彼方から持ち帰ったもの
「……この石がクジョウ様のポケットに――」
「そうなんです。心当たりがなくて……ネスタ社の備品じゃないですよね?」
様々な意味で夢のような一日が終わり、翌日、俺はネスタ社の特務社員として、超話題企業に出社を果たしていた。社員証のおかげで、正門から堂々と入ることができる。身体チェック地獄からも解放された。
ちなみに、俺の職分は研究ではないが、デスクの用意が間に合っていないとのことで、ひとまずはラボに身を置くこととなった。とはいえ、ラボの個室は研究員が使用しているため、キリハラさんが無茶振りに応えてDIYを行った猫足テーブルを使わせてもらう。設置後ようやく日の目を見た我が子を思い、キリハラさんは朝から涙目だった。
そして、キリハラさんの執念――または怨念――によるものか、猫足くんに落ち着けた腰は案外快適だった。これだけのスペースを一人で使わせてもらえるのなら、専用デスクなど必要ないかもしれない。あちらの世界への入口もラボ内にあるわけだし。しかも、研究員は普段自室に引きこもっているそうだから、アリシアさんとキリハラさん時々ランドル先輩を除けば、この場所もほとんど人の出入りはなさそうだ。ここで十分な気がする。
この二年間、日銭を稼ぐための三文記事を自宅で拵え続けてきた俺にとって、社員証を引っ提げて出社することすら、「俺、社会人やってるやん」状態なわけで。むしろ、ある程度同僚に囲まれながら働くことの方が、今の俺には必要なのかもしれなかった。
ということで、ラボ責任者のアリシアさんに猫足テーブルの間借りをお願いしてみたところ、快諾を上回るイエスで――「クジョウさまがお望みでしたら」とハグされた――俺のデスクは猫足くんに決定した。
そんなこんなで、あらかた昨日の初探索記録をまとめ終えた俺は、昨夜ポケットから見つかった石について、二人に確認してみることにしたのだった。
そこで冒頭の会話――なのだが。
「……いいえ、クジョウさま。社の備品ではありません」
石を目にした途端、明らかに二人の顔色が変わった。アリシアさんは憂いを帯びた表情でキリハラさんを見ている。
「……キリハラ」
「……おそらく、あちらの世界のものでしょう」
キリハラさんが浮かない顔で答えた。心なしか緊張しているようにも見える。
何やら深刻そうな様子だ。
「ん――?」
いや、ちょっと待てよ。この石があちらの世界のものということは――。
取り返しようのない失態に気付き、俺は一瞬で血の気が引いた。
「……社外持ち出し……」
ネスタ社との専属契約において、一番の肝であった守秘義務の徹底。
――ネスタ社及び異世界において――つまり、職務上知り得たすべてのことについて、ネスタ社の許可なく、いかなる情報も持ち出さないこと――。
ダメじゃん。
ネスタ社の備品じゃないですよねハッハー、じゃないよ。何をのんきな。
「マジか……」
二日目にして早くも契約違反を犯してしまった。二人が深刻なムードになるわけだ。ネスタ社に届く膨大なメールすべてに目を通し、苦労して捕まえた特務社員がたった二日でクビになるなんて、コスパが悪すぎる。
それにしても、こんなにも早く約束を反故にするとは、つくづく俺は社会人に向いていないようだ。自分がろくでもないことは自覚していたつもりだったが、輪を掛けてとんだ無責任野郎であることが判明した。
「クジョウ様……」
「……えぇ。分かっています。こんなことをしでかした挙げ句、お二人に契約切りを宣告させるのは忍びないですから――クビですよね」
「……はい?」
「やっぱり……。本当に短い付き合いになってしまってすみません――昨日の探索記録のデータをお渡しします。持ち出し厳禁ですから、クラウドにもバックアップはとっていません。自己申告だけでは不安だと思いますので、どうぞ調べてください。社員証は返却を――あ、退社する前に社長とランドル先輩に挨拶だけ……」
「ク、クジョウ様、お待ちください! クビとは一体……」
「え?」
戸惑い顔のキリハラさんと目が合う。気付くと、アリシアさんも目を丸くして俺を見ていた。
