大精霊との出会い
「*****、*****」
水流でぼやけた視界に様々な色が揺れている。深い緑、くすんだ金色、そして、一際強い印象を放つサファイアブルー。
突如現れた水柱とともに、俺の身体はどこか別の場所に移されたようだ。さきほどまでワイバーンと対峙していた草原とは明らかに違う。だが、水流に囚われている視界は判然とせず、声を出すこともできなかった。
というか、息ができない。
「***、*****?」
何やら声が聞こえるような気もするが、耳鳴りのような水音の間隙を縫い、その声を捉えるのは至難の業だった――というか、そろそろ息が限界だった。
これはまずい。せっかく九死に一生を得たのに。翼竜との邂逅から奇跡的に生還し、俺は人生の運を使い果たしてしまったのだろうか。
ぐらり。頭に靄がかかる。
意識が次第に遠のいていく。
「****? いかん。うっかり息の根を止めてしまうところじゃった」
「――っは……ごほ、ごほっ」
次の瞬間、俺は盛大に咳き込みながら、なんとか肩で息をしていた。
なんだか恐ろしい台詞がのんきな声で聞こえた気がする。
「……はぁ、はぁ」
視界が歪み、もうダメだと思った瞬間、水流は音もなく消え去り、俺の肺はフル回転で活動を再開させた。
この世界に来てから、どのくらい時間が経過したろうか。既に二度も死にかけているような気がするのだが――ネスタ社との給与交渉ミスったかな。割に合わない気がしてきた。
呼吸が整うにつれ、色々な意味で疲れを感じるとともに、視界がクリアになってきた。足元には黄褐色の地面が広がっている。肌寒さを覚え、両腕で肩を抱きつつ目線を上げると、深緑の木々が陽の光を遮っているのが見えた。どうやら森の中のようだ。
ぼやけた視界が捉えた緑は、この色だったのだろう。
そして、くすんだ金色は――。
「――っ!」
何気なく横を見遣り、俺は速攻で顔を背けた。
湖に裸体の女性がいる。
水深は浅いようで、腿まで剥き出しの状態だ。幸いなことに、絹糸のような金色の長い髪が大事なところをすべて隠してくれていたが、俺にとっては瞬間でオーバーヒートものの刺激が強すぎる光景だった。ほっぺにちゅーどころじゃない。
しかも多分、目が合った。
「ち、違います、意図して見たわけじゃないんです。ていうか何も見ていません」
いや、何も見ていないわけではないけれども。でも、おそらく、見たら絶対アウトな部分は見ていないわけで。だから多分、お姉さんの純潔とクジョウの純情は保たれるわけで。
「いや、あの、ほんとにすみません。全然そういうつもりは――あ、俺、頭打ちましょうか。そこの木の根でパーンって。バッチリ記憶飛ばしちゃいますね!」
いくら定職にも就かず、ふらふらしていたダメ人間とはいえ、俺は覗きなんて卑劣なことはしない。だが、図らずしも今、俺は犯罪に手を染めてしまったのだろうか。
「どどどどうすれば……」
お姉さんからの反応はない。もちろん、一瞬で首をぐりーんと回して以降、再びお姉さんを見ることなどできるはずもなく、俺は立ち並ぶ焦げ茶色の幹相手に語り掛けているのだが――しかし、お姉さん、なぜ無反応なんだ。
まさか、あまりのショックで口もきけなくなってしまっている、とか。
いや、でも、たとえ悲鳴を上げられなくても、俺が顔を背けている間に服を着るとか、水の中に潜るとか――そんな物音すらしないのはなぜだろう。
まさか、あまりのショックで身が竦み、動くことすらできない、とか。
あぁ。
俺はなんということをしてしまったんだ。きっと、これまでに経験したことのない大変な恐怖を与えてしまったに違いない。
「ほんとすみませんでした。ごめんなさい!」
ええい、これはやはり、頭パーンで記憶を吹っ飛ばすしかない。
俺の心境とは対照的に、微動だにしない木の根に向かい、土下座の体勢から頭を振りかぶる。
「……そなたはなにを言っておるのじゃ」
「え?」
呆れたような声とともに、頭パーン一歩手前で、俺の身体は柔らかな水流によって、元いた場所に戻された。
「さきほどはすまんかったの」
そなたは水中で息ができんことを忘れておったと、その存在は眼を細めた。
瑞々しい肌、艶めく肢体。宝石を嵌め込んだような瞳に、くっきりとした鼻梁。黄金比を一ミリも乱さない、完璧で、この世のものとは思えない美貌。そして、全身を覆う神々しいまでの絶対的なオーラ。
「わらわはウンディーネ。そなたの名を聞かせておくれ」
サファイアブルーの精霊はそう言って、魅惑的な笑みを浮かべた。




