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ウンディーネの用

「息ができる……てか、服が濡れてない――!」


霧深い海を背にして、岩のような小さな島に降り立った俺は、昨日とは打って変わった快適な移動に感動していた。


ウンディーネの水流で行くと言われたときは、溺死寸前の苦しみと濡れ鼠を覚悟したが、「わらわと契約したのを忘れたか」と、呆れ顔の大精霊から出発を見送られた。どうやらウンディーネの眷属になると、水の反発が少なくなるようだ。水中でも呼吸ができるなんて、あちらの世界では考えられない。


「まぁ! ご覧なさい」


「珍しいお客様だわ」


「どうやってこちら側にいらしたの?」


「人間よ!」


四方から、きゃあきゃあと、甲高いはしゃぎ声が聞こえてくる。夢かと疑いたくなるほどのモテっぷりだが、嬉しいことにこれは現実で、そして残念なことに、俺は冷や汗をかいていた。

 

眷属の余韻に浸っている場合ではない。上陸して一瞬のうちに、俺は囲まれてしまったようだ。


「人間の男なんて随分とご無沙汰――あら?」


「……あ、水の子……!」


「あなた、ウンディーネ様の遣いかしら」


「ど、どうも……クジョウです」


ゴテゴテしいほど艶やかなお姉様方の舌舐めずりに命の危機を感じていた俺を救ったのは、ウンディーネの分身、水の子だった。ゆらゆらと楽しげに俺の右肩で踊っている。


「それじゃあ、あの子の話を聞きに来たのね。皆の者、下がりなさい。この方はエモノではないわ」


俺がこの島で、テンション高めのお姉様方――ただし鉤爪付き――に狙われていた理由は、ウンディーネから任された用による。





当てのない探索道中だ。俺はウンディーネの用に付き合ってみることにした。


「いいけど……どんな用?」


「セイレーンの家出トラブルじゃ」


「…………は?」


「そなた、セイレーンは分かるか? いつも海原でソプラノを響かせておる、歌声のよい乙女じゃ――そなたのタイプかもしれぬな。半身は鳥じゃが」


「……船乗りを歌声で惑わす方々だよね。最後殺されるよね」


セイレーンは、抗うことのできない魔性の歌声で聞く者を狂わせ、海に飛び込ませて溺死させるという、恐ろしいディーバである。上半身は女性、下半身は鳥の姿をしているらしい。頑張れば友達にはなれるかもしれないが、俺のタイプではなさそうだ。


「そのセイレーンが家出したの?」


「うむ。セイレーンの棲家はとある島でな――普段はまとまって暮らしておるのじゃが、そのうちの一体が家出をして帰ってこないと、残りの連中から相談があったのじゃ」


「……家出って、家に帰りたくないってことでしょ? 原因は? 残りのセイレーンと揉めたとかじゃないの?」


「否。そうではない」


ウンディーネがこうきっぱり言い切るのなら、何か根拠があるのだろう。


なにせウンディーネに相談に来たのは、家出した当人ではないわけで、彼女が何を思って棲家を出て行ったのかは、当人のみぞ知る、だ。いかに四大精霊といえども、眷属の胸の裡まで掌握しているわけではあるまい。というか、そうであってほしい。


なぜなら一応俺も眷属の一人なわけで――思春期を過ぎたとはいえ、思考が筒抜けなのはさすがに恥ずかしい。別にやましいところはないけれども。


とにかく、当人から話を聞いていないにも関わらず、違うと言い切れるのは、ウンディーネから見て、家出に明白な理由があるか、あるいは、セイレーンたちの話を鵜呑みにしているかのどちらかだろう。だが、ウンディーネが易易と眷属に抱き込まれるとは思えない。それに、公正に判断すると思われているから、セイレーンたちはウンディーネに相談に来たのではないだろうか。であれば、ウンディーネがこの件を仲間割れではないと断定したのは、他に納得できる理由があるからだ。


「馬じゃ」


「はい?」


「家出の原因じゃ。出て行ったセイレーンは、ケルピーの棲家に身を寄せておる」


「……馬と一緒に暮らしたいから出て行ったってこと? セイレーンの島はケルピー禁止なの?」


ペット禁止のマンションから引っ越すようなものだろうか。いや、セイレーンだって、半身は鳥だ。鳥が馬を飼うの?


