我はサラマンダー
「……行っちゃった」
最後は慌ただしかったが、一件落着でいいのだろう。島のセイレーンたちの誤解は解け、ウンディーネの眷属同士が争うこともない。婚姻の許可も――まぁ、下りるだろう。サラマンダーが口添えしてくれるみたいだし。
というか、そもそも――。
「ところで、人間よ」
「え? あ、あっつ――!」
そういえば、サラマンダーも残っていたんだった。
そう気付いたときには、パチパチと火花の爆ぜる音とともに、俺はなぜか熱風に囲まれていた。焔の精霊は表情もなくこちらを見ている。
明らかに敵意を向けられている。
なぜだ。俺は何かしてしまっただろうか。そもそも、なぜ、サラマンダーはここに現れたのだったか。たしか、セイレーンが尋ねていたような――。
――サ、サラマンダー様!? なぜここに……。
――我の悪口が聞こえた。
ん? 悪口?
「我を阿呆と呼んでいいのは、ディーネだけだ」
「……す、すみませんでした」
セイレーンの島で呟いた一言が、しっかり聞こえていたらしい。不覚にも四大精霊の怒りを買ってしまったようだ。サラマンダーのオーラが灼熱まで跳ね上がっていくのを感じる。
ここまでか。
ウンディーネとの契約で、他の人間よりも親水性が増したとはいえ、焔の精霊相手に立ち向かえるわけがない。口は災いのもと。しょうもないドジを踏んでしまった――だが、後悔はしていない。なにせワイバーンの件で俺は死にかけたわけだし、そんな悪態を吐くくらいしか、敵いっこない奴を相手に溜飲を下げる方法はなかったのだから。
そう、これが、今日も政治家は仕事をしていないと呟く大衆の心理である――と、最後の最後にジャーナリスト的眼差しを気取り、俺の生涯は幕を閉じるようだ。なんと異世界にて。
振り返れば、そんなに悪い人生でもなかったような気がする。異世界に来た人間なんて、そうそういないだろうし――けれど、もしも来世があるなら、もう少し親孝行のできる人生を希望する。妹よ、父さん母さんの老後を頼む。
腹を括り、俺は両目を硬く瞑った。
「――だが、それは水に流そう」
「え?」
すう。
一呼吸の間に、地獄の業火が南国のポカポカ陽気に取って代わる。
「ワイバーンの件は迷惑をかけた」
「……あ、あぁ、うん」
「おあいこってやつだな」
「…………うん」
そうだろうか。
だいぶ自分に有利な天秤持ってない? とは、もちろん言わない。クジョウは大人だから。
そして、さきほどのちょっと恥ずかしいジャーナリスト的眼差しうんたらかんたらは、なかったことにしてもらいたい。クジョウはまだまだ気取りたいお年頃だから。
「ところで人間よ。何か言いたげだったな」
「あ……うん」
セイレーンが苦しみながらウンディーネへの告白を決意したとき、俺には言いかけたことがあった。サラマンダーの申し出に遮られる形で、言わずじまいになってしまったが。
けれど、結局はうまくいった――二人は前向きな気持ちでウンディーネのもとを訪れるだろうから、これでよかった――俺が余計なことを言う必要はなかったのだ。俺なんかよりも、長い長い付き合いのサラマンダーの方が、よっぽどウンディーネのことをよく分かっているわけだし――だから、言葉は呑み込んだつもりだったのだけれど。
しかし、そんな俺の心中などお構いなしに、サラマンダーは、話してみろとばかりに不敵な笑みを浮かべて、こちらを覗き込んでくる。仕方ない。
「セイレーンはウンディーネが認めてくれないって思ってたみたいだけど、俺にはそうは思えなくて……そもそも、ただの家出なら放っておけばいいって考えだったのに、眷属間で揉めるのはまずいから、それを防ぐために動いたわけで――むしろ、一緒になりたいってことなら、止めはしないと思うんだ。これまでの例とか、そういうのに縛られるほど、器は小さくないっていうか――」
サラマンダーの尻拭いとはいえ、異世界から来た俺やランドル先輩を気に掛けてくれたのは、ウンディーネの器のデカさに拠るところが大きいと思っている。本人は精霊の名折れと言っていたが、サラマンダーの不始末をウンディーネが引き受ける謂れはないのだ。
初めから、セイレーンが素直にケルピーとの関係を相談していたら、ウンディーネはその意思を尊重したのではないか――否、今からでもきっと、ウンディーネは認めてくれるだろう。
「出会ったばっかの俺が言うのもなんだけどさ」
だから正直、サラマンダーの口添えは必要ない――というか、むしろ逆効果なのではと思っている。ウンディーネからしたら、眷属の問題に別の精霊が口を出すのは、きっと面白くないだろう。
「――ディーネは面白い眷属を得たな」
「え?」
「人間よ。名はなんという」
「クジョウ……」
俺が面白いって――?
