第10話
執務机に向かって魔術書を読んでいると、外の闘技場が騒がしくなってきたのに気付いて俺は顔を上げた。時計を見ると時刻は昼過ぎ。今日もあいつがやって来たようだ。俺もそろそろ行かないと逃げ出したなどと在らぬ噂を流されると思い、重い腰を上げた。
「ケビン=サルマン! 怖じ気づいて逃げ出したかと思ったぞ! 今日こそ、真に強いのはどちらなのかわからせてやろう!!」
観客が大勢集まった中で闘技場の中央に立ち、声高々に叫ぶのは王国第一騎士隊所属のフレッド=アルティスだ。もう三年間、休日以外はほぼ毎日繰り返されている光景に思わず苦笑してしまう。
「せっかく髪が伸びてきたのにまた焦げて短くなっちゃうかもよ?」
「っく! お前こそ地べたに這いつくばって情けなく泣くなよ?」
日々の恒例行事なので手慣れた様子で騎士隊の隊員が試合開始の合図をかける。目にも留まらぬスピードで仕掛けてきたフレッドは日々確実に速くなっている。間一髪で避けたが王国魔導師団の制服である防護術が掛かったケープを簡単に切り裂いた。
『烈火柱』
俺の一言だけの詠唱でフレッドの足元から業火の火柱が上がった。しかし、フレッドはそれにも関わらず剣を握ったまま俺に向かってくる。心身ともにかなり魔術への耐性がついているようだ。
剣を構えて受け止めたが、一撃で物凄い衝撃だった。恐らく普通の入隊したての騎士や魔導師なら受け止めたタイミングで腕の骨がやられただろう。
『雷撃』
俺の短い詠唱に合わせて今度はフレッドめがけて雷が落ちる。凄まじい雷鳴が轟き、閃光がフレッドを覆った。
俺は勝負ありと見て油断した。その瞬間、閃光からフレッドが飛び出してきて渾身の一撃を浴びた。弾みで体が空に浮き、ボキボキっとあばら骨が折れる嫌な音がする。激痛に耐えながら、俺は更なる呪文の詠唱をした。
『氷矢』
凄まじい勢いで氷の矢がフレッドに降り注ぎ、血塗れのフレッドの膝が地に付くのが空中で見えた。俺はそのままドサリと地面に倒れた。
「えっと……、二人とも同時に倒れてるな。アルティスさんは気絶してるからサルマンさんの勝ちかな?」
おお!! と周囲から歓声が上がる。
「今日も凄かったな」
「さすがだ。やはり二人とも格が違う」
「やっぱりすげーな」
周りでは俺たちの戦いに称賛の声が上がった。俺は審判係の騎士の勝ちの声にホッとするが、体中、特にあばらが痛くて立ち上がれん。折れた骨が肺に刺さったかもな。
「今日も派手にやったねー」
苦笑しながら俺に治癒魔法をかけるのは、治癒専門の王国お抱え魔術師になったロベルトだ。ロベルトはフレッドにも治癒魔法をかけた。傷が癒えて意識を取り戻したフレッドはハッとして立ち上がった。
「くそっ、四二五勝四二六敗か。今日のところはここまでで勝負はお預けだ。明日こそ目にも見せてくれる!」
いつものように捨て台詞を吐いて血塗れのまま去ってゆく姿に、俺とロベルトは顔を見合わせて苦笑してしまった。金色の髪はまた一部が焦げて短くなっている。
あの勝負の日以降、フレッドはあからさまに下位貴族や平民を馬鹿にすることは無くなった。それに、スザンヌを始めとする他人の恋人にも手を出さなくなった。相変わらず顔は美形だし剣も強いので寄ってくる女の子は沢山居たようだが、双方合意してるなら男女関係は本人の自由なのでそれはいいだろう。
そして同時に、なぜが俺はフレッドにライバル認定されて毎日のように勝負を挑まれるようになった。負け越した時は悔しくて俺から勝負を持ちかけることもある。そのため、日々マークに剣の特訓をして貰い、魔術も必死で勉強した。
最終学年で気づいた時には俺らは学園内のダントツの三強になっていた。そして、学園祭の武道会を見学に来ていた王国の騎士隊長と魔導師団長にそれぞれスカウトされて超難関の王国騎士隊と王国魔導師団に入ることになったのだ。
俺は既に平均レベルの騎士なら五人相手に闘えるほど強い。それなのに、その俺を毎回半殺しに出来るフレッドはなかなかのものだ。まぁ、俺もそのフレッドを毎回半殺しにしてるがな。そして毎日のように俺とフレッドの両方の特訓に付き合っているマークは実は同年代の騎士の中では完全に無双状態だったりする。
