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第1話:診療所の夜

この国の暦について


暖(春)・暑(夏)・涼(秋)・寒(冬)がそれぞれ三ヶ月続きます。暖一月をこちらの世界でいう三月と見立てて読んでください。太陰太陽暦を元にした独自の暦で、作中のどこかで言及される予定です。

[新暦八三〇年・涼一月 第三日目]



 問診票の束を見返しながら、ガーヴェはため息を吐いた。表の看板に書かれている通り、ここは「星喰らい症候群」専門の小さな診療所。滅多に起きない奇病は、ここのところ急増の一途を辿っていた。先月の患者はたったの五人。それが今月に入ってからはもう既に十一人。いくらなんでも増えすぎだ。


 過去の診察記録を辿っても、あまり有益な情報は見つからない。男女や年齢に偏りはなく、症状の差も人それぞれ。掴みどころのない奇病を前に、医者は頭を抱えていた。


 こんがらがった思考を邪魔するように、調理場から音が聞こえてくる。分析に夢中になっているあまり、彼は鍋を火にかけていたことをすっかり忘れていたのだった。


「まずい……!」


 竈と水瓶と作業台が置いてあるだけの狭い調理場。ごうごうと燃える火に熱せられて、この空間だけが妙に蒸し暑い。煮詰められた水は彼の喉を潤すに足りる量ではなかったが、すべては家主の自業自得だ。空っぽの診察室に戻ったガーヴェは、温かな液体をちびちびと飲みながら椅子に腰掛けた。


 手元の照明の輝度を下げると、部屋全体が白と黒の濃淡に彩られる。満天の星の光に当てられた家具の影がくっきりと浮かび上がった。窓を開けるとゆるやかな涼風が流れ込んで、陶器の器から立ち上る湯気と舞い踊る。一年で最も暑い季節は過ぎた。これからはどんどん寒くなっていくから、こうやって夜を楽しめることは少なくなるだろう。


 ガーヴェは器の中身を飲み干して大きく伸びをした。この診療所兼自宅がある丘の上からは、真っ黒に染まった森と星を散りばめた空しか見えない。他の家々はほとんど見えず、あったとしてももう明かりは消えている。夜の風景と自分だけの秘め事のような時間は、多忙な医者にとっての数少ない癒やしの時間でもあった。


 それでも男の生活は真っ当な人間のそれと何ら変わりはない。夜も更けた今、これ以上起きている理由はないだろう。名残惜しそうに窓を閉じると、彼は照明を持ち上げた。つまみを回せば油が多く回って輝度が上がる。星は灯りに霞んでもう見えず、代わりに見慣れた部屋の様相がじんわりと浮かび上がった。


 いつもと同じように、寝間着に着替えるとしよう。そう思った時に限って、厄介事というのは起きるものだ。


「ごめんください、急患です!」


 前触れもなく飛び込んできたのは、若い男二人組だった。どちらとも息を切らしてひどい顔色をしている。その格好を見るに、おそらく農民だろう。あからさまに患者と思われる一人の男が、安堵とともにその場に崩れ落ちた。彼はひどく苦しそうに腹部を押さえている。声を上げることすらできないようで、顔面は真っ白だ。患者の連れ添いが声を震わせて懇願した。


「先生、星を取ってくれませんか?」


 ガーヴェはその場に這いつくばる男に駆け寄り、その頭を優しく撫でた。毛髪は冷や汗でじっとりと濡れている。医師は顔色を変えると、今月に入って十二人目の患者を診察室に上げた。


「わかった。ちょっとあんた、手伝ってくれないか?」


 連れの男とガーヴェの二人がかりで患者を治療台に乗せると、部屋に地響きのような鈍い音が響いた。音の発生源は患者の真下、壊れかけた治療台の土台だった。どうにも部品が劣化しているらしい。人の乗り降りの瞬間だけおぞましい音が出るのだ。事情を知らない男は治療台に手を添えて、患者を励ましている。


「脱がせるよ。いいね」


 患者は一度だけうなずく。ガーヴェがその肌を覆う布を剥ぐと、皮膚越しに淡い光が透けて見えた。血管やら何やらの影がちらついているためか、付き添いの男が苦々しい表情で顔を背けた。光は相当奥の方から発せられているようだが、命に関わるほどの悪さはしていない。


