蝋人形師ではない
俺の知る限りでは、婚約指輪を用意するにあたり、一から自分で造る人間はそうそういない。
生業がアクセサリー職人なら話は別だが、大抵は完成しているものを店で調達するか、オリジナリティを出すにしても、デザインを職人に伝えるくらいだろう。
もちろん俺にそんな技術はないし、職人の知り合いもいない。そして俺以上に、ケルピーの仲間に指輪職人を見つけるのは難しそうだ。
ウンディーネが顎を撫でる。
「ならば、マダム・タッソーを訪ねてはどうじゃ」
「えっ?」
「なるほど」
「えっ!」
「なんじゃ、忙しい奴じゃの」
俺はウンディーネの提案に首を傾げ、直後、ケルピーの同意に驚いた。
何やら意表をつく名前が――少なくとも、この流れで耳にするとは思っていなかった名前が聞こえた気がする。
「ろ、蝋人形の……?」
「何の話じゃ」
そなた大丈夫か、とウンディーネから覗き込まれた。ケルピーも心配そうな顔をしている。心外だ。マダム・タッソーと聞けば、人類は俺と同じような反応をするはずだ。
「マダム・タッソーは人魚じゃ」
元々はな、となぜかウンディーネは苦笑しながら付け加えた。
「今も人魚と言っていいものかは分からぬ。少なくとも、尾ヒレは失っておるな」
「へぇ……じゃあ、足があるの?」
人魚姫の逸話を思い出す。
美しい声と引き換えに足を得た人魚姫は、人間の姿になった。
「触手がありますね。イソギンチャクのような」
「…………へぇ」
思い描いた人魚姫を急いで消去する。
無脊椎の人魚姫なんて聞いたことがない――否、存在してはいけない。子どもの夢的に。
「珍奇な品に目のない蒐集家じゃ。何やら奇妙なものを口にしたとかで、自らも珍奇な姿をしておる」
当たり前だが、俺の知っているタッソーさんとは別人のようだ。蝋人形師が元は人魚だったなんて話は聞いたことがない。
「あやつの品物なら文句はあるまい」
「でも蒐集家なんでしょ? コレクションを譲ってくれるの?」
「交渉次第じゃな。いずれにしても対価は必要であろうが」
ケルピーが頷く。
「対価を支払ってでも手にする価値はあるでしょうね。マダム・タッソーが目をつけた品ならば、セイレーンたちも納得するでしょうから」
うむ、と相槌を打つウンディーネは何だか嬉しそうだ。
「そうと決まれば早速出発じゃな」
「はい。クジョウ殿、よろしくお願いします」
ケルピーがまたもや慇懃に頭を下げた。解決の糸口が見つかり、どこかホッとしているようにも見える。そしてどうやら、俺は婚約指輪調達パーティの一員となっているようだ。
「俺も行くの……?」
尾ヒレの代わりに触手を得た人魚――水の大精霊をも苦笑させるマダムに会いに。
正直、ついて行ったところで、妖精界ぺーぺーの俺が役に立つとは思えないのだが――決して、初めて会う人魚はもっと思い描いた人魚の姿をしていてほしいとか、そんな邪な気持ちがあるわけではない。決して。
ところが、俺の胸の裡など当然知る由もないウンディーネは、「もちろんじゃ」と何だかご機嫌な様子で頷いた。
「クジョウ。やはりそなたの知恵を借りて正解だったようじゃ」
少女のようなあどけない笑顔を向けられる。
「よし、行こうか。ケルピー」
クジョウは一瞬で心変わりした。
「はい、クジョウ殿」
この美しき大精霊にあの顔をされて、否と言える野郎はいない。
もはや人魚と呼べるか分からないマダム蒐集家でも何でも、相手にしてやろうではないか。
「……で、どこにどうやって行けばいいの?」
「案内はわたしが」
お任せを、とケルピーは人型を解いた。相変わらず息を呑むほど神々しい馬である。
「さぁ、クジョウ殿。我が手綱をお取りください」
「えっ」
促されるまま、いつの間にか現れた鞍に跨り、これまたいつの間にか現れた手綱を握る。
「行きますよ。クジョウ殿」
「う、うん。行き先の――」
マダム・タッソーの棲家はどこにあるの、と俺の問いは皆まで言わせてもらえなかった。ケルピーが風を切って走り出す。その方角に俺は絶叫した。
「ちょ、待って――どこ行くの!?」
視界の端に金色が過ぎる。ナイアデスのお姉さんだ。でも見てない。猛スピード過ぎてもう色しか捉えられていないから。
馬の姿をしていても、ケルピーは妖精だ。湖の上を疾駆している。
だが、俺の直観が正しければ、これはパフォーマンスでもなければ、森を抜けるショートカットでもない。
おそらく、この後は――。
「潜るの――!?」
俺の叫びに応えるように、ケルピーは迷いなく潜水した。
行き先はマダム・タッソーの棲家。
その場所は、
「海底じゃ」
良い報告を期待しておるぞ、と見送る大精霊の声を遠くに捉え、俺の身体は水中に沈んだ。




