見せたいもの
警備部の詰め所は、予想していたよりもずっと広く、そして継ぎ接ぎのようだった。
防犯カメラのモニターが所狭しと並べられた隣ではマッチョが筋トレに励み、さらにその横では目を見張る速さの組手が行われていた。対面ではトンファーのような武器を手入れしているスタッフもいる。驚くべきは、それらすべてに専用の器具やスペースが与えられていることだ。警備室にトレーニングマシンを完備したジム、そして畳敷きの道場や映画でよく見るスパイの支度部屋が、ワンフロアにまるでパッチワークのように繋がっている。
「キリハラさん、お疲れ様です!」
「お疲れ様です。たびたびお邪魔して恐れ入ります」
筋トレ上がりの汗を拭いながら、タンクトップのお兄さんがキリハラさんに声を掛けた。
「いえいえ。うちは離れみたいなもんですから、たまには誰か来ていただかないと。むさ苦しい連中の集まりですし――そういえば、お時間あります? うちの部長が会いたがってますよ」
「ヤンセンが……いえ、本日はクジョウ様もご一緒ですから。またの機会に」
「そうかぁ。そのクジョウ様にも部長は興味津々なんですけどね……」
お兄さんと目が合う。お兄さんが「うす」と小さく頭を下げると、襟足で束ねられた髪がピョコンと揺れた。俺も会釈を返しておく。
「でしたら、なおさら」
キリハラさんは曖昧に笑い、少し早口で「またの機会に」ともう一度言うと、お兄さんが口を開く前に先を急いだ。俺は慌ててキリハラさんの後を追う。
礼儀正しいキリハラさんが、半ば強引に会話を切り上げるのは珍しい。俺はさておき、警備部の部長はキリハラさんに話があるようだが、よかったのだろうか。
「慌ただしくて申し訳ありません」
「いえいえ、ぼくは全然構いません。でも、お会いしなくてよかったんですか? ぼくのことは気にせず、部長と話をされても――」
キリハラさんは小さく首を横に振った。
「いいえ、クジョウ様――何を言われるかは想像がついておりますので。むしろクジョウ様にも同じことを言い出しかねませんし――」
「え?」
「ヤンセン――警備部長は、母親のようなことを言う男でして……やれ食事に気をつけろだの、もっと休めだの、身体を鍛えろだのと……顔を合わせれば、とにかくそのようなことを言うのです。クジョウ様に興味があるというのも――」
「そういう感じですね……」
タンクトップのお兄さんの筋肉を思い出して、俺は顔を引き攣らせた。
どう見ても警備部の皆さんの方が、異世界渡航に相応しい体型をしている。貧弱クジョウと顔を合わせれば、警備部長が言うであろうことは容易に想像がついた。
「クジョウ様もいずれはお顔を合わせることになると思いますが……」
「覚悟しておきます」
身体を鍛えろと言われるのが分かっていても、先手を打てないのがクジョウだ。慢性運動不足には、トレーニングシューズを購入するだけでもハードルが高い。
とはいえ、あちらの世界には危険も多い。自分の身を守るために、筋力をつけることは有用で、警備部長は全く間違っていない。そして仰る通り、キリハラさんにはもっと休みが必要だ。
「悪い人間ではないのです。思いやりが強すぎると言いますか……色々と口うるさいのも、本気で他人を心配しているからなのですが――」
「分かりますよ。ネスタ社に必要な方だと思います」
母親のようなことを言う男――それは、社長やラボメンバーにとってのキリハラさんでもある。ヤンセン部長は、そんなキリハラさんを口うるさく気に掛けてくれる――つまり、母親にとっての母親、ネスタ社のお祖母さん――じゃなくて、時にブラックな環境で働き過ぎてしまうキリハラさんのブレーキ役なのだろう。
「ええ。我が社に不要な人材などおりません。皆頑張ってくれています」
中でもとびきりの苦労人があなたである。
それにしても、キリハラさんが俺に見せたいものとは一体なんだろう。何かと忙しいキリハラさんが、俺にネスタ社のセキュリティ対策を知らせたいだけとは思えないが。
「実は、用があるのは警備部ではないのです」
「え?」
「ここです」
「……行き止まり?」
すべてのエリアを通り過ぎ、スタッフや機材の動く音を背にして、ようやくキリハラさんは足を止めた。だが、案内された場所は部屋の隅――白い壁と床以外には何もない。
三日間がとても長く感じたと言っていたが、まさか体力の限界で、見えないはずのものが見えているのだろうか。だとしたら、ネスタ社の危機である。やはり、ヤンセン部長に会わせた方がよいかもしれない。
キリハラさんの表情を窺う。
「…………」
ガッ、ガッ、ガッ。
「――ちょ、キリハラさん!?」
キリハラさんは無言で白い床を蹴り始めた。
幻覚どころじゃない。
慌てて止めに入るが、キリハラさんは親の仇ばりに床が憎い様子で、攻撃をやめない。
「ヤ、ヤンセン部長を――」
「……あぁ、これですね」
ガコン。
「……え?」
「完成したばかりで、私もまだ慣れておらず――クジョウ様? どうされましたか」
「……あ、いや……スイッチ?」
動きを止めたキリハラさんの足元に、小さな突起物のようなものが見える。どうやらストレスが限界を突破したわけではなく、キリハラさんの蹴りには別の意味があったようだ。
「はい。これがなかなか目に入らず――いえ、その方がよいのですが……」
