鳥面の客人
「そなたに客じゃ」
「え?」
「――あ」
四回目の渡航先は、見慣れたウンディーネの森だった。別に嫌な記憶はないが、燃える洞窟より安心できる光景であることは間違いない。縄張りの主の安心感も違う。
サラマンダーの巻き添えで激流を食らって以来の再会だが、些細なことなのか、あるいは原因もろともなかったことにしたいのか、ウンディーネがその件に触れる様子はなかった。
よく来たなと気さくに迎えてくれた後、一息つく前に大精霊は湖を示した。
釣られてそちらに目をやり、例の如く、俺は間髪入れずに目を逸らした。
「い、今のは不意打ちでしょ……!」
「すまん。そなたの純情とやらを忘れておった」
「見てないから」
「それは幸いじゃ。それにしても、女人慣れは進んでおらぬようじゃの」
水浴び中のナイアデスのお姉さん――らしき人影と金の色彩は目に焼き付いているが、シルエットは正確に捉えていなかった。つまり俺は見ていない。
ウンディーネは悪びれるどころか、どこか楽しそうに笑っている。しかし、まさか大精霊がこんな騙し討ちのような真似をするために嘘を吐くわけがない――サラマンダーはおいといて。ウンディーネは俺を待っていたらしい客に声を掛けた。
「そなた、こちらに来てやれ。クジョウはニンフを直視できぬのじゃ」
「これは大変失礼しました」
慇懃な謝罪とともに、視界の端から、神々しい馬がゆっくりと近付いてくる。
「……え、ケルピー?」
馬は俺の正面で立ち止まると同時に、人型に変化した。海のディーバを射止めた視野の広そうな――もとい、鳥面の男は丁寧に頭を下げた。
ケルピーに会うのは、サラマンダーとともにセイレーンの姐御と去っていくのを見送ったとき以来だ。つまりは二度目ましてなわけだが、俺に一体どのような用があるのだろうか。
「その節は誠にお世話になりました」
「いや、大したことは――」
していない、と言い掛け、俺は口を噤んだ。
――借りは返させてやらねばならん。
妖精の示す謝意を断ってはいけない。同じ眷属として、ケルピーとの関係は対等だ。そのバランスを崩してはならない。
改めて、頷きを返す。
「うん。セイレーンとはその後――?」
ウンディーネに報告をしに行ったことは、サラマンダーから聞いている。今こうして再びウンディーネのもとを訪れている――しかも、俺に用があるということは、主から色よい返事をもらえたのだろうが――。
ところが、俺の想像とは裏腹にケルピーの顔は曇り、ウンディーネは苦笑を浮かべた。
「まさにその件でクジョウ殿をお待ちしていたのです」
「え?」
「言っておくが、わらわは反対しておらぬぞ」
「じゃあ、どうして――」
これは主たる精霊が認めるか否か――サラマンダーはそう言っていたし、ケルピーとセイレーンも同じ認識だったはずだ。だからこそ、セイレーンはウンディーネに認めてもらえないのではと悩み、家出の体裁をとっていた。そして、彼女を心配する島のセイレーンたちによって、一時は軟禁を疑われるほどの大事になってしまっていた。
だが、二体はサラマンダーの後押しにより、ウンディーネのもとへ向かう決意をした。ウンディーネが反対していないのならば、二体の婚姻は承認――万事解決ではないのか。
「小姑がたくさんおってな」
「ん?」
「島のセイレーンたちです」
「……あぁ」
島に上陸した俺を、舌なめずりする視線で取り囲んだお姉様方。
あの小姑の群れは、たしかに手強そうだ。
「大切な仲間を送り出すのだから、心尽くして誠意を見せよと――彼女をそこまで想ってくれていることは、とてもありがたいのですが……」
「誠意って……具体的に何かあるの?」
人間には、真心を示すため、幾晩も過酷な道を通い続けたり、厳しい環境で願掛けを行ったりする逸話がある。妖精にもそのような慣例があるのだろうか。
「ない」
ウンディーネが言う。
「じゃあ、何をすれば――ていうか、何を求められているの?」
