第十七話 稽古③
丸は頭の中で冷徹に、しかし焦燥感のない計算を巡らせていた。
(純粋な腕力や膂力では、明らかに陣十郎の方が上だ。俺に分があるのは、圧倒的なスピードと、生死の境で迷わない『ためらいのなさ』にある。……だが、今回は殺し合いではない。相手を殺さぬよう手加減をしなければならない試合だ)
いつものように迷いのない殺意のまま突撃すれば、一撃で相手の命を奪いかねない。かといって、その「ためらいのなさ」を完全に封じてしまえば、今度は相手の得意とする力任せの力勝負に引きずり込まれ、押し切られてしまう。手加減をしながらも主導権を握るにはどう動くべきか――。
丸は思考を回転させながら、じりじりと足を引き、間合いを計り続けた。
それに対し、陣十郎は先ほどの反省を活かし、隙を一切作らない重厚な足取りで、木刀同士が触れ合わんばかりの至近距離へとじわじわと圧をかけて詰めてくる。丸は無駄な接触を嫌い、一歩、また一歩とわずかに下がりながら距離を保った。
(……このまま押し込まれるか? いや、相手がじれて重心が浮いたその隙を突き、一気に間合いを割って入るか……)
思考の渦に沈みかけた、その瞬間だった。
――カサッ。
不意に、庭の植木の枝葉が丸の肩を軽く撫でる感触がした。広い場所から初めた試合であったが、いつの間にか隅にまで追いやられていた。
わずかコンマ数秒の気の緩み。周囲の気配に対する警戒が、頭の中の思案へと割かれ、肩に枝葉がぶつかり、意識が僅かに逸れたその隙を、歴戦の用心棒が見逃すはずがなかった。
「もらったあっ!」
陣十郎の野太い気合と共に、巨体が猛然と爆発的な踏み込みを見せた。
ガッと一気に間合いを詰められ、反応が遅れた丸の木刀の懐へと陣十郎の木刀が飛び込んでくる。回避する暇もなく、ガキイイイッ! と激しい音を立てて、二人の木刀の鍔が激しく噛み合った。
――しまった……!
鍔迫り合いの形となり、陣十郎からすさまじい膂力と全体重を乗せた押し込みがのしかかる。
(周囲の状況への気を配るのを疎かにしすぎた……。やはり、戦闘の最中に余計な思案を巡らせすぎることは、自ら棺桶に足を突っ込むようなものだ)
頭の中で自らを一喝しながら、丸は両腕の筋肉を極限まで絞り込み、じりじりと押し返してくる巨漢の重圧に必死で踏み止まるのだった。
陣十郎の圧倒的な鍔迫り合いの力は凄まじく、体格差も相まって、丸は自然と相手を少し見上げるような姿勢となり、完全に劣勢を強いられていた。まんまと陣十郎の得意とする力勝負の土俵に乗せられてしまった形だった。
声に出してこそいないものの、陣十郎の顔には
(ははは、どうだ見たか! 力勝負ではやはり俺のほうが一枚上手だな)
と言わんばかりの、余裕と優勢に満ちた笑みが浮かんでいた。
一方の丸は、全身の筋肉を限界まで絞り込み、じりじりと押し返されてくる重圧に必死で耐えるのがやっとの状態だった。
(まずい……このままでは押し切られる)
劣勢の鍔迫り合いの中、丸は一瞬で判断を下した。
丸は左足のかかとを地面へと「ダンッ!」と力強く踏み鳴らし、その脚力の反動と全身の勢いを一気に腕へと伝えて、グイッと陣十郎の木刀を押し返した。
「おっ……!」
予想外の底力を見せた丸の反撃に、陣十郎はわずかに驚いたが、すぐに
(甘いわ、まだまだこんなものではないぞ!)
と鼻息を荒くして、さらに強く押し返しにかかった。
陣十郎の胸中には、まだ押し合いに対する十分な余力があった。丸を文字通り押し潰すような意気込みで、陣十郎は腕にぐっと全体重の力を込め、その巨体を沈め込むようにして木刀を押し下げた。
その腕が、グンッと一気に押し込まれた。
いや、押し込みすぎたと言うべきか――それとも、押し込まされてしまったと言うべきか。
陣十郎は、これまで以上の凄まじい抵抗に打ち勝つべく「ウンッ!」と気合を込めて力任せに突っ込んだのだが、次の瞬間、不思議なほど手応えが消え失せていた。
重い反発が返ってくるはずの木刀と腕が、まるで油を塗ったように「ズルーッ」と虚しく滑り落ちていく。
「……っ!?」
急激に体勢を崩しながら、一体何が起きたのかと陣十郎が混乱の中に足で踏ん張ろうとした時には、すでに遅かった。
自分の腕と木刀は、丸がすっと力を抜いて「脱力」した流し受けの構えにすり抜けられ、そのまま勢い余ってガツンと冷たい地面を叩いていた。
(……なっ……!)
ここでようやく、陣十郎は事態の真相に気づいた。
(この丸目……力勝負と見せかけて、俺が込めた全力をそのまま利用し、俺の力をいなしやがったな……!)
大きく体勢を崩して前のめりになった陣十郎が、慌てて視線を上げて丸の姿を追おうとしたその瞬間――。
すでに目の前には、まるで最初からそこに置かれていたかのように、冷徹な一筋の木刀の切っ先がピタリと突きつけられていた。
冷たい夕風が庭を吹き抜ける中、丸は息を整えながら無表情な瞳のまま、静かにこう告げた。
「……『参った』で、よろしいな」




