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第十話 鉄火場②

「おいおい負けたからってヤケを起こすんじゃねぇよ」


ならず者のひとりが冷やかすように制したが、丸は微動だにせず、ただ冷ややかに前方を見据えたままであった。重蔵と陣十郎も「一体どうしたというのだ」と急な気迫に困惑気味だったが、丸がわずかに送った鋭い目配せを受け取り、ハッと息を呑む。

(ここからすぐに立ち去れ――)


その無言の指令を察知した二人は、冷や汗を押し隠しながらも、あえて動じることなく堂々と腰を上げた。そして何食わぬ顔でゆっくりと部屋の出口へ向かい、表の騒ぎからすり抜けるように裏口へと足早に退散していく。


丸は一人その場に残り、いつでも刀を抜き放つぞという殺気だけで、荒くれ者たちを完全に威圧し制圧していた。あまりの重圧に、他の者たちは誰も身動き一つできずにいる。


だが、緊詰した沈黙に耐えかねた一人のならず者が、痺れを切らして怒声を上げた。

「なんだなんだ、やるってえのか? そっちがその気なら乗ってやるよ!」


その声を皮切りに、狭い戸の中は一気に喧騒と殺気でガヤガヤと騒がしくなり始めた。まさに一触即発、その瞬間――。


急に、奥の襖がガラリと勢いよく開き、室内の全員が一斉にそちらへと振り返った。

その隙を寸分違わず突いて、丸は誰にも悟られぬよう風の如く一足飛びにその場を辞し、仲間の後を追って音もなく退散した。


襖の向こうから現れ、険しい顔で踏み込んできたのは、岡っ引きの元締を従えた町方の手下たち――いわゆる「お上の手入れ」の衆であった。

「お前ら、こんなところで何を致しておる! 全員大人しくそこに居直れい!」

怒気を孕んだ唐突な罵声が、静まり返った薄暗い賭場に響き渡った。有無を言わせぬ凛々しい一喝と共に、十手を掲げた手下たちが睨みを効かせていた。


江戸時代の町方における犯罪取り締まりは、北町・南町の遠山金四郎のような「奉行所」の支配下で行われていた。。直下の役人である「同心」の手足となり、実際の捜査や踏み込み(ガサ入れにあたるもの)を行ったのが、民間の協力者である「岡っ引き(目明し)」やその元締たちだ。当時の賭博は幕府の御法度(重罪)であり、密告や探索によってこうした踏み込みが容赦なく行われていた。


どかどかと荒々しい足音が響き渡り、町方の手下たちが賭場へと押し入ってきた。


物音を聞きつけたお用人や目明かしたちが怒号を飛ばす混乱の中、丸は既に建物の外へ飛び出しており、誰にも引き止められることなくその場から忽然と姿を消した。


すっかり日も落ち、岡山城下の闇夜は不気味な気配に包まれていたが、丸は闇を纏わせないような速い足取りで重蔵の屋敷へとたどり着いた。


屋敷の門をくぐると、一足先に逃げ帰っていた重蔵が息を切らしながら待っていた。


「おー、丸か! 無事で戻ったか。……いやはや、危ないところだった。念のため、今日はもう厳重に戸締まりをしておく。早よう中へ入れ」


重蔵は門の鍵を差し込み、頑丈な格子戸をギシリと閉めながら、ふうと荒い息をついた。そして、振り返りながら不思議そうな顔で問いかける。


戸締りの手伝いをしながら陣十郎も続けた。

「それにしてもお前、よくあんな緊迫した中で、お上の手勢が踏み込んでくることが分かったな。あんな裏の奥まった場所で、俺は気がつけなかった……」


丸は淡々とした調子で答えた。

「いや、ただ大勢の足音が近づいてくる気配を察知しただけだ。常に周囲の気配には警戒していただけで、それが目明かしの踏み込みだとは、あの時点では分からなかった」


それを聞いた重蔵は、思い当たる節があったのか、やれやれと首を振って苦笑した。


「なるほどな……。こっちはすっかり博打の熱に浮かされていて、周囲の気配なぞ微塵も気がつかんかったわい。お前が早めに引かせてくれなければ、今頃はお上の白洲でしょっぴかれていたところだ。まったく、冷汗が出る」


重蔵は頑丈な閂(かんぬき)を下ろし、これで一先ず安全だとばかりに胸をなでおろした。闇に沈む屋敷の中で、冷徹な少年の洞察力に救われた男たちは、静まり返った夜気の中でようやく深く息をつくのだった。

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