そんなバカな
「クジョウさま!」
「ぐふっ」
おかえりなさいませ、と可憐な声とは裏腹に、猛烈な勢いでタックルをくらい、俺の身体は大きくよろけた。揺れるアメジストの髪、甘い香り。アリシアさんだ。
一拍遅れて焦点を結んだ視界がクリアになる。ネスタ社のラボだ。
元の世界に帰ってきたらしい。
「ただいま戻りました……」
不意に脱力感を覚え、アリシアさんにしがみつかれたまま、後ろのテーブルに背を預ける。
特に意識していたつもりはないのだが、あちらでは相当に気を張っていたらしい。戻ってきたと認識した途端、全身に疲労感が広がっていった。
「いい加減離れろ。クジョウ様はお疲れだ」
ぬっと伸びてきた腕が、アリシアさんの首根っこを掴んだ。もはや見慣れた光景に、安心感すら覚える。
「クジョウ様、どうぞあちらに落ち着かれてください。温かいお飲み物をお持ちします」
「あぁ……ありがとうございます」
紳士に示されたイスに腰掛け、淹れたてのコーヒーを受け取った。ふぅ、と息を吐く。
「記念すべき最初の探索はいかがでしたか」
「えぇ、まぁ、なんとか……死ぬかと思いましたが」
「死!?」
きょとんと首を傾げるアリシアさんとは対照的に、キリハラさんはぎょっとした表情を浮かべた。
「ク、クジョウ様、それはどどどどういう……」
「向こうに着いてすぐ、大型の翼竜に出くわして――危うく丸焦げになるところでした。それにしてもランドル先輩はさすがですね。先輩もあの状況を乗り越えて、しかもナイアデスのお姉さんに――いや、それはともかく……人生経験の差を痛感しましたよ」
「……クジョウ様、そのお靴は……」
「え? あぁ――」
間一髪でした、と爪先を指さす。焦げた靴を目にしたキリハラさんは、卒倒するのではと心配になるほど真っ青になり、わなわなと震えだした。
「まさかそれほど危険な場所とは……完全に我々の認識不足が招いた失態だ……大した用意もなくクジョウ様を送り出すなんて……」
「あ、いや、そんな……ていうか、ランドル先輩も乗り越えたみたいですし」
「ランドルも……?」
「落ち着きなさい、キリハラ。クジョウさまはご無事だったのです」
「……ランドルは危険性を認識していたということですね。それなのに――」
「いや、ランドル先輩はちゃんと報告していたみたいですよ」
『グリグリ。ファサー。
バサバサ。ゴー。
わー、ポテッ。クルクル、ひょい、モグモグ。
ありがとう。』
例の暗号文書について、俺は解読結果を二人に伝えた。
「素晴らしいです」
さすがはクジョウさまですと、目を輝かせるアリシアさん。
対照的に、俯くキリハラさん。
「………………か」
「キリハラさん?」
「分かるか!」
苦労人の心からの突っ込みがラボに響き渡った。
「キリハラ。落ち着きなさい」
「ランドル! ランドルはどこですか。出てきなさい!」
「ランドルはいませんよ」
「勤務時間中だぞ!」
「ねんねの時間です」
「そんなバカな」
ぷしゅー。
キリハラさんの両耳から白い煙が発出された。どうやら限界を突破したらしい。
それからは何を話しかけても、「ソンナバカナ」としか言わなくなったキリハラさんを何とか部屋に運び、セキュリティ認証登録を済ませ、社員証と契約書の控えを受け取り、俺はネスタ社を後にした。
さすがに今は疲労困憊で、何もできそうにない。今日の記録は明日、ネスタ社で書き起こそう。
要塞のようなゲートを仰ぎ見る。長い一日だった。
「ペヤング買って帰ろ……」
就職先に背を向け、ようやく帰路についたところで、
「ん?」
棒のような足に違和感を覚え、俺は立ち止まった。
ポケットが妙に重い。夕飯購入用に忍ばせた財布の重さだけではない。
「……なんだこれ」
恐る恐る取り出した右手には、エメラルドグリーンに輝く鉱石のようなものが握られていた。




