第五話 初茎(うぶなかご)
銭湯から上がった一行は、夜の帳が下りた岡山城下の重蔵の屋敷へと戻った。
板張りの間に灯された行灯の明かりのなか、陣十郎は重蔵の前にずいと歩み寄り、湯屋での丸の指摘を低い声でそのまま伝えた。
「旦那、先ほどの野盗の件ですが……どうも腑に落ちない点があります。奴らの刀、ただの山賊のものにしては良い刀で、しかも手入れが行き届いておりました。野盗であれば、鞘や、柄の辺りに、よく獣道を歩くため、小枝による擦り傷が、付きやすいものですが、町人の刀のように、綺麗な鞘でありました」
陣十郎の言葉に、重蔵は湯上がりの赤らんだ顔をぴたりと強張らせた。
「山賊ではない、だと……?」
「ええ。野盗のふりをした、どこかの雇われゴロツキの可能性が高うございます。」
「それに」と、陣十郎は丸が湯船で呟いた言葉を思い出す。「襲われたタイミングも良すぎました。取引相手のあの男が、もしや……我々を狙った刺客を放ったのでは」
眉を潜ませ思案を巡らせる重蔵へ丸がこう続けた。
「そうだとすれば、金品と商品の両方を手にする事ができる。一回の取引で倍儲かる、極めて悪辣な手口というわけだ」
その言葉を聞いた瞬間、重蔵の脳裏に今日の取引相手の顔が鮮烈に蘇った。ずんぐりとした体型に、脂ぎった肌とギョロリと見開いた不気味な目。まるで妖怪のガマ(蝦ガエル)のようなあの面構えが、薄暗い部屋の隅に浮かび上がるようだった。
「おのれ……あのガマガエルめ! どおりで、一番やられて欲しくない絶妙のタイミングで野盗に出くわした訳だ!」
重蔵はわなわなと怒りに震え、赤ら顔をさらにドス黒く歪めた。もしあのまま自分が暗がりで斬り捨てられていれば、高価な備前焼の茶器も、支払った大金も、すべてあの商人の手に渡っていたのだ。想像するだけで腸が煮えくり返る。
「許さん……! 明日の朝一番で、あの野郎のところへ乗り込み抗議してやる!」
怒り狂う重蔵を尻目に、この一件で丸の底知れぬ洞察力と圧倒的な実戦での働きを目の当たりにした重蔵は、彼をただの雇われ浪人ではなく、己の命綱として深く信頼するようになった。その日のうちに丸は正式に重蔵の用心棒として召し抱えられ、今後は屋敷の一室を与えられて寝泊まりすることとなった。
夜更け。屋敷の縁側に腰掛け、静かに月夜を見上げていた丸の背後に、陣十郎が近づいてきた。手には一献の酒が入った徳利を持っている。
「丸よ」
「……なんだ」
「一つ聞かせてくれ。此度は、お前にとって幾度目の陣であったのだ?」
昼間の山道で見せた、迷いのない一刀両断の太刀筋。あれほどの修羅場を、年若い少年がただの一度でやり遂げられるはずがない。喉まで出かかった疑念を押し殺すように、陣十郎は問いかけた。
丸は微動だにせず、夜空に冴え渡る冷たい月を見据えたまま答えた。
「初の陣だ」
――初、だと?陣十郎は絶句し、思わず酒の徳利を取り落としそうになった。背筋を冷たいものが駆け抜ける。
「だが、頭の中では陣を二十はこなしている」
それは傲慢な大言壮語ではなく、己の脳内で無数の死闘をシミュレーションし尽くした者にしか出せない、恐ろしいほどに据わった声であった。
陣十郎はそれ以上何も問うことができず、ただ圧倒的な狂気と底知れぬ才能を秘めた少年の横顔を、言葉を失って見つめるしかなかった。




