ピクシーの里
ピクシーは、風の精霊シルフィードの眷属だ。
うまい酒にウキウキが止まらないウンディーネと祭りを訪れた俺は、初めて風の縄張りに足を踏み入れることになった。
「着いたぞ。ピクシーの里じゃ」
「ここ……?」
森の中だ。
ウンディーネの森とは異なり、木々を覆う葉は若い緑色で、頬に爽やかな風が心地いい。しかし、近くに水辺がないのか、空気は少し乾いているようにも感じる。土地を治める精霊の性質が影響しているのだろう。
だが、森の中であることに変わりはない。立ち並ぶ木々に土の匂い。目の前の風景は、とても妖精の里には見えなかった。
祭りに招待してくれたはずのピクシーたちの姿もない。
「クジョウ、あれが見えるか」
ウンディーネの視線を追い、上方に目を遣る。
「なにあれ……」
立ち並ぶ木々のてっぺんから、オーロラのように輝く光の束がたなびいていた。
美しいが、どこか作り物めいた色合いだ。自然が作り出した光景とは思えない。
「魔法の証じゃ」
「魔法の――?」
「祭りの間は、里に魔法が掛かると言ったじゃろう。あれは魔法が使われている証――あの一角がピクシーの里というわけじゃ」
「あの一角って……目の前だよ」
ウンディーネの言う魔法の証の真下は、まさに今、俺たちが立っているあたりだ。だが、妖精の里らしきものは何も見えない。いくら手のひらサイズの妖精とはいえ、ピクシーの里は人間の目に映らないほどの大きさなのだろうか。だとすれば、俺は中に入れそうにない。
「妖精は元来、好き嫌いの激しい生き物ゆえ――招かざる者に姿は見せぬ。そなたの目にはまだ見えぬじゃろうが、ピクシーはすぐそこにおるぞ」
「え――」
「クジョウ、招待状を持て」
言われて俺は、ポケットから招待状――ピクシーの抜け落ちた羽根を取り出した。
途端に、視界を遮っていた木々が消え失せる。
気付けば俺たちは、緑の揃いを着た妖精たちに囲まれていた。
「久しいのう、ピクシーたち」
「わぁっ、ウンディーネ様だ!」
「お祭りにようこそ! おいしいお菓子をどうぞ!」
「待って! ウンディーネ様が好きなのはお菓子じゃなくて――」
「おいしいお酒! お酒もあります!」
「酒は後ほどでよい」
ウンディーネは柔らかい声色で、元気いっぱいに飛び回るピクシーたちを制した。小さな子どもを慈しむような眼差しだ。
「まずは眷属の紹介が先じゃ。クジョウ」
「うん。こんにちは、クジョウです。今日はお招きいただき――」
「大変だ――! クジョウが来た!」
「クジョウ! 仲間を助けてくれてありがとう」
「待って! まずはこんにちはだよ!」
「こんにちは、クジョウ! おいしいお菓子をどうぞ!」
「あ、ありがとう。美味しそうだね」
「クジョウはお菓子が好きだ――!」
「お菓子はたくさんあります。もっとどうぞ!」
「え、あ、ありがとう。こんなにたくさん――」
「どうぞ、どうぞ!」
「これこれ。そなたらの気持ちは分かるが、そんなにたくさんは食いきれぬ。五つばかりで十分じゃ。残りはそなたらで楽しむとよい」
わぁっと歓声が上がった。
俺の両手に一瞬で築かれたお菓子の山は、これまた一瞬で消え失せた。しっかり五つだけを残して。
「ウンディーネ様とクジョウがお菓子をくれたよ!」
「ありがとう、ウンディーネ様!」
「クジョウ! ありがとう!」
「お菓子をありがとう!」
「ど、どういたしまして……?」
あれ、今なにが起きているんだっけ。
戸惑い顔をウンディーネに向けると、大精霊は澄ました顔で首を振った。気にするなということらしい。
「此度は招きに感謝する。招待の礼に、わらわは雨をもたらそう」
言うが早いか、激しい雨音が聞こえてきた。ピクシーの里周辺――森一帯に雨が降っているようだ。
ピクシーたちは祈るように両手を組んで、ウンディーネに首を垂れている。
「シルフの縄張りは雨が少ないのじゃ。雨が苦手な眷属も多いゆえ」
「羽根が濡れたら大変だもんね……」
ウンディーネが頷く。
「じゃが、雨は森の維持に必要じゃ。ゆえにこうして、時折雨を授けてやっておる」
「だからピクシーの祭りに詳しかったんだ」
