第十三話 切目③
「代わりと言っちゃあなんだけど、今度あたしの願いも聞いておくれよ。そしたら教えてあげるよ」
狐目の女は、どこか少女のように無邪気でありながら、同時に底知れない色香を帯びた笑みを浮かべてみせた。
丸は、この女のペースに丸め込まれるのが癪だとは思いつつも、お上の手入れをいとも簡単にかわして平然と表を歩いているその裏事情はどうしても無視できなかった。
「ああ、いいだろう。あまりに大層な願いでなければ聞き入れよう」
丸が渋々とそう約束すると、女はパッと顔を輝かせた。
「やった!約束は約束だよ。もし破ったらひどいからね、その辺の道端の石ころみたいに転がしちゃうんだから」
物騒な冗談を軽口のように叩いたあと、女はふと表情を和らげ、丸の顔をのぞき込んだ。
「じゃあ教えてあげるけど、その前に私を見る目つきがちょっとまだ硬いんだよね。こうして同じ縁側に座ってるんだし、ちゃんとお互い名乗ったんだからさ。名前で呼び合おうよ。キリちゃんってさ、呼んで」
それを聞いた丸は、わずかに眉間を寄せ、気恥ずかしさを誤魔化すようにぶっきらぼうに言い返した。
「おいおい、要求がどんどん増えてるぞ。いいから、出し惜しみせずに早くわけを教えてくれ」
「ちぇっ、つれない男だねぇ。まあいいか、名前の呼び方はおいおいで。……で、実はね」
茶屋の喧騒をよそに、切目はふっと声を潜め、昨夜の踏み込み劇にまつわる驚くべき事の顛末を語り出し始めた。
「あのね、丸。私が昨日あの賭場で仕切っていたのに、摘発を受けたのに、今こうやって逮捕されずにお日様の下を歩いていられる理由だけれど――それはお上、お務め所の意向なのさ」
「お務め所の意向……? それはどういうことだ」
丸が怪訝な目を向けると、キリは持っていた団子の串を軽く振って、楽しげに話を続けた。
「詳しく説明してあげよっか。あの賭場はね、政府が裏で黙認している場所なのさ。お上だってバクチを撲滅したがってるのは本当だよ。だけどね、人間の欲のもんだから、完全に街から無くすことなんてできやしない。だからこそ、あそこに敢えて大きな賭場を作って、いわば『いけす』みたいにして泳がせてるのさ。そして定期的に見せしめのガサ入れを行って、お上の仕事ぶりを示すすべにしてるの。昨日は、運悪くその定期的なお縄の日だったってわけさね」
なるほど、と丸は心の中で大きく頷いた。
そうなると、すべてがつながる。あの日にあの場所へ重蔵たちを巧みに誘導したガマの親分の狙いが、どこにあったのかも。ガマは単純に賭場で楽しんでこいと言ったわけではなく、お上の手入れのタイミングに合わせて自分たちを送り込み、丸ごと牢屋へぶち込んで厄介払い、あるいはその場で抹消してやろうと企んでいたのだ。
どこまでも狡猾で、人を利用することに長けたずる賢い商人め――。
丸は静かな怒りの炎を心の中でたぎらせつつも、その裏社会の構造的な悪辣さにはどこか感心させられていた。しかし、ふと疑問に思ったことを口にする。
「……だが。それなら、賭場を根絶やしにしたいのなら、取り締まりをもっと厳しくして、徹底的に締め出してしまうほうが早いのではないのか?」
丸のその問いに、キリはクスリと笑って首を横に振った。
「まあ、真面目なあんたならそう思うだろうね。でもね、人間の営みってそんな単純じゃないのさ。賭場をひとつ潰したところで、水面下に潜るだけで、見えないところに移動するだけなのさ。そうやって、自然発生的にいろんなところで小さな闇賭場がウジ虫みたいに湧いて出てきちゃうんだよ。そうなってくると、もうお手上げさ。撲滅なんてできっこしない。見えないうえに、小さく無数にあるんだから、町奉行所の手が回るわけがないのさ。いわゆる、『いたちごっこ』ってやつさね」
キリは茶を一口すすり、実感を込めて続ける。
「それよりは、こうしてある程度見えるところで泳がせておいて、定期的に網を打ってごっそり引っ掴まえるほうが、お上にとっても管理が楽で効率がいいってわけさ。……要は、泳がせて餌で釣って、一網打尽にしたほうが手っ取り早い、そういう大人の事情なのさね」
「なるほど……」
丸は深く納得した。秩序を守るための建前と、裏でそれをコントロールする冷徹な現実。闇社会の仕組みの裏側を覗いたような気がして、丸はわずかに目を細めるのだった。
通りの喧騒をよそに、キリは声をふっと潜め、さらに賭場にまつわる驚くべき事の顛末を語り始めた。
「さらに言うとね、この岡山城の城下町の近くにも大きな川があるだろう?旭川さ。あそこの川みたいなもんなのさ、これは」
「それはどういう意味だ?」
丸が怪訝な顔を向けると、キリは美味しそうに団子を頬張りながら、もぐもぐと口を動かして答えた。
「『治水』って言ってね。昔、旭川が氾濫して水害が起こった。だからもう氾濫しないように江戸時代の初期に大規模工事があったのさ。岡山城下町のすぐ横を通る旭川の支流として百間川を作った。つまり、人口川を作って水流・水量をコントロールしたのさ」
百間川は旭川の氾濫から岡山城下を守るため、江戸時代初期に岡山藩主池田光政の命により築造された。
「百間川」の名の由来は、「二の荒手」(中島竹田橋直下流)の幅が堤防を含め百間(約180m)あることに由来する。
「しかも、川幅の余力を大きく取ってある。あそこの川がいくら増水しても、街中の人が大勢暮らしている肝腎な場所には水が流れ込まないように工夫されてるだろ? どうしてかっていうとね、河川敷のあたりに広い空き地があるだろう? あそこはさ、普段は子供の遊び場や夕涼みの場だけど、大雨で川が氾濫しそうになった時、わざとそこを水浸しにして水を逃がし、街全体を守ってくれる調整地の役目をしてるのさ。あれがあるから、街の大部分の人たちは無事でいられるってわけ」
キリは串をクルリと回し、丸の目を真っ直ぐに見据えた。
「あれと同じさ。あんなふうに、表向きは禁止されつつも政府が裏で目を瞑る大きめの闇賭場がひとつドカンと構えていてくれるから、街の人はかえって安全に暮らしていけるのさ。もしあんな大きな受け皿がなくて、そこらの近所にこっそり乱立した怪しい闇賭場がいくつもあったらどうだい? そんな場所にはならず者や危険な流れ者が昼夜問わずわんさか出入りするし、いつどこで揉め事が起きるか分かったもんじゃない。危なっかしくて、まともに歩けたもんじゃないだろうよ」
茶を一口すすり、キリは町の人を見ながら小さく息をつく。
「お上はね、そういう管理しきれない予期せぬ人間のドス黒い欲望や、危うい人の流れをも、あんな『治水』のようにその手で管理しようとしてる側面もあるのさ。平民が危ない目に会わないようにするためにね。」
キリは慈愛の眼差しで町や町の人を眺め、目を細めている。今までで一番穏やかで自然な笑顔だった。