キリハラさんが押したスイッチは、新たな扉を出現させる合図だったようだ。行き止まりの白い壁の一部が割れるようにスライドし、中から重厚な扉が現れた。
キリハラさんが歩み出て、扉のテンキーパネルを操作する。液晶がロック解除を示す緑色に変わると、金庫を思わせる重量感のある扉がゆっくりと開いた。
「お見せしたいものはこちらです」
扉の向こうは、四メートル四方ほどの広くはない空間だった。中央に大理石のショーケースが設置されているほかは、何も見当たらない。まるで、非常に価値の高い美術品を公開している特別展示室のようだ。
だが、ネスタ社のショーケースに入っていたのは、この世界の品物ではなかった。
「これって俺のポケットに入っていた――」
「はい。クジョウ様が持ち帰られた石――風の精霊シルフィードの守り石と伺っています。ランドルから私が預かりました。精霊の加護があると聞き、こうして保管することにしたのです」
シルフィードが俺のポケットに無言でインしていた守り石は、磨かれた鏡のように曇り一つないケースの中で、エメラルドグリーンの輝きを放っていた。
「台座とケースには石を感知する仕組みを採用しておりますので、許可なく石の接触面が変化すれば即座に警報が鳴り、出入口が封鎖されます」
「おぉ……」
そもそも社内に出入りできる人間すら限られているのに、社員でも許可なく立ち入ることのできない地下の、そのさらに奥に設置された特別な空間で、厳重に保管されている。ここまですれば、ウンディーネの言う「大事に祀る」は、クリアしているに違いない。
それにしても、俺がランドル先輩に石を手渡したのは昨日だ。昨日の今日でここまで整えるなんて、仕事が早すぎるというか、さすがはネスタ社と言ったところか。改めてゴードン・ライトの資金力を思い知ると同時に、キリハラさんには頭が下がる。魑魅魍魎の相手に加えて、超特急工事の指揮を執っていたとは。
「お疲れ様でした。まさかこんなに大切に保管されているとは……」
「クジョウ様が持ち帰られたお品物ですからね。当然の措置です」
守り石はピクシーを助けたお礼にもらったものだ。自分で言うのもなんだが、命がけで持ち帰ったと言っても過言ではないだろう。その品物をこれほど丁寧に扱ってもらえると、仕事ぶりを認められているようで嬉しくなる。
「ありがとうございます」
「いいえ、そんな――お礼を申し上げるのは私たちの方です」
そう言うと、なぜかキリハラさんはじっと俺の顔を見た。一瞬の沈黙を挟み、視線が逸らされる。何かを言おうとして、思い止まったようだった。
「キリハラさん?」
「……クジョウ様、このたびは加護あるお品物をお持ち帰りいただき、誠にありがとうございます。社長と研究調査部長に代わり、お礼を申し上げます」
「は、はい。どういたしまして」
「お見せしたかったものは以上です。あまり長居する場所でもありませんから、ラボに戻りましょう」
たしかに、厳重な警備体制を敷いている場所に、長々と滞在するのは望ましくない。俺は再びキリハラさんの後に続き、来た道を戻った。
キリハラさんの様子は気になるが、守り石の状態を俺に見せたかったのは事実だろう。お土産がぞんざいな扱いを受けていれば、誰だって悲しい。その点、ネスタ社の面々は誠実に対応している。キリハラさんはその様子を俺に見せることで、俺を安心させようとしたのではないだろうか。そして、前例のない職務を担っている俺に、上手くやれていますよとエールを送りたかったのでは。
ラボのスライドドアが近付いてきたところで、俺は足を止めた。
「クジョウ様?」
「キリハラさん、ありがとうございました。今日はもう帰って休もうと思います」
「え……も、申し訳ありません。お疲れのところを連れ回してしまい……」
「違います。謝らないでください。ぼくはむしろ、やる気が増したというか――明日の渡航で少しでもいいパフォーマンスが出せるように、今日はしっかり休もうと思って」
キリハラさんをはじめ、俺の仕事に期待とサポートをくれる同僚たちのためにも、よい仕事がしたい。それにはまず、万全の体調で臨むことが一番だ。そうでなければ、妖精たちの少々無茶なスキンシップに応えることはできない。鉤爪の襲来を笑顔で受け止める健康な身体があってこそ、この仕事は成り立つのだ。
でも筋トレはしない。
「とても頼もしいです」
「あ、いや……」
しない宣言の後だと、ちょっと罪悪感が。
「それではクジョウ様、お気を付けてお帰りください。私は研究室へ戻ります」
「はい。キリハラさんも……できれば休んでくださいね」
「お気遣いありがとうございます」
丁寧なお辞儀を残して、紳士はスライドドアの向こうに消えた。
「……多分休まないな」
ひょっとするとキリハラさんは、苦労人というより、ワーカーホリックなのかもしれない。背負いがちの性分といえども、いくらなんでも働き過ぎだ。好きじゃなければ務まらない気がする。しかし、どんなに家のベッドと不仲だろうと、適度な休養は必要だ。
キリハラさんが限界を迎えそうなときは、
「――ヤンセン部長にお願いしよう」
そのときは俺も腹を括るしかない。
そう心に決めて、俺はトレーニングシューズのウィンドウショッピングがてら、狭い我が家に帰り着いたのだった。




