先輩のお気遣い
「――どういう意味――って、え!?」
「……どういう意味?」
「ランドル先輩――?」
「うん」
「てことは、ネスタ社――? 帰ってきた……?」
「クジョウ、おかえり」
目の前には童顔の研究者――というか、正真正銘の幼児がいた。どうやら俺は一瞬でこちらの世界に帰ってきたらしい。
まさか、こんなに突然連れ戻されるとは思わなかった。「今すぐカエルくん」を撫でた前回の方が、まだ心の準備ができていた気がする。今回は、視界の歪みのような――いわゆる「はい、今から移動しますよ」感がまったくなかった。これでは、最悪気付かないケースも――例えば尋常ならざる集中力で何かに没頭していたり、気を取られていたりしたら、帰ってきたことにすら、気付かないことがあるかもしれない。いや、俺にそんな集中力はないけど。
とにかく、そんな見栄を張りたくなるほど、あまりにも突然の帰還だった。だからこそ、俺はまだサラマンダーと会話をしているつもりで、ランドル先輩に問いかけてしまったのだ。
幸いにもというかさすがというべきか、先輩はまったく意に介した様子もなく、なんだか気が逸っているような仕草で俺の足を引っ張っている。
「クジョウ、クジョウ。アレの正体分かった?」
「アレ……? あぁ、この石ですか?」
ポケットから例のエメラルドグリーンの石を取り出す。うん、うんと先輩は何度も首を縦に振った。
アリシアさんだけでなく、ランドル先輩も石の正体に興味津々の様子だ。ネスタ社は異世界の情勢把握を担っているわけだから、あちらの世界から持って帰らされた正体不明の代物に社員が興味を抱くのは、当然といえば当然の話である。
「シルフィード――精霊の守り石だそうです。きっと加護があるから、大事に祀っておくように言われました」
「……そうなの」
「先輩?」
ランドル先輩は小さな手で、ぎゅっと胸元のロケットペンダントを握った。
悪い話ではないはずなのに、先輩がしゅんとしたように見えたのは気のせいだろうか。あるいは、もっとインパクトのある――賢者の石的なアイテムを期待していたのだろうか。
「……アリシアにはぼくが言っておくね」
幼児発明家は心なしか小さな声で言った。
「あれ、そういえばアリシアさんとキリハラさんは――?」
「アリシアは社長と打ち合わせ。キリハラはお手伝い。かいご?」
「なるほど……」
社長と研究調査部長との打ち合わせに、秘書のキリハラさんも同席しているということだろう。キリハラさんは秘書業務というより、あの二人のまとめ役を任されているようだが。というか、幼児に介護呼ばわりされるお二人って。
「ぼくがアリシアたちを待ってる。クジョウ、疲れたでしょ」
「それほどでも――いや、たしかに……」
指摘された途端に、全身に疲労感が押し寄せてきた。やはり、あちらの世界にいる間は、知らず知らずのうちに気を張っていたのだろう。幼児先輩にくるりとした瞳を向けられて、緊張の糸が緩んだのかもしれない。
そりゃあ、気を抜けば鉤爪が襲ってくる世界だからなと首を回したところで、壁に掛けられたデジタル時計が目に入り、俺は目を見開いた。
「……三日経ってる!?」
「うん。だからクジョウ、疲れたでしょ」
あちらの世界では、一度も太陽は沈まなかった。それなのに、三日も経過しているということは、時間の流れがこちらとは異なる――否、こちらの世界に帰還する際に、時間軸が歪むのだろうか。だが、前回はほとんど時間のズレはなかった。アリシアさんとキリハラさんもこの部屋で待っていてくれた。
毎回ではない――というか、デタラメなのか。
毎度毎度、俺の体感での数時間が数日になるわけではない。とにかく帰還してみないことには、こちらの世界で、どのくらいの時間が経過したのかは分からないようだ。下手をすると、浦島太郎になる可能性もある。
ランドル先輩が渡航した際も、突然帰還したとウンディーネは言っていた。その際、今の俺と同じように、体感とのズレがあったのではないだろうか。俺よりも小さな先輩にとっては、かなりしんどい――戸惑う体験だったはずだ。だからこそ、俺の疲労を察し、報告は自分に任せて休めと言ってくれているのだろう。なんとも頼もしい先輩である。
俺は、先輩の好意にありがたく甘えることにした。
「詳しい報告はまた明日ということで――」
ひとまず、石の正体だけでもアリシアさんたちに伝えてもらうことにし、守り石をランドル先輩に託した。三日前――俺の体感では昨日――のように、うっかりポケットに入れて持って帰ろうものなら、またしても機密保持違反で今度こそ解雇の危機だ。両手でしっかりと先輩に受け渡す。
「おやすみ」
きっと先輩なりの「ゆっくり休め」だ。ありがたく頭を下げ、俺はネスタ社を退勤した。
セイレーンとケルピーの婚姻、去り際のサラマンダーの言葉、そして、迫りくる鉤爪。その夜、俺は記憶を追体験する夢を見ながら、泥のように眠ったのだった。
◇
翌日。
眠気覚ましのシャワーを浴び、途中のコンビニで購入したおにぎりを放り込みながら、俺は猫足デスクに腰を落ち着けた。
