精霊の守り石
「水浴びならもう終わったぞ」
「違うから! 覗き魔扱いしないで!」
異世界探索二日目。ウンディーネの森である。
前回と同じく、草原のど真ん中を予想していたが、案に相違して、件の湖に出迎えられた。もちろん、瞬速で視線を逸らしたことは言うまでもない。ナイアデスのお姉さんはいなかったけれども。
美しき大精霊は、「なんじゃ。てっきり純情とやらを捨てに来たのかと……」と小首を傾げて呟いた。
飄々とした声色からは、本気なのか、からかわれているのか判然としない。だが、うっすらと口元が弧を描いていることから察するに、どうやらウンディーネはこの状況を楽しんでいるようだ。俺にとってはわりと一大事なんだけどね。
でもまぁ、来訪を敬遠されていないようでよかった。
俺の仕事は、こちらの世界を探索し、記録することだ。ワイバーンの一件から、人間はこちらの世界では、即お陀仏リストの最上位にいることが明らかとなった。死神と一緒に旅をしているようなものだ。そのような状況で――たとえ指先からチョロ水程度の力だとしても――ウンディーネと契約できたことは、正直かなり心強い。力以前に、この世界の案内役を得られたことに大きな意味がある。
それはそうと、早速ウンディーネと再会できるとは、何とも幸先が良い。尻の座りは早々に解決できそうだ。ひょっとして、あちらからこちらへ再度渡航すると、前回帰還したポイントに出現できるのだろうか。
「さぁのう。二度こちらを訪れた人間はそなたが初めてゆえ、何とも言えぬ。それにそなたはわらわと契約しておるしの」
「あ、そっか。その影響もあるか」
ウンディーネの眷属として、彼女のテリトリーに召喚された可能性はある。
「ていうか、二回来たの俺だけなのね……」
入口はネスタ社が管理しているから、当然、これまでの渡航者は会社が把握しているはずだ。アリシアさんによれば、俺の前の渡航者は二人。ランドル先輩と、もう一人のラボメンバー。二人とも、渡航は一度きりだったようだ。
しかし、ネスタ社もやりおる。入口に制限があったらどうしていたんだ。渡航できるのは一人一回限りとかさ。下手をすると、異世界探索が肩書きのデスクワーク要員を雇用する羽目になっていたかもしれないのだ。未確認のまま、よく俺と雇用契約を結んだものだ。
「社長が大らかなのか……いや、案外アリシアさんのゴリ押しのような気がする……」
「何じゃ、ブツブツと。それよりそなた、わらわに用があるのか?」
「あっ、そうそう! 教えてもらいたいことがあって……」
ネスタ社の懐の深さはひとまず置いておき、謎の物体Xを見つけた経緯をウンディーネに伝える。
「これなんだけど……」
既に呪われていたらどうしようとビビる俺を後目に、大精霊はポケットから恐る恐る取り出された石を眺め、至極あっさりと言った。
「シルフの守り石じゃな」
「シルフって――シルフィード? 風の精霊の?」
なぜそんなものが俺のポケットに――?
