも気づかなかっただろうし、気付いても入ってみようとは思わなかったと思う。ゴブリンたちのこともほとんど知らないし――フレイアがいなければ、ノームを探すどころじゃなかったと思うんだ」
ボボボボボ。
行く先を照らしていたはずの炎が、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている。フレイアは分かりやすくアタフタしていた。
素直な気持ちを伝えたつもりが、動揺させてしまったらしい。
「ごめん」
「わ、わたしはクジョウの道案内なんだから、当然じゃない」
「う、うん」
「ウンディーネの指示なのよ。だから従っているだけよ!」
「うん」
それでも、一緒にノームを探してくれるのがありがたいのだが、これ以上言うと、コントロール不能な炎が襲ってきそうな勢いだ。俺は頷くだけにしておいた。
ボボボボボ。
「――ん?」
なんだ、今の。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりする炎は、進行方向以外も気まぐれに照らしてくれる。フレイアの動揺が直結しているようで、彼女にとっては甚だ不本意だろうが。
その気まぐれな炎が、俺の真横を照らした。
「どうしたの?」
俺は足を止めた。
「今、そっちにも何かあるように見えたんだけど――」
「……宝物庫だわ」
炎を宿したフレイアの手が、真横に広がる空間を再び照らし出した。
二〇近くある木箱に、硬貨がぎっしりと詰まっている。橙色の炎に照らされた硬貨は、鈍い光を放っていた。銀貨のようだ。
「やっぱりここはゴブリンの棲家なの――? でも、ゴブリンにこんな器用な真似は……」
宝物庫を見てピンとくるものがあったのか、フレイアは首を捻っている。
動揺は過ぎ去ったようで、炎は手元で安定していた。
そして、同じ違和感ではないが、その隣で俺も首を捻っていた。
「うーん……」
あの硬貨、どこかで見覚えがあるような。
「古い小さな銀貨……小さな……小さい……小動物……?」
「クジョウ?」
「あー!」
思い出した。
キリハラさんに見つかり、小動物のように縮こまったゼスタリアさんが落としたものに似ている。
だが、どうしてあの硬貨がこの世界にあるのだろうか。誰かが持ち込んだ――否、あちらの世界に持ち帰ったのか。木箱の中には、少なくとも数百枚は同じ銀貨があるように見える。あれだけたくさんの銀貨をこの世界に持ち込んだとは思えない。
でも、一体誰が。
俺でないことだけはたしかだ。シルフィードの守り石のように、気付かないうちにポケットインしていた可能性もなくはないが、ゼスタリアさんに渡した記憶がない。そうすると、ランドル先輩かメノウのどちらか――メノウの渡航については、本人が話したくないようだったから、詳しい内容を聞いていない。可能性があるとすれば、メノウか。
「ちょっと! 急に大きな声出したらビックリするじゃない」
「ご、ごめん」
「ゴブリンの銀貨が欲しいの?」
「いや、欲しいというか――ちょっと近くでよく見てみたくて」
ゴブリンの銀貨。
どうやらフレイアは木箱の中身から、ここがゴブリンの宝物庫だと判断したようだ。
「これで見えるかしら」
橙色の炎がもう片方の手にも灯る。フレイアは、その灯りを宝物庫に近づけてくれた。
「ありがとう!」
木箱の中に目を凝らす。馴染みのない意匠の硬貨。何世紀も時を経たような渋味ある銀。
「やっぱり……よく似てる」
フレイアの炎に照らされるゴブリンの銀貨は、記憶の中の硬貨と同じもののように思えた。とはいえ、俺がゼスタリアさんの銀貨を見たのは一瞬だ。
「持って帰れたら――」
確認はできる。でも。
「……意味ないか」
メノウがあの硬貨を持ち帰ったのだとすれば、それはもう、異世界のものとして理解されているわけだ。ここで俺が、もう一枚持って帰る必要はない。ネスタ社に帰還後、メノウかゼスタリアさんに聞けばいいだけの話だ。あの銀貨が保管室に収められていなかったことは気になるが――それも、尋ねれば分かる。