「ああ、典型的な『星喰らい症候群』を起こしているね」


 熱く眩しい星。そんなものを生身の人間がかっ喰らったらどうなるのか、おおよその検討はつく。食道はヒリヒリと焦げ、しばらくの間は飲み食いに支障が出る。食べた星は中々消化されないまま、その光が死ぬまで腹の中に留めておくしかない。放置していれば腹が破裂したり、星が別の部位に流動して悪さをすることがあるから、早いこと摘出しなければならない。


 幸いなことに、今回は面倒な症例ではなかった。星は男の腹の中で大人しくしてくれているようで、摘出作業は比較的容易に思われる。袖口の広い服をまくり、ガーヴェは膨れた腹に手をかざした。


「それじゃあ、今から取るから。動かないで」


 星の摘出には物騒な道具は必要ない。自分の手だけで十分だ。全身の意識を薄い光に集中させると、ガーヴェの手招きに応じるように星が震えだした。くるくると不規則に揺れる星は、その振動によって徐々に細かく分離されていく。幻想的な施術の様子に、付き添いの男が感嘆の声を上げた。


 光の粒に当てられて、患者はうめいてその身をよじらせた。付き添いの男は急に我に返って、患者の肩を抱きかかえる。彼の上体が固定されると、いくらか治療がやりやすくなった。この苦痛がどれほどのものなのか、実際に罹患したことのないガーヴェにはわからない。だが、もう少しだ。体躯の頑丈そうな男だから、きっと耐えられるだろう。


「よし。出るぞ」


 ガーヴェの合図と同時に、光が肌を通り抜けて部屋に散漫した。無数の光の粒は青白い光を散乱させて、元の丸い球体に戻ろうと寄せ集まる。ガーヴェは少しだけ苦い顔をしてから、集中力を切らさないように深く息を吸い込んだ。


 木製の天井を朗々と照らすように、小指の爪ほどの大きさの星がぽっかりと宙に浮かんだ。こんなにもちっぽけな星が一人の男を延々と苦しめていたとは到底信じがたい。だが、ガーヴェは何度もこのような症例を目の当たりにしてきた。星喰らい。この幻想的な奇病は夢の中の話ではなく、現実に起きている異常事態だった。


「……間違えて飲み込むような代物じゃないんだけどな」


 これまでの患者は星の危険性を知らない子どもばかりだった。綺麗だからとうっかり飲み込んでしまったのがほとんどで、大人の患者というのはそう多くなかった。


 どうしてこうなったんだ、というガーヴェの独り言に呼応するように、患者が上の空でつぶやいた。気道が傷ついているのか、声がかすれている。


「あの時は……多分、おかしくなっていたんです」


 彼は湿った咳をしてそれ以上を語らなかった。その衝動は自制ができるものなのかと問えば、彼は難しいことだと言わんばかりに口を歪ませた。おそらくは強い渇きを覚えた喉が水を拒まないのと同じだ。


「ありがとうございます。先生は命の恩人です」


 そうですか、と空返事をして、ガーヴェはまっさらな問診票に症状を書き込んでいった。そして処置にかかった手間と時間とを鑑みて、無慈悲な口調で二人の来訪者にこう宣告した。


「じゃ、お代は五百ラニーね」


 ガーヴェは無表情のまま手を差し出した。喜びに浸る二人の顔が徐々に暗くなっていく。五百、と繰り返しつぶやく様がどうにも哀れだ。


 まあ、少しばかりは同情してやらないこともない。五百ラニーなんていうのは農民のひと月分の稼ぎに相当する額だ。彼らが簡単に差し出せるはずがない。それでも、ガーヴェは返済期限の差し迫った借金のために金を稼がなければならないのだ。……それなら無論のこと、こんな辺鄙な場所で医者をするべきではないはずなのだが。