新参者の俺がこの世界で出くわしたのは、ウンディーネとその眷属のニンフ、それから、ワイバーンとピクシーだけのはずだ。シルフィードとは出会った記憶がない。
「そなた、ピクシーの命を救ったじゃろう。眷属を助けた礼じゃ」
「あぁ、なるほど……しかし無造作だな」
姿も見せずに礼をポケットに放り込むとは。
シャイなのか、大胆不敵なのか――否、もしかして。
「ここがウンディーネの森だから?」
昨日俺は、ワイバーンと遭遇した草原と、この森以外には立ち入っていない。要するに、ずっとウンディーネの近くにいたわけだ。精霊にも縄張り意識のようなもの――別の精霊の棲家では姿を見せないとか――があるのだろうか。
「あやつらにそのような慎みはない」
大精霊はどこか遠い目をしている。
「サラスの阿呆は言うまでもないとして、シルフは何を考えているのか分からぬし、ノーム翁はそもそも考えておるのかすら分からぬ。やつら、見てくれだけは立派なのじゃが、もう少し四大精霊に相応しい振る舞いができぬものか」
「なんか大変そうだね……」
精霊界の秩序はよく分からないが、ウンディーネが苦労しているらしいことは分かった。
三精霊には縄張り意識がないとしても、ウンディーネは、シルフィードの眷属であるピクシーを自身の森へは連れてこなかった。彼女にとってそれが礼儀ならば、他の精霊は慎みがないように思えるのだろう。
「――ん? だったら、なんでポケットに?」
縄張りに頓着しないのならば、眷属を助けたお礼くらい、手渡してくれてもよさそうなものだが。もしくはせめて、メッセージをつけるとか。さすがに放り投げることはしなかったが、見覚えのない物体がポケットから出てきたのは、ちょっとビビった。それに、ウンディーネがいなければ、これがシルフィードからの贈り物とは分からなかっただろう。
「あれは気まぐれじゃからな。滅多に姿は見せぬ」
「そうなの? ウンディーネにも?」
「わらわにそのようなフザけた真似をしおったら戦争じゃ」
「そ、そっか……」
美貌の大精霊に凄まれ、一歩後ずさる。しかし、俺は気付いてしまった。
シルフィードは、俺がウンディーネに石の正体を尋ねると踏んでいたのでは。そして、ウンディーネなら、先刻のように答えてくれることも分かっていたのではなかろうか。
なんか上手いこと使われているのはいいの――? と、喉まで出かかった言葉は呑み込んだ。これは言ったらダメなやつ。戦争になるやつ。
それにしても、もしやウンディーネって、精霊界のキリハラさんなのでは。
「――クジョウ」
不意に、大精霊のトーンが一段階下がった。
俺の失礼な思考を読まれたかと、一瞬ドキリとしたが、どうやら違うらしい。
ウンディーネの纏うオーラがピンと張るのが分かった。真面目な話のようだ。
「そなた、その石をどうする気じゃ」
「どうって……ありがたくお守りにさせてもらうつもりだけど……ここじゃ、何があるか分かんないし」
なにせ初日に死にかけたくらいだ。
肩を竦めると、大精霊はなぜか考え込むような素振りを見せた。
「そうか」
「え、なんかまずいの?」
少しの間、沈黙が流れる。
「――クジョウ。我ら精霊の守り石には加護がある」
「うん……」
「悪いようにはせぬ。それはそなたの世界で祀っておけ」
四大精霊の守り石ともなれば、かなり強大な加護がありそうだ。命の危機をも救ってくれそうな。しかし、それならば尚更、元の世界よりも、ドラゴンや妖精の棲息するこちらの世界に持ってきた方が、よっぽど効果を発揮しそうに思えるのだが――。
あっちの世界で必要になるのか――?
美しき大精霊はそれ以上何も言わなかった。ただ静かな眼差しだけを返してくる。
「……わ、分かった。そうするよ」
なぜあちらの世界がよいのかは分からないが、ウンディーネがそう言うのなら、何か理由があるのだろう。大精霊の言葉の裏に悪意があるとは思えない。仮にも、俺だって眷属なわけだし。
そもそも、これが守り石であることすら、ウンディーネがいなければ分からなかったことだ。俺は素直に、ウンディーネの言う通りにすることにした。
「よい心掛けじゃ」
ふわり。
ピンと張っていたオーラが撓み、ウンディーネの纏う空気が軽やかになる。大精霊が微笑んだように見えたが、瞬きの後にはもう見慣れた澄まし顔に戻っていて、俺は思わず目を擦った。
「ところでクジョウ、此度はそれを尋ねに来ただけか?」
「うん。それが一番の目的ではあったんだけど……」
謎の物体Xの正体が判明し、尻の座り改めアリシアさんのお願いは達成したわけだが、俺の職務――異世界探索兼記録は始まったばかりだ。
これからはこちらの世界を頻繁に訪れるだろうから、ウンディーネには事情を話しておいた方がよいかもしれない。探索するにしても、地図もなければ、右も左も分からないわけだし。四大精霊の一角に話が通じていれば、何かと心強い。
「――というわけで」
高等部修了からネスタ社就職までの経緯――要するに俺の黒歴史――は割愛させていただき、ネスタ社がこちらの世界への入口を所有していること、俺はそこで異世界の記録を担っていることをウンディーネに伝えた。
ウンディーネは、俺の異世界探索に、特にこれといった当てのないことを確認すると、ふむと顎を撫で、
「それならばそなた、ちと付き合え」
と言った。