「……セイレーンとケルピーの関係性が分からん……」


ケルピーはたしか、水辺に棲む馬の姿をした妖精だったはずだ。人間を誘き寄せて、溺れ死にさせるとか――あれ、デジャヴかな。


「どちらもわらわの眷属ゆえ対等じゃ。……生業も似ておるしな」


「溺死させるんでしょ! 人間を!」


大精霊から憐れみの眼差しを向けられた。


「フラグ立ってるじゃん……俺いやだよ」


「案ずるな。そなたもわらわと契約したであろう。眷属同士で(たま)の取り合いはさせぬ」


「……まぁ、ウンディーネが言うなら大丈夫なのかな……で、セイレーンとケルピーが対等だとすると、ペットがほしいわけじゃないとして……なんでケルピーのところに?」


「面目なくて帰れないのじゃろうと――セイレーンたちは話しておる」


「……どういうこと?」


「奴らは対等かつ生業も似ておると言ったであろう。いずれもエモノを水中に誘き寄せ、魂を取る――これクジョウ、いらぬ心配はせんでもよろしい――その生業が問題じゃ。件のセイレーンは、どうやらケルピーに釣られたらしいのじゃ。さすがに溺れはせぬが……」


「セイレーンの面目を潰されたってことか」


その美しい歌声でターゲットを海中へ引き摺り込み、命を奪う恐るべき妖精。その自分が、まさか誘き寄せられてしまうなんて――。


どちらもウンディーネの眷属で、上下のない関係性だからこそ、他方に敗れる形となっては、セイレーンとしての面目が立たない。


「仲間にも顔向けできないってことね……」


「ゆえに仲間割れではない。むしろ出て行ったセイレーンを心配しておる」


「……ん? で、今はその因縁のケルピーのところにいるの?」


棲家に帰れない理由は分かった。だが、よりにもよって、敗れた相手のところに留まるとは、よっぽど行く当てがないのだろうか。それとも、まんまとセイレーンを誘き寄せることに成功したケルピーとの間で主従関係のようなものが成立し、今も囚われている、とか?


「ケルピーに戦利品をコレクションする習性はない」


「……戦利品て」


あちらの世界では、妖精たちの生業のターゲットは人間だ。思わずコレクションを想像して、血の気が引いた。


「いらぬ心配はするなと言うておるじゃろうに――しかし、セイレーンたちもそなたと同じように考えているようじゃ」


ふう、とウンディーネが溜息を吐いた。


「出て行ったセイレーンは、帰りたくても帰れない状況にあるのでは、とな。家出など放っておけと言いたいところじゃが、ケルピーと争いになってはかなわん」


「どっちもウンディーネの眷属だもんね」


眷属同士で魂の取り合いはさせないと、ウンディーネは言った。家出というよりも、軟禁のような状態を疑っているセイレーンたちが、仲間を取り戻すためにケルピーと抗争状態になるのは、ウンディーネの望むところではないのだろう。


「よってやむを得ず介入するのじゃが――まずは話を聞くとするかの」


「相談に来たセイレーンと家出したセイレーン……それとケルピーもか」


「そうじゃの。クジョウ、そなたが聞いてまいれ」


「……え? 俺が? 言葉通じるの?」


ここまで自然に話をしていると忘れそうになるが、俺がこちらの世界で会話を果たしたのは、ウンディーネだけだ。荒れ狂ったワイバーンはもちろん、ピクシーとも会話はできなかった。ピクシーは状況を伝えようとしていたようだが、チチチと鳴いているようにしか聞こえなかったのだ。


