第十六話 稽古②
一方の丸も、冷徹な双眸で目前の巨漢を捉えながら、頭の中で瞬時に戦闘の試算を巡らせていた。
(……体格差がある。腕の長さも、踏み込みの遠さもこちらが不利だ)
陣十郎は筋骨隆々とした大きな体躯を持ち、見た目通りの圧倒的な膂力を感じさせる。真正面から力と力がぶつかる力比べに持ち込まれれば、木刀といえどもその一撃をまともに受け止めればこちらの体勢が崩されるのは必至だった。
しかも、先ほど交わした「相手が『参った』と言えばそこまで」というルールがある。それはこちらの手足を縛る制限であると同時に、相手の重い一撃を無駄に受け流し、効率よく無力化するための条件でもあった。
(正面からの力比べは避ける。相手の巨体ゆえの踏み込みの重み、その重心移動の隙を突き、一気に間合いを制圧する……)
無駄な思考を削ぎ落とし、丸の意識が極限まで研ぎ澄まされていく。夕闇が迫る庭先で、二人の気配がピタリと膠着した瞬間、風がわずかに草木を揺らした。
丸は自らじりじりと足を進め、木刀の切っ先が触れ合わんばかりの至近距離まで一気に間合いを詰めた。
(……打ってこい)
無言のプレッシャーで圧をかけ、陣十郎の「面」を誘い出す。
その目論見通り、丸の放つただならぬ気配に圧された陣十郎が、怒気を含んだ気合と共に大きく踏み込み、頭上へと木刀を振りかぶった。
――面!
陣十郎の体躯から繰り出される豪快な面打ち。しかし、歴戦の勘が働いたのか、あるいは丸のただならぬ気配を警戒していたゆえか、陣十郎は全体重を預けて木刀を完全に振り下ろし切るような大振りはしていなかった。あくまで手首のスナップを利かせ、いつでも軌道を変えられるコントロールを残した打ち込みだった。
その瞬間、丸はわずかに一歩、半身で後ろへ引いてその一撃の勢いを逃がしつつ、次の動作へ移る。後退したその脚のバネに全体重の力をぐっと溜め込み、極限まで圧縮したエネルギーを一気に解放した。
狙うは喉元――。
溜めた爆発的な推進力を乗せ、丸の木刀が直線的な軌道を描いて陣十郎の喉へと突き刺さる。
しかし、陣十郎もただの巨漢の猛者ではない。完全に振り切っていなかったがゆえに、打ち込んだ後一歩引く様子見の動きができた。また、また木刀のコントロールが効いており、丸の常軌を逸した初速の突きに対し、とっさに反射神経の限界で自分の木刀を引き戻した。
ガキイッ! と、乾いた激しい木刀のぶつかる音が庭先に響き渡る。
陣十郎は、迫る丸の木刀の先端を、自身の木刀の「鍔」の際でギリギリと受け止め、致命的な一撃を紙一重で防ぎきったのだった。
刃先が激しく擦れ合う重い余韻を残したまま、陣十郎は鍔元で丸の木刀をぐっと押し返した。額に滲んだ冷や汗を拭いもしず、その荒い息を整えると、腹の底から豪快に笑い声を上げた。
「ははっ……! 丸、お前、容赦という言葉を知らんのか!」
恐怖を押し隠すように、いや、それ以上に目の前の若者の底知れぬ剣技に痺れたように、陣十郎は歯をむき出して笑った。
「そのまま俺の喉元を突かれていたら、喉をやられて『参った』すら言えんところだったぞ。しばらくは喋ることもままならなくなっておったわ。……まあ、そうしてわざわざ俺を痛めつけようというわけじゃあるまいが、お前の繰り出す攻め手の一撃一撃には、まるで獣のような野性の勘が宿っている。見えない急所へ正確に刃を突き立てる……お前という男は、本当に恐ろしい奴だ」
丸は下ろした木刀の柄に手をかけたまま、淡々とした声音で応じた。
「そうか。そこまで深く考えて仕掛けた攻撃ではなかったが……結果としてそうなるか。相手をそこまで追い込むつもりはなかった。詫びる。――人に手加減するというのは、実に難しいものだな」
その言葉を真正面から聞いた瞬間、陣十郎の背筋にゾクリと冷たいものが走った。
(……意図して狙ったわけではない、だと?こいつは本当に……底が知れない。末恐ろしい男だな)
急所を寸分違わず突くその技が、計算された殺意によるものではなく、獣が息をするように自然な「生存の本能」から繰り出されているという事実。手加減のつもりでそれが相手の命を奪いかねない致命傷になるという自覚のなさは、小手先の技量よりもはるかに性質が悪かった。
「ははは。稽古の鍛錬より、急所を突いて制圧するほうが簡単だとでも言うような物言いだな」
「ああ。昔からそうなんだ…」
淡々と答えた丸に、陣十郎は引きつる頬を隠すように豪快に笑ってみせたが、その瞳の奥には、構えているのは木刀でありながらも、殺気や意気込みは真剣振るうかのような青年、丸という冷徹な猛獣に対して警戒の色が深く刻み込まれていた。