自慢じゃないが、生まれてこの方、ユーモアセンスを評価されたことなど一度もない。それに、間違いなく俺は、眷属の中で最弱だろう。人間は器が脆いから、大した力は出せないとウンディーネも言っていたし――圧倒的な力を持つ精霊にとってみれば、俺のような弱すぎる存在はかえって面白いのだろうか。
「我は――――」
サラマンダーがゆっくりと辺りを見回す。妙に時間を掛け、再び俺に視線を合わせた。
「――――サラマンダー。焔を司る精霊だ」
「うん」
知っている。
なんと、我があの有名な――! みたいな溜めを作っていましたが。
知ってるよ。今まで散々名前で呼ばれてたじゃん。
これは精霊のジョークだろうか、それとも素なのか。限りなく後者の可能性が高い気はするが、とりあえず曖昧に笑っておいた。
「お前には我の提案が無粋に思えるだろう」
「え……」
ディーネに話しておくと言った件さ、とサラマンダー。
「正直に話せ」
「……口添えはしない方がいいんじゃないかなって――いや、でも、同じ精霊の提案だし、きっと間違いないよね。セイレーンも前向きになっていたし……」
「お前の言うとおりだ」
「え?」
「ディーネに口添えなどしてみろ。婚姻の許可どころか、我も無傷では済まん」
奴らが正直に話せば済む話なのだ、と続ける。
しかし、口添えをしてやると言い出したのはサラマンダーだ。セイレーンたちから頼まれたわけでもない。上手くいかないと分かっているのなら、なぜあんな約束を――?
サラマンダーが婚姻の失敗を望んでいるとは思えないが。
「お前が言ったろう。ディーネは、一緒になりたいのなら止めはしないと。必要なのは、奴らがディーネに打ち明けることだけだ」
「うん……」
「奴らは躊躇っていた。だから背中を押してやったのだ――お前の言うとおり、セイレーンは前向きになっただろう?」
これで我の幕は下りた、と言う。
「……え、じゃあ、ウンディーネに口添えするのは嘘ってこと……?」
「嘘ではない。必要がないから、しないのだ」
ふふん。
精霊はなぜか得意気に胸を張っている。
要するに、最初から口添えなどする気はなかったのだろう。
どう考えても完全な嘘だが、サラマンダーの一言でセイレーンとケルピーは希望を得た。前向きな気持ちで――自分たちの意思で、ウンディーネに真実を打ち明ける決心がついたのは、間違いない。そしてそれは、サラマンダーにしかできなかったことだ。俺が間に入ると言ったところで、セイレーンの憂いは晴れなかっただろう。ウンディーネと同じ精霊のサラマンダーだからこそ、効果があった。
お調子者ではあるが、さすがは大精霊――妖精たちのこともよく分かっている。
「さて、我は戻る。お前はそいつでディーネのもとへ行くのだろう」
「うん。あれ、そういえば水の子って――」
そいつ、と、サラマンダーは、俺の肩で踊る水の子を示した。
分身は精霊と繋がっている。島のセイレーンはそう言っていた。そして、俺は水の子にお願いし、ウンディーネの水流でここへ連れてきてもらった。
つまり、水の子を通して、俺たちの会話はウンディーネに筒抜けなのでは。
サラマンダーの嘘もすべて把握されているとすれば、それは「婚姻の許可どころか、我も無傷では済まん」事態になりはしないか。
俺の疑問を見て取ったのか、サラマンダーが口を開いた。
「精霊がそいつを操れるのは見えているときだけだ。本体から離れたら操作はできん。感知はできるがな」
「そうなんだ……」
うっかり忘れない限りな、とサラマンダーは笑った。笑いごとじゃない。その被害者の一人がここにいる。
「じゃあ会話は聞こえてないってこと? でも、ここにはこの子に運んでもらったんだけど……」
「聞こえんし見えんが、意図して話しかければ別だな。本体に聞く耳があれば伝わる」
「なるほど」
サラマンダーはともかく、ウンディーネに関して、その心配は要らないだろう。
そして、セイレーンの島やここでの俺たちの会話は、ウンディーネには聞こえていないようだ。サラマンダーの無事はともかく、セイレーンとケルピーの足を引っ張らなくてよかった。
「ではクジョウ、さらばだ」
「あぁ、うん。色々とありがとう」
礼か謝罪か、はたまたクレームを言うのが正しいのか、よく分からない関係性だが、とりあえずお礼を言っておく。島のセイレーンたちの分も込みということで。
焔の精霊はなぜか大仰な仕草で両腕を広げ、
「また近いうちに見えることになるだろう」
と、ニヤリと笑った。
「……うん?」
近いうちに――?
たしかに俺は度々この世界を訪れる予定だから、会う機会はあるかもしれないけど――それだけの意味だろうか。それにしては何やら含みのあるような気が――。
「それって――」
「刻限のようだな」




