大奮闘の真相
「そなた、あれと対峙して身の危険を感じたか?」
「それは、まぁ……」
異世界に来ていきなり、巨大な翼竜と対峙する羽目になるとは思っていなかったわけで、簡単に言うと心の準備ができていなかった。そんな状態で、あの牙の太さ、強靭な顎を目の前にして、恐怖を覚えなかったと言えば嘘になる。
「じゃが、そなたを標的にするとは思わんかったじゃろう」
「……え? 言われてみれば……」
石を投げつけた直後でさえ、ワイバーンは俺に興味のない様子だった。俺はあの鋭い瞳孔を一度も向けられていないし、そもそも、ピクシーを標的にしていたのかも疑問だ。棲息地がこのあたりでないのなら、わりと長い距離を追いかけっこしていたはずだが、二体を繋ぐ糸が切れて以降、ワイバーンはピクシーを追う素振りを見せなかった。
だが、あのワイバーンは明らかに荒れ狂っている様子だった。てっきり、標的を追いかけていたからだと思っていたが、あれが平常時の状態なのだろうか。
否、最後に思い切り火焔を吐いておきながら、攻撃の意思がなかったとは考えにくい。平常運転であれだけぶっ放していたら、とっくにあの草原は焼け野原になっているはずだ。
「あれは火焔ではない。せいぜい火球止まりじゃ」
「火球……火の玉ってこと?」
大精霊は頷いた。
「火焔は精霊と契約したものでなければ操れぬ。精霊は上位種と契約を結ぶものじゃ。ワイバーンのような下位の眷属とは契約せぬ」
「ワイバーンの上位種って……」
「ドラゴンじゃ」
つまり、竜族の上位種であるドラゴンが精霊と契約している以上、その眷属――下位に属するワイバーンに精霊の力を用いる――火焔を操ることは不可能である、と。
「でも、火の玉が出せるってことは、上位種の契約は眷属にも影響するってこと?」
「せぬ」
「え? いや、でもワイバーンは……」
「……ワイバーンは火球を出したりせぬのじゃ」
どういうこと、と眉根を寄せると、大精霊は再び大きな溜息を吐いた。
「これじゃ」
すい、とウンディーネが片手を揺らす。水の粒子がヒトデのような形を作り、ひとりでに動き出した。ゆらゆらと揺れるように地面を歩いている。
「なんかかわいいな」
水の妖精、水の子といった感じだ。
「わらわが動かしておる」
水の子は俺の足元からぴょんと跳び上がり、軽快なステップで身体を伝い、あっという間に俺の肩に飛び乗った。何やらダンスをしている。
「この子が……?」
「このように作り出された精霊の一部が、ワイバーンの中で悪さをしておったのじゃ」
「え……」
「精霊にサラマンダーという阿呆がおってな。こやつの一部が支配下を離れ、哀れなワイバーンの中に入り込んだのじゃ。ふつう、我らの一部が支配下を離れることはないのじゃが」
おおかた居眠りでもしている隙に感知できなくなったのじゃろうと、呆れたように付け加えた。
「あのワイバーンはそなたらを標的にしていたわけではない。このような存在が内で暴れておったら具合は悪かろう。幸い、数発の火球で解放されたようじゃな」
ランドル先輩が受けた一発と、俺とピクシーが受けた一発。おそらく、そのほかにも何発か吐き出しているのだろう。飛び去る直前に小さく放たれた残り火のようなものが、最後だったに違いない。心なしかスッキリとしたように見えたのは、そういうことだったのだ。
「戻れ」
再びウンディーネが片手を振るい、水の子は大精霊へと還っていった。
「ピクシーは単に糸が絡まっただけじゃろう。あやつらは緑のボロを着ておるからな」
「それで俺たちに親切に――? でも、それって、サラマンダーの不始末なんじゃ……」
「ワイバーンだけなら放っておくが、そなたらは此方に生くるものではない。あの阿呆の不始末でそなたらが死んでしもうたら、わらわにとっては精霊の名折れじゃ。それに、わらわの森の近くで騒がれてはかなわん」
ニンフの目覚めもよくないしの、とウンディーネは頭上を指さす。つられて見上げると、樹木の枝に同化した女性が現れた。俺はすぐさま下を向いた。
分かっている。それが彼女たちの常とはいえ、服を――服を着てください。
「ドライアドは木に宿るニンフ――そなたを感知し、わらわに知らせたのは、そやつじゃ。木々と一体化しておるゆえ、森の危機にも敏感でな。感知能力が高い」
「へぇ……あ、ありがとうございます」
ドライアドの宿る木に向かって頭を下げる。
「ちなみに湖のニンフはナイアデスという」
「そちらは振り向きません!」
「強情な奴じゃの」
障りないと言っておるに、とウンディーネは呆れた顔をした。
俺の純情には大いに障りがあるのだ。振り向くわけにはいかない。
「まぁよい。それで、クジョウよ。サラスの阿呆のおかげで、そなたには迷惑をかけた。何か望みがあれば申してみよ」
サラスはサラマンダーの略称のようだ。普段はそう呼んでいるのだろう。
それにしても、望み――望みねぇ。俺はこの世界に来たばかりで、未だルールすら掴めていないのだ。そもそも、何を求めることができるのかさえ、見当がつかない。
無難に果物をもらっておくか。ランドル先輩も頂いたみたいだし――いや、待て。
ここで果物を要求すると、またしてもナイアデスのお姉さんと純情をかけて凌ぎ合う羽目に――ウンディーネが、「そなた、持ってまいれ」とお姉さんに指示するのが目に浮かぶ。
「あれ、ていうか……」
同じシチュエーションだったとすると、ランドル先輩も――。
『おとこ、ランドル、一人旅』。
裸体の女性に果物をサーブされるなんて人生経験を、既に積んでいるのか。
「ダメだ、勝てない……」
さすがは先輩だ。経験値が違いすぎる。
「なにをブツブツと……望みは決まったのか?」
怪訝そうな顔でウンディーネが覗き込んできた。
そうだ。今のところ、ネスタ社の、そして人生の先輩たる天才ランドルに勝てる気はしないが、ネスタ社の特務社員になった以上は、俺だって役目を果たしたい。この世界を記録するためには、これから何度もこちらに足を運ぶ必要があるだろう。
今回は運がよかったものの、ここを訪れる都度、あのような危機的状況に陥っていては、命がいくつあっても足りない。
何か身を守る力がほしい。
ここは精霊や幻獣の世界だ。人間は生息していない。つまり、人間の眷属や上位種は存在しないはずだ。だったら俺にも可能性はある。
だが、このような大それた望み、精霊は受け入れてくれるだろうか。
美貌の精霊と目が合う。意を決し、俺は口を開いた。