他の精霊たちはともかく、ウンディーネは精霊の顔を立てる性格だ。自分の縄張りに他の眷属を入れることもない。そんなウンディーネにしては、妙にピクシーの祭りに詳しいと思っていたのだ。もしや酒が絡むと、実はあっさり越境するのかと思いきや、やはりそうではなかったらしい。
雨を降らせるため、定期的にここを訪れているのだろう。
雨音は次第に弱まり、やがて消えた。
「ウンディーネ様、ありがとう!」
「いつもありがとう!」
ピクシーたちが口々にお礼を言う。
俺はまずいことに気が付いた。ウンディーネは祭りに招待された礼に、雨を降らせた。俺も同じく招待された身であるにも関わらず、手土産を用意していない。
「さて、わらわは祭りを楽しませてもらうかの――どうしたのじゃ、クジョウ」
「……俺、何もあげられるものがないんだけど……」
「そなたは何もやる必要はない。わらわは祭りに招かれたゆえ、礼をしたのじゃ。そなたはピクシーを助けた礼で招かれたのじゃろう。後先が反対じゃ」
「あ、そうか」
俺はピクシーの礼を受けるために、祭りに来たのだ。これでプラスマイナスゼロ、貸し借りはなしだ。ここで俺が何かしようものなら、またピクシーに貸しを作ることになる。
「クジョウ、クジョウ!」
「ん?」
「クジョウに助けてもらった子がきたよ」
「ほら、あの子だよ!」
「……え?」
「クジョウ、助けてくれてありがとう!」
ぎこちない動きで飛ぶ一体のピクシー。
俺の正面でアイドリングを試みているようだが、右に左にふらふらと覚束ない。ピクシーは、片方の羽根に布を巻いていた。包帯のようだ。
「だ、大丈夫? もしかしてあのとき怪我してたの?」
思わず差し出した手のひらの上で、ピクシーが羽根を休める。
間一髪、ワイバーンから逃げたあのとき、どこか損傷していたのだろうか。あのときは、どこも怪我をしていないように見えたけれど。
小さなピクシーが不自由な羽根で飛ぶ姿は、とても痛々しい。これがサラマンダーのうっかりに端を発した怪我だとすれば、次会ったときには、文句の一つでも言ってやらねばなるまい。
だが、ピクシーは首を振った。
「いいえ! クジョウが守ってくれたから、怪我はなかったの」
「そ、そうなんだ。じゃあ、その怪我はその後に?」
傷付いたピクシーは、なぜか嬉しそうにコクンと頷いた。
「クジョウの招待状はわたしの羽根なの!」
「……え?」
俺は思わずウンディーネを見た。たしかに祭りの招待状はピクシーの羽根だったが、それは、自然に抜け落ちた古い羽根ではなかったのか。
ウンディーネは、「おや」と不思議そうな顔で首を傾げている。どうやら大精霊も俺と同じ疑問を抱いているようだ。
「クジョウに想いを届けたくて、一番きれいな羽根を毟ったの!」
「む、毟った!?」
「この子はクジョウが好きなんだよ」
「お役に立ちたいだけよ!」
きゃあ、恥ずかしい、と包帯を巻いたピクシーは顔を真っ赤にしている。一見すると可愛らしいが、その包帯の原因が自分にあると知った今、俺の心中は複雑極まる。
「えっと……」
妖精には極端なものもいる。気に入らない人間は容赦なく死に追いやる一方で、気に入った人間にはとことん尽くし、富と栄華を与えることもある。
ピクシーはイタズラ好きで、中には人の命を奪うものもいたらしいが、気に入った人間のためにここまで――まさか自傷行為をするなんて知らなかった。
「クジョウ、あやつは重い女のようじゃ」
真面目な顔をして、ウンディーネが言った。
「……うん、そうだね……」
熟女に重い女――妖精界の女性陣は、バラエティ豊かだ。
「クジョウ、わたしの(毟り取った)羽根、気に入ってくれた?」
「う、うん。きれいだね」
「嬉しい! クジョウのために(痛みを我慢して)頑張ったのよ」
「あ、ありがとう。大切にするよ」
なんかすごく重い幻聴が聞こえる。
「喜んでもらえたね!」
「よかったね!」
「恥ずかしいわ!」
どこの世界にも、恋バナで盛り上がる女性たちはいるらしい。どこからともなく現れたハイテンションの彼女たちは、重い女――怪我をしたピクシーを連れて、きゃあきゃあと嵐のように去っていった。
俺の手から、ちゃっかり三つのお菓子を持って。
「ひとまず休むか」
「うん。お菓子も二つあるしね……」
嵐の後は休息が必要だ。