今日は危うく負けそうだった。いや、今日もかな。とにかく、明日も負けられないと俺は剣と魔術の腕を磨くのだ。とりあえずの目標は完全無詠唱で魔術を発動出来るようになることだ。
家に帰ると、ふわりとした花の香りが鼻腔をくすぐった。玄関ホールには豪華な花が生けてあった。
「お帰りなさいませ、ケビンさま」
「ただいま、スザンヌ」
スザンヌは俺の顔を見るといつものように嬉しそうに駆け寄ってくる。
学園を卒業して少し経った一年程前に俺はスザンヌと結婚した。俺の予想通り、三回も断ったお見合い相手はスザンヌだった。スザンヌは古くから外交官を担う名門侯爵家のご令嬢で、身を寄せていたのは彼女の家に仕える家令の屋敷だったようだ。あの時、親父はお見合いを断るに断れなくて本当に困っていたらしい。
「今日は何をしていたの?」
「お友達のお茶会に誘われて行ってきましたわ」
「へえ。楽しかった??」
「はい! 旦那さまから貰った贈り物で一番嬉しかったものをみんなで話し合ったのよ。私、もちろん蝶の話をしたわ。みんな宝石やドレスは貰っても、自分をイメージした蝶を貰った方はいなかったわ」
一緒に食事をとりながら嬉しそうに語るスザンヌは未だにあの事を勘違いしたままでいる。まあ、俺がその勘違いを正すことは一生無いだろう。
「ただ、一つ羨ましいなと思う贈り物がありまして……」
「なに?」
もじもしとするスザンヌに、俺は言いやすくするように出来るだけ優しく笑いかけた。スザンヌの希望は出来るだけ叶えてあげたい。
食事を終えて部屋に戻る途中、スザンヌはかつて付き合い始めた日のように俺の袖をひきしゃがむように促すと、耳元に内緒話をするように手を当てた。
「さっきの話なのですけど」
「うん?」
「そろそろ赤ちゃんが欲しいです」
予想外のおねだりに目を瞠った。スザンヌは耳までまっ赤にして俺を見上げている。
「その、イルゼが赤ちゃんを抱いていたのが羨ましくて。イルゼは赤ちゃんが一番の贈り物だと言ってました。とっても可愛くて天使みたいなんです」
学園でクラスメートだったイルゼはロベルトと結婚した。たしか、数カ月前に子供が生まれたと言っていたっけ。最初は二人で過ごしたいと子作りは後回しにしていたけれど、結婚して一年経つのだから確かにそろそろ頃合いかも知れない。
「俺の子を生んでくれるの?」
「もちろん生みたいです。ケビンさまに似た子が欲しいです」
「俺はスザンヌに似た子がいいな」
平凡な見た目の俺より、美人なスザンヌに似た方が良いに決まってる。俺の見た目は相変わらず中の中だ。不思議なことに、スザンヌにとっては違うらしいが。
「ケビンさまに似た方が絶対に素敵です」
俺の答えに少し拗ねたように口を尖らせるスザンヌに愛しさがこみ上げる。
「ご希望のままに。俺の可愛い奧さん」
スザンヌをお姫さま抱っこするのも、フレッドのせいで鍛えているので難なく出来るようになった。そう考えると、あいつと毎日のようにやり合うのも悪くないな。
一年後、スザンヌは彼女によく似た可愛らしい女の子を生んだ。目に入れても痛くないって言うのはこういう事なんだなって初めて知った。赤ん坊は俺からスザンヌへの贈り物であると同時に、俺がスザンヌから貰った一番の贈り物にもなった。
そして俺は相変わらず毎日のように魔導師として仕事をして、マークと特訓して、フレッドと勝負して、ロベルトに治癒されて、家に帰れば大切な家族が待っている充実した日々を過ごしてる。それに、魔虫の世話もやっぱりしている。
「この子もケビンさまみたいに気の利いた素敵な贈り物を贈って下さる優しい方と結婚して欲しいですわ」
休日に家族で蝶園を訪れると、スザンヌは様々な色に光る魔法蝶を眺めながら微笑んだ。
「そうだな」
俺はスザンヌの抱っこする赤ん坊の頬を撫でると、スザンヌには唇に触れるだけのキスをした。彼女に出会ってから、俺の世界は確実に彩りを増した。いつか、七色に光る蝶をつくってスザンヌにプレゼントしてやりたい。今度こそ、スザンヌをイメージした魔法蝶を。
彼女の勘違いはこれからもずっと続きそうだ。
『彼女は何かを勘違いしている!』 ―完―
最後までお付き合い頂きありがとうございました!




