第十四話 切目④
「そうか……俺の知らない複雑な世界が、この世の裏にはあるんだな」
丸がぽつりと言葉を漏らすと、キリは満足そうに頷き、茶碗を置いて胸を張った。
「ああ、そういうことさ。で、私はその――壺振師の腕を見込まれて、お上の公認のもと、あそこの賭場を切り盛りしてるってわけ。だからこそ、こうして昨日今日で捕まることもなく、あんたと呑気に茶をしばけてるってわけさね」
そう言って、キリはぐっと目を細め、ニヤリと底意地の悪さと愛嬌が入り混じった笑みを向けた。
「昨日はさ、ちょいと煽って揉んでやろうと思って仕向けたのに、あんたは全然勝負に乗ってこなかったね。周りの連中にあんなに煽られても腹を立てず、最低限の小銭だけでずっとやり過ごしてさ。かといって、勝負がつまらなさそうに退屈しているわけでもない。なにか、目の奥に静かな光るものを感じてさ、私はずっと気になってたんだよねぇ」
キリは縁側に両肘をつき、丸の横顔を覗き込むようにして続ける。
「普通の野郎どもは、あそこであんなふうに煽られたら、見栄を張って有り金を大きく張っちまうもんだよ。だけどあんたは、最後まで水面のようにずっと凪いでいた。……かといって冷めているわけじゃなく、どこかずっと冷たい青い炎が心の奥で灯っているような感じがしたね。で、結局はお上の手入れからもまんまと無事に逃れて、個人の賭けとしては負けたかもしれないけど、あの場の主導権という意味では完全に勝負に勝っていた。ちょっとからかって遊んでやろうと思ったのに。ねえ、あんた、どこまで先が読めてたわけ?」
丸はわずかに視線を動かし、淡々と言い放った。
「いや、別に何も先が読めていたわけじゃない。ただ、何が起きようと、ここでは必ず生き抜いてみせるという心構えがあっただけだ。常に気を抜かず、周囲の気配に集中していたからこそ、遠くから聞こえてきた足音にいち早く気づけた――それだけの話だ」
だが、さっきまでのキリの話を頭の中で整理していくうちに、丸はある一つの確信に行き当たり、ふと動きを止めた。そして、改めてキリの方へと鋭く向き直る。
丸は率直に聞いた。
「……おい。さっきからの話を聞いて察するに、お前、『賽子の目』を自分の思い通りに出せるのか?」
「おっ、そうだよ、ご名答。勘が鋭いねぇ」
キリは今日一番の満面の笑みを浮かべ、まるで出来の良い弟でも可愛がるかのように、ひょいと丸の頭を軽くポンと叩いて褒めてみせた。
突然の子供扱いされたような仕草に、丸はなんとも言えないむずがゆさを覚え、わざとらしく咳払いを一つして、再び通りの方へ顔を背けた。
「……技法として、私は目(賽子)を自分の意のままに転がすことができるのさ。超人的な技ってほどじゃないけどね。長年、賭場を仕切っているうちに、客がどういう心理の流れで、どの目にどう張ってくるかも、なんとなく手に取るように分かるようになっちまったのさ。だからあの日はね、あんたの雇い主であるあの太っ腹の旦那は少し勝たせて機嫌を良くさせ、あの調子に乗ったデカ男(陣十郎)はしっかり負けさせておいたのさ。そのほうが、結果的に場が丸く収まって、あんたの大将も、他の連中も気分よく帰れるだろうと思ったからね」
(なるほど……)
丸は心中で納得しつつ、そんなことまでよく頭が回るなと思いながら、横にいるキリを一瞥しようと首を動かした。
――その瞬間、丸は意表を付かれた。
いつのまに動いたのか、音も気配もなく、丸の顔のすぐ真横に、甘いタレのかかった一本の団子が突き出されていた。
「これ、あんた全然食べてないだろ? ほら、甘いものでも食べて頭を柔らかくしなよ。……はい、あーんして」
ケラケラと悪戯っぽく笑いながら、キリは至近距離で団子を差し出してきた。
(……っ!)
丸は思わず息を呑み、反射的に体を引いた。
「子供扱いはやめろ。……自分で食える、引っ込めろ」
丸はぶっきらぼうにそう吐き捨てると、わざと冷ややかな目をキリに向けた。
「アタシからしたら丸はまだ子供だよ。照れちゃって。カワイイねぇ」
キリはニンマリと目を細めて笑っている。
一見すると、おどけてふざけてみせる、ただの気のいい狐目の女。だが、同時にその裏に隠された底知れぬ技量と手腕が見え隠れする。丸は警戒し、改めて一瞬たりとも油断のならない相手だと肝に銘じるのだった。
子供扱いされた気恥ずかしさと同時に、それ以上に警戒をしてしまう。丸が他人の実力や行動を凄いと思うことは稀だ。
――恐ろしい女だ。これほど近くに寄り、気配を完全に消して自分の真横に物を差し出せるということは、その気になれば、団子ではなく鋭利な短刀を同じ軌道で喉元へ突き立てることも容易いということだ。と丸はつい、そのように考えてしまっていた。