ウンディーネは相変わらず苦笑を浮かべたまま、憐れむようにケルピーを見た。
「金銀財宝、希少な鉱石――そういった類の品物じゃろう。要するに、目に見える形で仲間を娶る覚悟を示せということじゃ」
「なるほどね……」
「ですが前例がなく、何を用意したらよいものか……金銀に特別な価値を置く妖精もいますが、セイレーンにそのような性質はないのです。一体何を渡せば……」
弱り切った様子のケルピーが嘆息する。
「それでそなたの出番じゃ」
助けてやれと顎をしゃくり、ウンディーネは気の毒そうにケルピーを見た。
「まったくおなごは難しい生き物じゃのう」
「妖精でもそうなんだ……」
目に見えて元気のないケルピーには悪いが、俺は感動していた。
俺のご先祖様も、そのまたずっとずっと昔の偉大なる先人たちも、女心の扱いには随分と手を焼いてきた。なにせそれは、ろくに満足させられないどころか、下手をすればこちらが大怪我をする恐れもある、劇物のような代物なのだ――と、経験豊富などこかのジェントルマンが言っていたような気がする。もちろん俺ではない。
だが、この匿名紳士の発言は人間のみならず、妖精の世界でも通用するようだ。外国の格言を引用するジャーナリストは数多い――つまり、卓越した知見に基づく金言には、国を超えた普遍性があることは立証されているわけだが、異世界においてもそうであることを確認したのは、おそらく俺が最初だろう。
しかし、そんなことすら霞んでしまうほどに、俺はウンディーネに感動していた。
ちゃんと眷属のことを考えている――!
ケルピーの棲家で二体を見送った後、「あとはディーネが決めることだからねー」と関心すら失っていたどこかの誰かさん、里をぶっ壊すほどのケンカの仲裁に入ってみたら、実は自分が原因だったどこかのサラスさんとは大違いだ。
「どうしたクジョウ」
「……俺、ウンディーネの眷属でよかった」
「なんじゃ、藪から棒に。そなた、何かおなごが満足する品物を思い付かぬか」
「俺に訊く? 何なら一番不得意な分野だけど……」
さきほど、ウンディーネ自ら言っていたとおり、女人慣れなど微塵も進んでいない。そもそも、女性が喜ぶプレゼントを即答できるようなら、ナイアデスのお姉さんどころか、アリシアさんのほっぺにちゅーで卒倒しかけたりしない。
「ウンディーネは何をもらったら嬉しいの?」
「酒」
残念ながら参考にはならなかった。
「難しいね……」
でも、ケルピーが困っているのは何とかしてあげたい。同じ眷属としても、男としても。
婚約者のいる時点で明らかに俺よりも経験値は高いわけだが、俺と違って、ケルピーには情報がない。映画、小説、コミック、果ては知人の話にいたるまで、間接的にでも数多の女性像に触れられるのは、生物の中でも人間くらいだろう。
「ん?」
待てよ、婚約者――?
「婚約指輪はどうかな」
婚姻の意思――覚悟と誠意を目に見える形で相手に伝える贈り物。
「なるほど、指輪か。よい案かもしれぬ。指輪は妖精にも馴染みのある品物じゃ。誓約の色が濃いゆえ、そなたの覚悟も伝わりやすい」
幾分明るい声色でウンディーネがケルピーを振り返る。
「ふむ、指輪ですか……クジョウ殿、婚約指輪とはなにか特別な装飾などあるのでしょうか」
「いや、決まりはないと思うよ。想いがこもっていれば、別に派手なものじゃなくても――」
そもそも外野が何と言おうと、既に二体の心は決まっているわけだから、本当は一足飛びに結婚指輪としたいところだ。それに、当事者のセイレーンは、宝飾品の程度でケルピーの心を値踏みするような真似はしないだろうから、余計な装飾も必要ない。
「でも、今回はそうもいかないか……」
今回の指輪は、当事者のセイレーンではなく、小姑の皆様方を納得させるためのものだ。誠意を示せと言われた以上、いくらかは価値あるものを用意しなければならないだろう。
「とはいえ、そなたらには作れぬじゃろう。あてはあるのか」
「……ないね」
俺はケルピーと顔を見合わせ、首を振った。




