二章 上
善は急げということで、紬と雫はさっそく一本目の杭を目指して歩きだしていた。町の人々に雫が見つからないよう、住宅地はなるべく避けて移動する。
幸い杭のある場所はどこも人が住んでいない未開の地らしく、野生動物にさえ気を付ければ大した危険はないそうだ。
「まだ歩けますか?」
紬の顔を覗き込みながら雫が言った。確かにもう二時間は森の中を歩いているが、幼い頃からパルクールクラブに所属していた紬の体力にはまだ余裕があった。
「全然余裕! このとおりよ!」
そう言いながら軽やかに宙返りをして見せた。
「こら、怪我したらどうするのですか」
顔をしかめながら雫が咎める。
「ちぇ」
あからさまに頬を膨らませながらそっぽを向く。すると、木々の隙間から岩肌の窪みにいくつもの角材で蓋をされた牢を見つけた。中にもぞもぞと動いている人影も見える。
「雫さん、誰かいる」
雫の袖を引き、静止させながら牢の方を指差した。雫も差された方へ視線を向ける。
「あれは……忌み子ですかね。ほら、肌が不自然に白いでしょう。そういった人は人里離れた場所に隔離されるか、最悪殺されるんです」
表情を一切変えずにそう言った雫は、踵を返してから紬の手を取った。
「あれに関わるだけ無駄ですよ。まともに食べて無い様ですし、じきに死にます」
「えっ、待ってよ! 出してあげないの?」
引かれる体をなんとか留めながら抗議する。
「駄目です。脱走が町の者にバレたら間違いなく捜索が始まります。そしたら杭を引き抜くのにも支障が……」
雫が言い終える前に紬が走り出す。そのまま角材を折ろうと勢いを止めずに体当たりした。角材はびくともしない。
「……?」
ふらつく体を両手で支えながらなんとか上体を起こした子供が、牢の中から紬を見つめる。真っ白な肌と髪をしていて目は赤い。アルビノなのだろう。傷んだ髪は腰の辺りまで無造作に伸びきっており、それだけで扱いの酷さが伺える。服も所々穴の開いた薄汚い布切れ一枚だ。
「お、にいさん?」
疲労で前がよく見えないのか、紬を誰かと見間違えている。紬は出来る限りの優しい声色で彼女に話しかけた。
「私は紬。すぐ出してあげるからね」
「雪菜のこと助けてくれるの……?」
雪菜と名乗った彼女がゆっくりと頷いたのを見た後、紬は再度角材に体当たりをするべく助走距離を確保する。しかし、走り出そうとした寸前に雫によって抱きかかえられてしまった。
「そんなことをしても壊れませんよ」
「余計なお世話だわ! 邪魔しないで!」
ぶんぶんと手足を振って藻掻く紬を軽くなだめながら雫が牢に近づく。
「手伝ってあげます」
そう言った瞬間、一刀両断された角材が頬を掠めた。紬は唖然と大穴の開いた牢だったものを見つめている。
「ほら、これでいいのでしょう?」
「ありがと。……あっ! 大丈夫だった⁈」
雫に降ろしてもらった紬が雪菜の元へ駆け寄った。すっかり衰弱していて、素人目でも危険な状態だとわかる。
「その子、どうするのですか?」
「病院に連れて行ってみる。私の世界ならきっと助かる!」
「……では乗ってください」
屈んだ雫が背中を見せた。瞳孔が引き締められており、狩りをしている猫のようになっている。
「音を聞きつけた者が来るかもしれません。走るので落ちないでくださいよ」
「うん!」
雪菜を雫に受け渡してから紬は体を背中に預けた。
※
「飢餓というよりは脱水状態が主な症状ですね。見た目より酷くはありません。三日ほど点滴などの処置をすればすぐ良くなりますよ」
病院に駆け込んでからあっという間に検査が終わり、紬は医者から説明を受けていた。
雫は鳥居を潜ることが出来なかった為、途中からは紬がおぶって走ったが間に合ったようだ。始めは子供がボロボロの子供を連れてきたことに驚かれたが、雪菜の様態を見た医者が説明を保留にしてくれて助かった。
「なので……」
