ネスタ社の真実
「ご存知のとおり、我が社は現在、すべての取材をお断りし、一切の情報公開を致しておりません。ですが、我々には今、どうしてもジャーナリストのお力が必要なのです。ぜひとも、クジョウさまのお力をお貸しいただけませんか」
「え、えっと、あの――」
正直、アリシアさんの言葉がまったく頭に入ってこない。
美女に至近距離まで迫られた経験などあろうはずもない俺には、ふわりとしたアメジストの髪が鼻先を掠めるたび、心臓の鼓動を抑え込むのに必死だった。近い、近すぎる。
「――アリシア、順を追って説明しろ。クジョウ様が戸惑っておられる」
正確にはアリシアさんの顔面に戸惑っていたわけだが、キリハラさんの制止でアリシアさんは我に返ったようで、ちゃぶ台の向こう側へと身体を戻した。
少し残念な気もするが、あのままでは俺の心臓が持たなかっただろう。
「わたくしとしたことが……少し興奮してしまったようで――」
失礼いたしました、とアリシアさん。
美女が俺に対して興奮――?
いや、違う、違う。何でもかんでも反応するな。
「クジョウさまは我が社の記者会見をご覧になりましたか?」
「はい。もちろんです」
「では、我が社が設立された目的はご存知ですね」
「――世界の発展及び防衛のための諸研究を行うため、ですか」
テレビのニュースで何度も流れていたフレーズだ。アリシアさんはにこりと頷いた。
「そのとおりです。では――なぜ、今なのか。クジョウさまは疑問に思われませんか? 世界は脈々と歴史を紡いでおり、ほんの数十年昔を振り返ってみても、テクノロジーの進化は計り知れません。一方で、この時代でも隣国は戦の最中です。発展または防衛――いつの時代も必要とされてきた研究領域――それなのに、なぜ今、ネスタ社は設立されたのか」
世界は常に動いている。最終的に、それが進化と呼べるのかは誰にも分からないが、人類は休むことなく発展を遂げ、一方で、地上から未だ争いはなくならない。
アリシアさんの言う通り、世界の発展と防衛のための研究は、これまでもずっと必要だったはずだ。
なぜ今さらになって、ネスタ社は大々的に設立されたのか――否、なぜ今になって、あのゴードン・ライト氏はそのために出資を買って出たのか。
今でなければならない理由――。
「……なにか、大きな動きがあったから……?」
例えば地殻変動とか、自然災害とか――映画でよくある、惑星全体が消滅の危機にあるような大災害の予兆が発見された、とか。
「なんてのは、さすがに――」
ないか、とは続けられなかった。向かいの二人が目をまん丸にしていたからだ。
「さすがはクジョウさまです!」
煌めく瞳の美女が目前に迫ってくる。
だからそれ、ダメだって。
「え、え?」
「正確には、災害ではないのですが――わたくしたちの世界にとって、とても大きな変化がもたらされようとしています。この世界の外側に、もう一つの世界が発見されたのです」
「……その脅威からこの世界を守るために、ネスタ社が設立された、と――?」
もう一つの世界。突拍子もない話だが、アリシアさんの瞳は真剣だ。
「脅威となるかは未だ不明です。彼らの存在が我々の世界にどう繋がるのか――それ次第で、発展と防衛、そのどちらに舵を切るべきなのかを決めなければなりません」
猫のようにアリシアさんの首根っこを掴み、ぞんざいに引き戻しながら、キリハラさんが補足した。
「彼ら……」
「はい。わたくしたちとは次元の異なる――極めて強大な力を有する生命体です」
つい今しがた、雑な扱いを受けたことは微塵も感じさせない、きりりとした表情でアリシアさんが言う。
俺たちとは異なる次元の強力な生命体。それはつまり。
「……いわゆる宇宙人ってことですか」
「面白いことを言いますね」
突拍子もない話と心臓に悪いアリシアさんの行動により、限界が近い残念な思考回路から捻り出した一言は、美女の無表情によって一瞬で粉砕された。
さすがに宇宙人とは、超話題企業の応接間で――否、真剣に話をしている相手の前で、口にすべき言葉ではなかったか。アリシアさんの機嫌を損ねてしまったようだ。
「す、すみません」