「フレイア、先へ進も――」
しーっ。
振り返ると、人差し指を口元に当てたフレイアと目が合った。慌てて口を噤む。
ペタペタと地面を踏む軽い足音が数体分、こちらに向かってきている。
「妙な声が聞こえたって?」
「あぁ、オレたちの仲間じゃねぇなぁ。もっと上品なよぉ――」
「ドワーフじゃねぇだろうな」
「バカ。ドワーフが上品なもんか。オレたちと変わんねぇよ」
「そうは言ってもよ、奴らに見つかれば面倒さ。なんてったって、ここはドワーフの連中が拵えた洞穴なんだからなぁ」
この嗄れ声――ゴブリンだ。
「鉢合わせたらまずい?」
「わたしがいれば別に――」
問題ない、と言い掛けたフレイアは一転、ぶんぶんと首を横に振った。
「場所がまずいわ。ここは宝物庫だもの」
「とりあえず、そっちに隠れよう。このままだと鉢合わせる」
「そ、そうね。わたしの炎は跡が残るから使えないし――」
俺は咄嗟にフレイアの手を引いて、宝物庫の中――木箱の陰に隠れた。
ゴブリンよりも格上のフレイアなら、縄張りに出入りしていても敵意を向けられることはないはずだが、宝物庫となると話は違うらしい。たしかに、土の流れを組む妖精たちは、財産の管理に厳しいイメージがある。窃盗を疑われたら、後々面倒だ。
「あの、クジョウ……」
「なに? 大丈夫――?」
隣で屈み込むフレイアの顔が心なしか赤い。
ゴブリンに見つからないよう、両手の炎は消しているのに。灯り役をさせすぎて、疲れさせてしまっただろうか。
だが、フレイアは目線を下げて言った。
「……手」
「手――? あわわわわ」
俺はゼロコンマの動きで、フレイアの柔らかい手を離した。
何が大丈夫だ。俺の方が真っ赤だ。全然大丈夫じゃない。
「わたしの炎で動けたらよかったんだけど……わたしはまだ一人前じゃないから、炎で移動すると跡が残ってしまうの。ゴブリンの宝に近付いたって思われたら面倒だし――」
「そ、そうなんだ! 全然気にしないで!」
クジョウが不躾にお手を拝借したことも気にしないで。
「ゴ、ゴブリンもやっぱり宝には厳しいんだね」
「……そういえば、最近盗まれたって言ってたわ」
「宝を?」
フレイアは思案気に頷いた。
ゴブリンたちは、月の蜜も盗まれたと嘘を吐いていた。他でもないフレイアに対して。宝を盗まれたとする言い分も、どこまで本当か分からない。フレイアも同じように考えているようだった。
ゴブリンたちの足音が近付いてくる。
「しかし、あれにはまいった。山が崩れちまうとはなぁ」
「ドラゴンが来たのかと思ったな」
「ノーム様はあれきりお姿が見えねぇそうだ」
「だが、おかげでドワーフの連中がこの抜け道を作りやがった」
「だなぁ。助かった、助かった。おかげで山向こうまであっという間だ」
「ふん、礼なんか。ドワーフはよ、綻びと見りゃあ、繕わにゃ気が済まねぇ生き物さ」
暗がりの中、俺はフレイアと顔を見合わせた。
今、たしかにノームと聞こえた。
ノームはいつの頃からか、眷属の前にも姿を見せていないらしい。そして、どうやらその時期と、この洞穴が出現した時期は一致するようだ。
「おい、なんか暖かくねぇか」
「あぁ? 誰か灯り焚いたかぁ」
「宝の方からだ。やっぱり誰かいやがるんじゃ――」
まずい。こっちに来る。
カタカタカタカタ。
「え?」
木箱が震えている。
ゴブリンの接近を恐れた俺か、フレイアの緊張が伝わっているのかと思ったが、違う。俺はともかく、フレイアはゴブリンにビビっていない。
「――お、おいおい、こいつぁ……」
「戻るぞ! あのときと同じだ!」
ゴブリンが焦った声を上げた。ドタバタと踵を返す足音が聞こえる。
「……もしかして」
小刻みに震える地面。木箱の銀貨が擦れ合い、カチカチと耳障りな音を鳴らしている。
「なに――?」
フレイアが不安そうに俺の顔を覗き込んだ。