先程とは打って変わって神妙な面持ちになった医者を見て、紬は身構える。何があって彼女を連れてきたのか尋ねるつもりなのだろう。しかし、起こったことを正直に話したところで納得してもらえるはずがない。よし、逃げよう。
「じゃあまた来るので!」
それだけ言い残し勢いよく走り出す。先程まで居た診療室から医者の怒号が鳴り響いていたが、それは聞かなかったことにした。
なんとか医者を撒いてから雫の元に戻った。雫は縁側に座り、じっと紬を待っていたようだ。
「雫さん! 雪菜ちゃん大丈夫そうだって!」
雫に駆け寄りながら状況報告を済ませる。何だかんだ言って雫も雪菜を心配していたのはおぶってもらった時に表情から確認済みだった。だが、どうやら今は違ったらしい。きょとんとした顔で紬を見つめていた雫が口を開いた。
「ゆきな? 誰の事です?」
「えっ、雪菜ちゃんだよ! 牢に捕まってた子‼」
「ええと……」
本当に見当もつかないのだろう。表情から嫌でも嘘を付いてないことがわかる。つい先程まで抱きかかえていた子供を忘れるなんて、余りにも不自然だ。
それに、こんなことは前にもあった。嫌な想像が脳裏を過る。紬は何か重大なことをしてしまった予感を払いのけるように頭を振った。
「そんなことより、早く杭まで戻りましょう。今から出ればまだ今日中に帰ってこられます」
雫の意見も尊重したいが、今は一刻も早くこの状況をなんとかしたい。それに、今の雫には早く外に出たいという想い以外急いで杭を引き抜く理由は無いはずだ。そもそも、封印を解けると知った時もあまりがっつきはしなかった雫なら、一日くらい何てことないだろう。
「そんなに急がなくても、杭は逃げないよ」
「……確かに、それもそうですね。暗くなると危ないですし、出発は明日にしましょうか」
想像通り雫はすぐに身を引いた。前の雫なら、時間が経つと杭を引き抜きに行くこと自体難しくなることも覚えていたはずだ。やはり、何かが起こっている。
「じゃあ私は一旦帰るね。あとその前に、羊羹おいしかった?」
「急になんです? まあ、美味しかったですけど。また持ってきてくださいね」
返事を聞いた後、紬は山道と住宅街に挟まれた位置にある和菓子屋へ向かった。
店内に入って羊羹を探す。吉江は甘いものを食べたくなったらいつもこの店の羊羹を買ってきていた。人気もあったようで、外からでも見やすい位置に大きめの羊羹専用の棚が設置してあったのを見たことがある。
そんな羊羹が今日は見当たらない。品切れではなく、置いてあったはずの棚すら無いのだ。棚があったはずの場所には牡丹餅専用の低い机が置いてある。
埒が明かなくなった紬は、店主のお婆さんに直接羊羹の在り処を尋ねた
「ようかん……? 聞いたことないけど、洋菓子かい? 和菓子以外には詳しくなくてね。ごめんねぇ」
しわくちゃの顔を申し訳なさそうに歪めたお婆さんがそう言った。和菓子代表のような羊羹をこの人が知らないはずがない。もう何十年も作り続けていただろうに。
やはり何かがおかしい。この世界から羊羹、雫のいる世界から雪菜の存在が消えてしまっている。
羊羹はさておき、雪菜の存在が消えてしまったのはまずい。きっと雪菜だって前にいた世界に友人と呼べる人がいたはずだ。そうでなければ、紬が話しかけた際にあのような反応をするはずがない。あの時の安心した様な声色を思い出した紬は、背筋に冷たい不安が伝ったのを感じた。
その後、紬は帰路に着いていた。今考え事をしても何も変わらないと割り切り、明日の遠出に向けた支度を進める。しかし、雪菜の顔が脳裏を過り手が止まった。
またあの世界に物を持ち込んで大丈夫だろうか。封印の詳細を知らないまま行動するのは危険だ。そう思い立った紬は記憶を整理しだした。
まず、今まで紬があの世界に持ち込んだ物から考えていく。紬は羊羹以外にも身に着けていた衣服や面、何なら紬自身も持ち込んでいる。それなのに羊羹以外は無事な事から察するに、封印はあの世界に置いて来ない限り発動しないのではないだろうか。もしこの仮説が当たっていれば、雪菜の存在も助かる余地があるかもしれない。