「――いわゆる、という表現は、より一般的で多くの人が理解できる分かりやすい例えに言い換えるケースが多いはずです」
「は、はぁ」
「ですがわたくしは、うちゅうじんという言葉を知りません」
「……え?」
「面白いのはお前だよ」
素早い突っ込みを披露した後、キリハラさんは大きな溜息を吐いた。
「キリハラ。クジョウさまの前で失礼ですよ」
「……お前にだけは言われたくない」
気のせいか、うっすら血色の悪くなった顔で、キリハラさんは頭を下げた。
「クジョウ様、誠に申し訳ありません。さきほど申し上げた通り、我が社の研究調査部に所属している者は――こちらのアリシアを筆頭に、常識が欠如しておりまして……あちらの世界の生命体については、我々とは種族が違うという点において、クジョウ様のご認識で大きな齟齬はないかと――強いて言えば、宇宙人というよりも、精霊や幻獣といった方がよりイメージに近いかもしれません」
「あぁ、なるほど……」
つまりアリシアさんは、気を悪くして皮肉を言ったわけではなく、文字通り、言葉のチョイスを面白がっていただけらしい。
ふと見ると、マジックペンで手のひらに「うちゅうじん」とメモしていた。「後でどのような字を書くか教えなさい」と小声でキリハラさんに命じている。少し恥ずかしそうだ。
俺は気付かないフリをして、話を進めることにした。
「それで――その精霊とか幻獣の住む世界が発見されたことによって、ネスタ社は設立されたということですよね。それと、ぼくが呼ばれたことにどのような関係が――?」
専属契約を結んでほしい。アリシアさんはそう言った。また、ジャーナリストの力が必要だ、とも。
前者は理解できる。これまで徹底的に取材を拒否してきたネスタ社だ。仮に門戸を開くなら、秘密保持のため、専属契約を求めることは十分に想定できる。
しかし、後者が繋がらない。異世界を発見したことが、なぜジャーナリストに協力を求めることになるのだろうか。
「これまでのやりとりにおいて、クジョウ様もご理解いただけたことと思いますが――あちらの世界の調査・分析を担っている我が社の研究調査部は、非常識かつ言葉を知らないのです」
「……はい?」
キリハラさんは額に手をやり、はぁぁ、とまたしても大きな溜息を吐いた。
「現地に赴き、調査対象を発見しても――その特徴や詳細を非常にユニークな言葉遣いで表現する者や、そもそもラボから外に出ることを拒否している者まで……これでは、ゴードン・ライトの思いに報いることはとてもできません」
「そこで、ジャーナリストのクジョウさまに白羽の矢が立ちました。クジョウさまには、あちらの世界の様子を書き起こしていただきたいのです」
心なしかテンションの上がっているキリハラさんと、煌めく瞳をぶつけてくるアリシアさん。
たしかに、アリシアさんの言動には少し――あくまでも、俺の考える一般常識からの乖離――たとえば、こうして再び、至近距離にご尊顔があることとか―――が認められる。キリハラさんがすかさず首根っこを掴んだ。もはやこの光景にも驚かない。
異世界の調査をしようにも、自分たちではまともな記録を残すことができないため、ジャーナリストにその役割を任せたいということか。
いや待て。記録ができないって、研究者としてはわりと致命的だと思うんだが。
俺の無言の考えを察したのか、キリハラさんは何かを諦めたような表情で頷いた。
「……クジョウ様のお察しのとおり、ラボメンバーは曲者の集まりです。なにしろ異世界の発見など例のないことですから……各所から逸材が集められました。他の研究所を数時間で辞職した者や、生まれてこの方、いかなるコミュニティにも所属したことのない者まで――まさに粒揃いです」
最後の言葉が涙交じりに聞こえたのは気のせいだろうか。
キリハラさんがラボメンバーかつ秘書と紹介された理由が分かった気がする。この人はおそらく、ラボ唯一の常識人で、間違いなく苦労人だ。
「なるほど……ジャーナリストが必要とされている理由は分かりました。ただ、ひとつ大きな疑問があります。なぜ、ぼくなのですか」
それが一番の謎だった。




