第九話 鉄火場
薄暗い板敷きの中央に胡坐をかいた狐目の女――壺振り師が、竹の「壺」に二つの小さな賽子を放り込んだ。
「さあ、初顔合わせの旦那方だ。今日は特別に、場代のテラ銭は取らないよ。純粋に勝負を楽しんでおくれ」
女が愛想よく目を細めて笑った。それはあくまで手数料を免除するという意味にすぎない。負けた分の賭け金は、容赦なく胴元に没収される。
重蔵は「よし、それなら気兼ねなく楽しめると言うわけだな」と、勢い込んで懐からずっしりと重い財布を取り出した。その向かいには、仕官口にあぶれて裏賭場を渡り歩く、荒くれた浪人たちがニヤニヤと卑しい笑みを浮かべて陣取っている。腰には錆びた刀を差した、裏稼業に染まったならず者たちだ。
カラン、コロン、と竹の壺の中で賽子が激しく躍り、板敷きの上に伏せられる。
「さあ、張った張った! 丁か半か!」
出された目の合計が偶数なら「丁」、奇数なら「半」を予想して銭を置く。当たれば同額が手に入る。外れれば失う。単純明快な仕組みだ。
重蔵のが金を置くと同卓した男の一人が、重蔵の置き銭を嘲笑うようにヤジを吐き捨てた。
「おい、そんな『一か八か』なんて出鱈目な掛け方で勝てるわけがねぇだろ」
「いや、勝負なんて結局は偶数か奇数かの二つに一つ、一か八かよ」
重蔵もやすい挑発には乗らんと負けじと言い返し、どっしりと構えた。
女が壺をあけると、見事に重蔵の狙い通り偶数が揃い、「丁」の当たりとなった。勝った者は賭け金と同額の配当を受け取る。重蔵は「ははは、悪くない!」と上機嫌で銭をかき集めた。
調子づいたことを皮切りに、皆が博打に熱を帯びてくる。周囲を取り囲むヤクザの手下や常連の顔役たちが、重蔵たちにわざと心理戦を仕掛けて揺さぶってきた。
「よお旦那方、初張りがそんな調子で、最後までもつのかい?」
その煽りに乗せられたのは陣十郎だった。ベテランの用心棒でありながら、勝負の熱気と挑発に血が上り、「ぬう、もう一丁だ!」と大金を「半」に突っ込む。しかし、裏社会の場数を踏んだ連中や、胴元の絶妙な手腕に翻弄され、陣十郎は立て続けに目を外し、みるみるうちに金を巻き上げられていった。
やがて、客の札が回ってきた。丸の番である。
しかし、博打の勝敗そのものに丸の興味は微塵もなかった。賭けには一応参加したものの、手元にあるのはほんのわずかな少額のみ。熱など一切入っておらず、ただ淡々と銭を転がすだけだった。その姿は、まるで鉄火場に置かれた溶けない氷のようであった。
丸の冷たい視線は、勝負の行方ではなく別の場所に向いていた。
壺を振る女の手首のわずかな動き、周りに控えるならず者たちの重心の置き方、そしていざという時にどこへ手を通し、隠し武器を抜くつもりなのか――その全てを、丸の脳裏は寸分違わず観察し、解体し続けていた。
「さあ、どう出るいお若いの?」
狐目の女が不敵な笑みを浮かべ、再び二つの賽子を壺に入れて激しく振り鳴らす。
ルールによれば、出た目の合計が偶数なら「丁」、奇数なら「半」。だがこの闇賭場には恐ろしいハウスルールがあった。例外として、両方とも同じ目である「ゾロ目」が出た場合、胴元である賭場側の総取りとなる。これが客たちにとって最も恐れられるスリルだった。
シャカシャカと乾いた音が響き、壺が板敷きに伏せられる。
周囲の浪人たちが「半だ!」「いや丁に張れ!」と息巻く。「ここで張らなきゃ男じゃねえぞ!」「そうだそうだ、いけ!若いの!」
立ち込める熱気の中、丸はわずかな少額を適当な目に置いた。
「――開けますよ」
女が艶然と微笑みながら、ゆっくりと壺を持ち上げた。
転がっていたのは、綺麗に重なった「ゾロ目」。客側の予想を完全に踏みにじる、胴元の総取りだった。
「おっと、あいにく今回はお上の総取りだねぇ」
ならず者たちが下卑た笑い声を上げ、丸の小銭も含めて全ての賭け金が女の手元へと回収されていく。賭けの勝負としては、収支は丸の少額負けであった。
だが、その瞬間だった。
丸がふっと息を吐き、腰の刀の柄にわずかに指をかけた。
その動作には、金銭を失った悔しさなど一片もなく、ただ圧倒的な「いつでも全員を叩き切れる」という殺気だけが籠もっていた。
ガタッ、と周囲の空気が凍りつく。
先ほどまで面白半分に煽っていたならず者や浪人たちが、丸のただならぬ双眸と、研ぎ澄まされた刃のような気配に気圧され、思わず冷や汗を流して身を引いた。賭け金こそ巻き上げられたものの、この場の空気と主導権のすべては、完全に丸の冷徹な眼力によって支配されていた。