そう思うと途端に肩の荷が下りたのか、強烈な眠気が襲ってきた。かなりの距離を歩いたのだ、無理もない。
最後の力を振り絞った紬は、なんとか寝支度を整えてから布団に潜り込んだ。
※
翌日、昨晩立てた仮説を証明しようと紬は苦手なピーマンを両手に持って家を出た。
片方のピーマンを地面に置いてから鳥居を潜り、雫にピーマンを渡す。それからもう一度鳥居を潜ると、先程置いたはずのピーマンが跡形もなく消えていた。そしてまた雫の元へ戻り、ピーマンを受け取ってから鳥居を潜って再度地面を見ると、そこにはやはりピーマンが落ちていた。
これで仮説が正しかったことが証明出来た。雪菜も助かると分かり安堵する。
地面に置いたピーマンを回収し、実験に付き合ってくれたお礼にとピーマンを雫にプレゼントした。これで元居た世界からピーマンが消えて紬は幸せになり、雫は知らない食べ物を貰えて喜ぶ。完璧な作戦だ。
「いや、駄目ですよ」
封印の仕組みを雫に伝えた瞬間にそう突っ込まれてしまった。
「なに消そうとしているのですか。自分の都合を世界に押し付けちゃいけません!」
正論である。何も言い返せなかった紬はおとなしくピーマンを元の世界に置いた。
「もういいですか? 行きますよ」
雫に手を引かれ出発する。一度歩いたことが影響し、牢があった地点まで難なく来ることができた。その勢いのまま進んでいく。
そのまま歩いて行くと、だんだんと景色が変わってきた。木々がまばらになり、傾斜がきつくなっていく。どうやら岩山に差し掛かったようだ。
成程、確かにここに人は住めないだろう。地面もすっかり岩だらけになっており足場も悪く、作物も育たない。元居た世界ならまだしも、環境と生活が強く結びついたこの世界では致命的だ。
「杭はこの先ですね」
紬から受け取っていた地図を見ながら遠くの方を雫が指差した。今でも十分
人里から離れているのにまだ歩くのか。疲れがたまってきた太ももを叩き、自分に喝を入れた紬はなんとか雫の後を追った。
これ以上は足が動かない。そう紬が考え始めた頃、二人は杭の前に到着していた。
杭は先端に怪しげな札が貼ってあり、一メートル程錆びた鉄が露出している。軽く触れてみたがびくともしない。かなりしっかりと地面に刺さっているようだ。
紬はまるで伝説の剣のようにそこに鎮座している杭に若干の高揚感を覚えつつ、目の前に立った。
「よし、いくよ……」
覚悟を決めて杭を握る。足を踏ん張り勢いよく引き抜いた。始め触った感触は何だったのか、予想以上に簡単に引き抜けたため紬はバランスを崩し尻餅をついてしまった。
「いった~」
尻を摩りながら杭の方へ視線を向ける。そこには地面に空いた穴以外何も残っておらず、杭は既に消えていた。
「大丈夫ですか?」
雫が紬に駆け寄り、手を差し伸べたその時だ。突然どこからか黒い水の様な何かが溢れ出してきたのだ。黒い水は雫の方向へ濁流の様に押し寄せてくる。
雫は反射的に紬を抱えて岩の上に飛び乗った。その直後、水が岩にぶつかり二人を大きく揺らした。岩に亀裂が走る。それを見た雫は紬を落とさないように手に力を入れ、近くの木に移動した。
「雫さん何あれ⁈」
目を丸くした紬が雫にしがみつきながら口を開く。声は震えており、怯えているのがわかる。雫は周りを警戒しながら紬の背を軽く叩いてあやしてから答える。
「式神に近い気配を感じますね。妖術の類でしょう」
「ようじゅつ? あっ、あのお札もそれなの?」
「そうです。もう術師はだいぶ少なくなりましたけど、まだ式神を使える者がいたとは。いや、あれは平安の……」
雫がぶつぶつと何かを思案していると、紬がいつの間にか水が消えて無くなっていることに気が付いた。
「雫さん、降りよう」
足元を指さしながら紬が言う。雫は周囲を見渡した後、そっと紬を降ろした。
「なんかすごい疲れた……」
「そうですか? それなら今日は帰りましょうか」
「まだ行くつもりだったの⁇」