「ぼくは契約違反でクビになるんじゃ……」
「なんですって――誰がクジョウ様にそんなことを!」
「いや、否定されなかったので、てっきり……」
「キリハラの相槌が分かりにくいのです」
「わ、私のせいで……」
ガーン。絶望を体現したまま、キリハラさんが固まった。背後に漫画的オノマトペが見えた気がして、俺は目を擦った。
「クジョウさま、キリハラが申し訳ありませんでした。クビだなんて、とんでもないことです」
「あ、いえ、もとはといえば、ぼくが――」
「ところでクジョウさまは、この石をどなたかにお見せになりましたか?」
「え? いや、昨日は夕飯を買ったきりで――今朝は寄り道もしていませんし、誰にも……」
「石についてのお話もなさっていませんね?」
ずい、とアリシアさんが距離を詰めてくる。
「は、はい……」
「でしたら、問題ありません」
小さくなったキリハラさんに氷点下の眼差しを向けていたアリシアさんから、打って変わって可憐な笑顔を向けられた。どうやら俺はクビを免れたらしく、そしてアリシアさんはそのことを喜んでくれているようで、とても光栄ではあるのだが――。
相変わらず近い、近すぎる。
限界距離(俺の心臓)で微笑む美女は、なぜか小首を傾げたまま、微動だにしない。
「ア、アリシアさん?」
「はい、クジョウさま」
躊躇いがちに呼びかけるも、素敵な笑顔で返された。美しい。いや、そうじゃなくて。
お嬢さま、距離が近過ぎます。
「ど、どうかされましたか?」
「わたくし、クジョウさまにお願いがございます」
「は、はい。なんでしょう?」
「その石についての情報が欲しいのです」
「これの――?」
「はい。その石は現時点で、唯一あちらからこちらに渡ってきた物です。それも、クジョウさまのお話を伺う限り、クジョウさまのご意思ではございませんね」
アリシアさんの言う通り、石は気付いたらポケットに入っていた。向こうで拾った覚えはないから、何かの弾みにポケットインしたか、または何者かにインされたかだろう。
「もちろん、無理のない範囲で構いません。勝手の異なる世界でおひとりですから――」
「――いえ。大丈夫だと思います」
当てもなく情報を集めるのは難しいが、俺は昨日の探索で、幸運にも会話のできる相手に出会っている。
ウンディーネに訊いてみよう。
「今日の探索で調べてきます」
「クジョウ様、ご無理はなさらず――私も石の正体は知りたいのですが、このアリシアの願いが最優先されるのはどうにも癪で――」
「いえ、キリハラさん。ぼくも知りたいんです」
気遣わしげなキリハラさんに手を振る。後半に苦労人の心の声が聞こえたような気がしたが、たぶん空耳だろう。
不思議な輝きを放つエメラルドグリーンの物体。冷静に考えてみれば、異世界の石なんて、何か魔力的なものが宿っていてもおかしくはない。ポジティブな力ならよいが、呪い的なものだったらどうしよう。しかも、意図的に俺のポケットに放り込まれたのだとすると、俺は既に影響を受けているかもしれないのだ。
そう思うと、何だか右腿のあたりがゾワゾワしてきた。これは俺自身のためにも、一刻も早く大精霊に尋ねなければ。
「さすがはクジョウさまです。どこかのキリハラとは比べものになりませんね」
「あ、いえ……キリハラさんのお気遣いにはいつも助けられていますよ」
相変わらず美しい笑顔で俺の両手を握り、ようやく身体を離したアリシアさんとは対照的に、こちらのキリハラさんは暗い影を背負っていじけている。さすがにそのままにはしておけないので、一応フォローを入れておく。切ない視線が返ってきた。
「じゃあ、ぼくはそろそろ……」
美女と苦労人の攻防にも興味はあるが、今はとにかく、謎の物体Xの解明が最優先だ。これの正体が判明しないことには、尻の――否、腿の座りが非常に悪い。
「行ってらっしゃいませ、クジョウさま」
「どうかお気を付けて」
そんなわけで、陰陽二つの笑顔に見送られながら、俺は人生二度目の異世界渡航を果たしたのだった。