 薄っぺらい巾着と医者とを交互に睨みつけて、付き添いの男が交渉を始めた。三分の一に値切ってくれなんていう厚かましい頼み事を受けて、ガーヴェは顔をしかめる。付き添いの男にいくら持ってるのかと尋ねてみれば、彼は苦しそうな顔で巾着の中身を広げた。全部で二百三十七ラニー。彼は請求額の半分も持っていなかった。


「おいおいおい、どうしてそんななりでそれだけしか持っていないんだよ」


 確かにガーヴェの提示した金額は安くはない。それでも、ここに駆け込んでくる患者の多くは命が助かるならと三百ラニーは払ってくれる。第一、医者にかかるというのはそういうことだと理解して訪れる客がほとんどのはずだ。


 今回は連れの男の身なりがいいから家に上げたのに、彼は大した金も持っていなかった。何となく借金取りの気持ちがわかったような気持ちになったが、それとこれとは話が別だ。ガーヴェは自分のことを棚に上げて連れの男に詰め寄る。


「どうするの。星はもう取っちゃったんだから」


 意固地な医者の態度にひどく悲しそうな顔をして、患者がゆっくりと起き上がった。彼の虚ろな目線の先には、摘出したばかりの星が揺蕩たゆたっていた。……嫌な予感というのは時に当たるものだ。患者は口を大きく開けてそれを飲み込んだ。案の定、患者は苦痛に顔を歪めて暴れ出した。治療台がぎしぎしと軋む。彼の胃のあたりがぼんやりと光り、事態は彼が来訪した時点に逆戻りした。


「サビィ……。これなら……請求されないよね?」


 そんな穴だらけのとんちに納得するわけもなく、医者は激昂した。患者の状態が元に戻ったからと言って、星を取った治療費が帳消しになるわけではない。それに、治してやってすぐ同じ目を見る馬鹿にひどく失望したのだ。


「ああ、ああ、ああ! どいつもこいつも、馬鹿ばっかりじゃないか!」


 連れの男、サビィの制止を振り切って、医者は先程と同じ手順を踏む。こんな馬鹿な患者よりも、二度も摘出された星の方に同情する。怒りの感情に任せて、ガーヴェは二人の田舎者に怒鳴った。


「もういい、有り金を全部置いて帰れ!」


 名も知らぬ患者は満身創痍で治療台を降りようとして、そのまま床に落下した。サビィは慌ててその上半身を起こし、彼の名を何度か呼んだ。どうやらエイグルと言うらしい。エイグルは何も応答しなかった。しかし意識は飛んでいないようで、彼は静かに肩を震わせて痛みを乗り越えようとしている。


「すまん、言い過ぎた」


 ひたすらに耐えようとするエイグルに何かを感じたのか、ガーヴェは二人に向き合った。痛ましい顔面を目にして、ようやく正しい思考が戻ってきた。医者は理性的な物言いで二人に問いかける。


「……あんたたち、家はどこだ」


 サビィは木戸の方角を指差して、ここからさらに西に行ったところにある村だと告げた。おそらく、ここから三、四時間歩いた先にある小さな集落のことだろう。診療所までやっとこさ歩いてきた男二人に、同じように帰れと命じるのは酷な話のように思えた。


「そりゃ、遠くからご苦労さまだね」


 医者の穏やかな返答を気味悪がっているのか、サビィが何度も瞬きした。エイグルのきょとんとした顔も鼻につくが、今は医者として感情的になってはいけない。ガーヴェは朝までこの部屋に滞在してはどうかと提案した。本心ではこの馬鹿どもを今すぐにでも追い出したいのだが、医者としての倫理観がそれを許さなかった。


 二人の男は顔を見合わせて、嬉しそうに何度も頭を下げる。ただし、医者はただの善人ではない。何かふんだくってやらないと割に合わないし、気が済まない。ガーヴェは混沌とした机上に目をやって、エイグルにこう持ちかけた。


「泊めてやる代わりに、金になりそうな話をしてくれ。その星喰らいについて、洗いざらい聞かせて貰おうじゃないか」


「はい、何でも話します!」


 もちろん、帰るという選択肢のない二人がその提案に乗らないはずがない。二人の男はまくしたてるように事情を話し始めた。

今回も最後までありがとうございました。もしよろしければ評価をいただけると励みになります。次回もお楽しみに。

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