昨日のレポートは興味深い。軟禁を疑われた家出娘と異種族との秘めたる恋模様――思わず女性向けノベルのような煽りを加えてみたくなるが、登場人物は全員妖精――しかもわりと人間に容赦ないタイプだ。報道を目指していた人間がラブストーリーでも書いているのかと、溜息を吐くべきところなのかもしれない。しかし、俺はむしろ燃えていた。
妖精も俺たちと同じように恋をし、そして想いを遂げるために苦悩する――そのような存在だと分かったことは、ネスタ社の使命――彼らとの関わり方を検討する上で、大切な情報のような気がするのだ。
「クジョウ様」
「キリハラさん。こんにちは」
「お疲れ様です。三日振りですね――昨夕帰還されたと伺いましたが、お身体は平気ですか? もう少しゆっくりされても構わなかったのですよ」
言葉のとおり、キリハラさんから気遣わしげな眼差しを向けられた。
俺の勤務に関しては、職務内容の特殊さ故に、明確な勤務時間は設けられていないそうだ。渡航後は疲労も著しいし、二つの世界で時間の流れが異なることも、決まった時間に出社することを難しくしている。昨日の疲労度を考えれば、休みをとってもよかったらしいのだが、一日中寝ているわけにもいかないし、大してやることも思い付かなかった。
「いえ、さすがに今日も渡航する元気はありませんが、ここで作業する分には問題ありませんから。お気遣いありがとうございます」
「……クジョウ様ご不在の三日間はとてつもなく長かったような気がいたします」
「え?」
キリハラさんの目から光が失われていく。苦労人は遠くを見ていた。
俺が不在の間に何があったのかは知らないが、何となく想像はつく。キリハラさんが言うところの「我が社の魑魅魍魎ども」に振り回されたに違いない。
それにしても、時間の流れが異なると、やはり感覚まで変わってくるようだ。キリハラさんにとっては三日振りの対面でも、俺の体感では、つい一日前にアリシアさんに詰られる姿を見ている。ということは、渡航を繰り返せば、俺は体感二〇〇日ほどで年齢を一つ重ねることになるのかもしれない。つまり。
異世界渡航にはアンチエイジング効果がある――否、むしろ逆か?
などと、アングラ記事的こじつけをしていると、キリハラさんが遠慮がちに口を開いた。
「クジョウ様、作業が落ち着きましたら、少々ご足労願えませんか。お見せしたいものがございます」
「はい。報告書は書き終えたので、今からでも――」
「ありがとうございます。それではこちらへ」
キリハラさんに促され、ラボのスライドドアから廊下に出る。
ネスタ社の内部について、俺はほとんど何も知らない。用事があるのは猫足デスクと「いせかい暖簾」だけのため、勤務はラボの中で完結してしまうからだ。ラボ以外では、初日に訪れた応接間と社長室が二階にあること以外、把握していなかった。
廊下を先導するキリハラさんは、てっきりエレベーターに乗るのかと思いきや、エレベーターホールを通り過ぎ、行き止まりに設置された非常扉に手をかけた。中に階段が見える。
「地下があるんですか?」
「ええ。警備部の詰め所がございます」
鉄製の非常扉が閉まる風圧を背中に受けながら、キリハラさん越しに階段を見ると、下の階にも続いていた。建物の高さからして、俺に用事のない三階以上のフロアがあることは想像していたが、地下があるとは知らなかった。そういえば、以前乗ったエレベーターにも地下の表示はなかった気がする。警備部の詰め所があるそうだから、セキュリティの関係で出入りを階段に限っているのかもしれない。
「ここへの立ち入りには許可が必要です。社長のゼスタリアか私のいずれかが許可を出し、事前に警備部へ連絡を入れた場合のみ、中に入ることができます」
「セキュリティ対策ですか?」
「ええ。本日はクジョウ様を突然お誘いしましたので、事前に連絡は入れておりませんが、私が一緒ですから問題ありません。秘書の分際で恐縮ですが――」
「いえ、とても適格な人選だと思います」
俺が社長でも同じ選択をするだろう。
階段を下り非常扉を開けると、駅の改札のようなゲートに出迎えられた。赤色のランプが点灯している。横幅は小さめの作りで、大人が二人並んでは通れない仕様になっていた。
キリハラさんがゲート横に設置されたインターフォンを押す。
「キリハラです。同行者はクジョウ様です」
言いながら社員証をモニターに翳すと、「どうぞお入りください」との返答があった。ゲートのランプが赤から緑に変わる。
「行きましょう」
キリハラさんに続き、ゲートを通過する。俺が通るとすぐに、ランプは赤色に戻った。
「この先が警備部です。詰め所はこちらですが、スタッフは建物内外の要所にも配置されています。クジョウ様も初日にいらした際は、彼らのチェックにご協力いただいたかと」
「あぁ、はい」
たしかに初日は、要塞のような物々しいゲートで、これでもかと言わんばかりの身体チェックを受けた。異世界への入口を保有しているなどと、とんでもない秘密を持つ我が社を守っているのは、職務に手を抜かない警備部の皆さんなのだ。
ゲートを抜けて少し歩くと、白い両引きの自動ドアが現れた。中の様子を窺い知ることはできないが、この先が警備部の詰め所らしい。キリハラさんが再び、自動ドア横に社員証を翳すと、ドアは音もなく開いた。