四大精霊のウンディーネは、おそらくこちらの世界の支配階級だ。精霊の叡智は計り知れない――人間の言葉を用いるのも容易いのだろう。そして、ウンディーネと同格の存在でもない限り、言葉は通じない――つまり、妖精たちとは言葉を使ったコミュニケーションはできないと思っていたのだが。


「概ねそのとおりじゃ。人語を解すのは、わらわたち四大精霊とドラゴンくらいじゃな」


「じゃあ俺が行っても――」


「早まるでない。そなたはわらわの眷属じゃろう」


「え……」


「そなたの魂は、既にこの世界とも繋がっておる。妖精と話もできるはずじゃ。疑うなら、まずはナイアデスで試してみるか?」


「――いいいいつの間に! てか、水浴びは終わったって言ったよね!?」


ごく自然に動かされたウンディーネの顎にまんまと釣られた俺は、湖に佇む金色を視界に捉えてしまった。でも見てない。絶対見てない。クジョウの純情フィルターが二〇〇パーセント稼働したから。


「水浴びが日に一度と言った覚えはない」


「そ、それはたしかに聞いていませんが……!」


「湖はあやつの棲家じゃからの」


やれやれとウンディーネは呆れ顔になった。


「あ……」


言われてみれば、ナイアデスのお姉さんは湖のニンフなのだから、湖にいるのが当たり前なのだ。つまり、俺は人様の家を勝手に訪れて騒いでいるわけで、ウンディーネやニンフの皆様方からすると、迷惑この上ないことだろう。


「……ごめん。反省した」


「あやつと話してみるか?」


「いや! あ、いや、ナイアデスが嫌なんじゃなくて、それはちょっと、まだハードルが……」


「そなたに倣い、服を着せればよいかの」


少し低い、よく通る声でウンディーネが言った。試すような目をしているようにも見えた。


騒々しくてごめんなさいと、ニンフたちに謝りたい気持ちはある。しかし、今の俺には彼女と相対するのは無理だ。だから、ウンディーネの申し出は正直ありがたいのだけれど――。


「それはだめだよ」


「なぜじゃ。服を着せれば、そなたも抵抗なく話ができるのじゃろう?」


「それはそうだけど……でも、それはさせたらいけない気がするんだ」


この森の妖精たちの格好は、俺が積み上げてきた常識には明らかにそぐわない。そして、俺はまだその違いに適応できておらず、彼女たちを直視することができない。けれど、だからといって、俺の都合で妖精たちの常を変えさせていいわけがない。


俺は、こちらの世界を記録するためにここにいる。その土地の暮らしに敬意を払えないような奴は、旅人や探索者、ましてや記録者なんて、名乗るべきじゃないだろう。


「ほう」


「だからナイアデスはそのままで……今すぐには難しいだろうけど、いつか慣れて――堂々とした男になれたら話してみるよ。それに俺、ウンディーネの言うこと疑ってないし」


妖精と話せるようになったのなら、セイレーンの話を聞くこともできる。


「そなたはよき人間じゃの」


「ん?」


「傲慢は己を殺す悪癖ということじゃ。斯様(かよう)な人間は妖精の好物ゆえ……そなたは問題なさそうじゃ」


「う、うん……? ありがとう」


何だかよく分からないが、俺はウンディーネに認めてもらえたようだ。悪いことではないだろうから、とりあえず礼を言っておく。


「ところで――そなたは女人慣れをするのか」


「うん……いつかはナイアデスとも話してみたいし――え、なにその顔」


「いや、何でもない。気にするな」


「顔真っ赤なんですけど。無理だと思ってるよね!?」


明らかに笑いを堪えている様子の大精霊は、無言で顔を背けた。クジョウが純情を捨てるのは、よっぽど難しいと思っているらしい。失礼な。


「クジョウ、そなたはよき男じゃ。さぁさぁ。早うセイレーンたちの元へ行ってまいれ」


「あしらわれた!」


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