最期の晩餐(1)
重美はあの日以来、美玖に料理を教え直しているようだ。確かに最近の美玖の料理は、丁寧さや栄養バランスもちゃんと考えられるようになっている。
今日の夕食は雑穀ご飯、味噌汁、焼き魚、納豆。味噌汁はニンジンやジャガイモの具がたくさん入っていてボリュームがあった。
『それにしても重美さんは元気になってよかった。また料理も復活させているみたいで私も嬉しい。好きなものってそう簡単には捨てられないよね!』
今日の夕食からも、美玖の想いが伝わってきた。重美の事も解決して何よりだ。
「今日の鮭も美味しいな」
「そうね。油乗ってるね」
重美の事が解決してからは、最近は何も起きない。平和すぎるほど平和だった。仕事も順調で、過去の作品の重版もいくつか決まり、執筆作業も順調だった。新作の企画も長田からOKをもらい、これも問題ない。富沢や飯島も何も問題ない。牧師の藤川からも、カナエもちゃんと改心した事を聞き、平和過ぎるほどに平和だった。
少し不気味に思うほどぼ平和さだ。何かの前触れかとも思うほどだ。嵐の前の静けさだと良いのだが、朔太郎ももう良い歳だ。何も無い平和過ぎる日常を愛していた。こうして最愛の妻と夕食が取れる事が何より幸せだと思う。明日死んでも悔いはない。これが最後の晩餐になったとしても朔太郎は満足だった。
「ところで、パート先のクレーマーはどうなった?」
平和過ぎる過ぎる日常の故か。すっかり忘れていた事も気になってしまう。
それにしても焼き鮭の皮は美味しい。油が乗っていてパリパリだ。朔太郎は鮭の皮は食べる派閥にいる。美玖は残しているが、こちらの思想を押し付けるのは紳士的ではない。食の好みの細かな違いはあるが、わざわざ他人に押し付ける必要は無い。中には自分の好みを押し付ける人もいるだろうが、朔太郎は弁えていた。もし、自分の食の好みを人に分かって貰いたいと思うのなら、紳士的な態度の方が良いのかもしれない。
「ああ、あのクレーマーね……」
話題がスーパーに現れるクレーマー、通称疫病神の事になると、美玖は露骨に顔を顰めていた。
「何か、問題?」
「いや、上の方の方針で、こういうお客さんに店員が話を聞いたり、スローなレジを作るっていう企画があるらしいんだけど」
「おお、いいじゃないか」
「いやよー。厄病神の話し相手なんて。時給があと五百円あがったら、考えてもいいけどね」
「だったらいいじゃないか。美玖にも向いてるんじゃないか?」
「嫌だー」
そうは言っても、美玖は満更でも無い様子ふぁった。神経は太いが明るい美玖と一緒にいたら、元気になれる人も多いかもしれ無い。それは夫として確実に保証でる。
「でも、今日も厄病神が難癖つけてたわね。レトルトカレーの種類が少ない、もっと置いとけって怒られたわ」
「何でそんな事で怒るんだ?」
滅多に怒った事はない朔太郎は、不思議で仕方がない。なかったら他の店で買えばいいし、ネットで注文しても良いのではないだろうか。
「わからない。レトルトカレーマニアなんじゃないの? でもレトルトの牛丼や親子丼も置けとも怒ってたわ。実際、カゴの中にレトルトカレーいっぱい入れてたし、よっぽど好きなのかしら」
「そのクレーマーもいい歳なんだろ。レトルトカレーばっかり食べていて、病気にならんのかね?」
確か厄病神は、還暦すぎの初老のおじさんと聞いていたが。
「さあ。でも、確かにレトルトばっかりだと具合が悪くなるよね。そこはちょっと心配。ハーブとか高い野菜も買ってくれないかな」
「そんなのはなぁ。でも……」
絶望の只中にいた重美の事も思い出す。これだけレトルトが好きらしいのも、重美のように何か事情があるのだろうか。
クレーマーに同情心は深く持てないが、少し気になってきた。
なぜレトルトカレーばかり買っているのだろうか。確かにレトルトは不味くない。五百円以上の高いラインのレトルトカレーは、美味しい。ご当地もののカレーなどは、かなりレベルが高く、最近は書店や雑貨店でもレトルトカレーコーナーがある店もあるらしいが。
「確かにクレーマーはダメだけど、ちょっと心配ね」
「そうだな……」
二人で夕食を食べながら、いつのまにか厄病神の事も心配している。それだけ平和過ぎているのかもしれない。
窓の外から見える桜の花は、ほとんど散っているようだ。緑色の鮮やかな葉が目立ってきた。季節は徐々に変わってきているようだった。




