第十二話 切目②
歩きながら狐目の女に「あんた、名前は何てんだい?」と聞かれ、「丸だ」と警戒し短く答えた
どこか薄暗い裏社会の隠れ家や、良からぬ罠の待つ密室へ連れ込まれるのではないかと身構えていたが、女が足を向けたのは意外な場所だった。
人の往来がもっとも激しい表通りの一角で、怪しい気配など微塵もない、ごくごく普通の賑やかな茶屋だった。
「あたしの名前はキリってんだ。キリ姉さんって呼ばれてる」
穏やかに振る舞っているが、どこか鋭い雰囲気のある横顔で、美しくよく切れる刀のようでもあった。丸はよく似合っている名前だと感じた。
「さて、丸。ここで一緒にお団子食べようよ。お姉さんが奢ってあげる」
女はケラケラと軽妙に笑い、細めた目をさらに三日月のように歪めてみせた。昨日の大男を従えて堂々たる壺振り師の面影はどこへやら、まるでどこにでもいる気のいい町娘のような振る舞いである。
(この女……一体、どういうつもりだ)
丸は微塵も警戒を解くことはなかったが、万が一牙を剥いてきたとしても、この距離ならば一息で喉元を断つか、隙を見て窓から姿をくらますことなど容易い。そう割り切ったうえで、丸は黙って団子屋の奥の窓辺の席に行こうとした。
「そこじゃダメだよ。縁側に隣同士で座ろうよ」
そう言って、キリは丸のすぐ隣へと音もなく滑り込んできて、ひょいと丸の腕に手を絡ませ、縁側へ押しやった。
(……っ)
丸の心中では、不意に距離を詰められた為、野良猫が毛を逆立てるかのようになった。いつでも跳躍して逃げ出せるように緊張した。こんな至近距離で不意打ちでも受けようものなら、いかに自分といえど対応が遅れるかもしれない。しかし、ふと視線を走らせれば、腰を下ろしたその席は往来に面した開放的な縁側である。いざとなれば人混みへ紛れ込むなり、逃げ道はいくらでもある。
丸は警戒の糸を張り詰めたまま、あえてそれ以上体を引かず、女の気の赴くままに隣り合うことを許容した。
(この女、一体何を考えている……)
静かに湯気を上げる茶を前に、二人は並んで喧騒の街並みを見つめるのだった。
狐目の女は、甘い団子を一口かじると、からかうような声音で丸に向かって言った。
「私の勘だけどさ、まだ丸は岡山城下町に来て日が浅いんだろ? こうやって時々美味しい店を教えてあげるからさ、またどこか一緒に行こうよ」
丸は「ああ、構わない」とだけ短く返した。だが、その頭の中では、猛烈な勢いで思考が巡っていた。
(……なぜ、この城下町に来て日が浅いことがバレたのだ?)
思い当フシがないわけではなかった。見慣れない城下町の景色に目を奪われ、無意識にあちこちキョロキョロと見回していたのが、いかにも田舎から出てきた「おのぼりさん」のように映ったのだろうか。プロの用心棒として雇われている身でありながら、そんな隙だらけの振る舞いを晒していたとは格好がつかない。今後はもっと周囲に目を配り、堂々とした足取りで歩かねばならないなと、丸は内心で小さく反省した。
なんとなく縁側から目に映る通りを行き交う人混みを眺めていたが、ふと気になって隣にいる狐目の女を横目で盗み見た。
すると彼女は頬杖をつき、こちらをじっと、目を細めた妖しい笑顔で見つめていた。
(っ……!)
丸は内心でぎょっとし、慌てて視線を前方の往来へと戻した。
それに気づいたのか、狐目はクスクスと笑いながらこう言った。
「なんだい、そんなに私のことが気になるのかい?」
丸はしばらくの間、あえて押し黙った。嬉しそうにニマニマと目を細めてこちらを伺う女の顔を見返し、一呼吸置いてから、静かで落ち着いたトーンでこう告げた。
「ああ、そうだな。昨日の今日で、あの鉄火場が手入れで摘発されたにもかかわらず、お前が何食わぬ顔でこの往来を平然と歩けている理由なら、確かに気になるところだ」
「な~んだ、私のことよりそっちが気になるのね。」
狐目の女はがっかりした仕草をこれでもかと大げさに見せつけ、派手に肩を落とした。しかし、すぐにまた口元を緩め
「どうしても知りたかったら、教えてあげようか?」
と、にんまりと目を細めて不敵に笑いかけた。




