司祭
それから数日後、ジュテスト医師の往診に私達兄妹と、ガデリ司祭が同行することになった。
今日の私と兄は、神官見習いの服を着ている。宮廷医師の見習いか神官見習いかと考えた時、まだ神官見習いの方がらしく見えるというのが理由だ。
ちなみに。ガデリ司祭のことを兄があまりにも『おっちゃん』よばわりするものだから、なんとなく豪快な年配の方をイメージしていたのだけれど。
実際のフロド・ガデリ司祭は、思ったより若く三十代前半の男性だった。身長はそこまで高くないけれど、肩幅は広い。神官の正装はゆったりとして体の線ははっきりとわかるものではないけれど、体の厚みは太っているわけではなくて、おそらく筋肉であろう。姿勢がものすごくいい。
「おっちゃん、こちらがジュテスト医師、それから妹のアルキオーネだ」
「ガイナック ・ジュテストです。本日はお世話になります」
「アルキオーネ・アルマクです。お初にお目にかかります」
ジュテスト医師と私が挨拶すると、ガデリ司祭はニコリと笑った。白い歯が眩しい。
「ジュテスト医師、すまなかったねえ。ダビーが無理を言ったみたいで。やあ、君がアルキオーネ嬢か。噂通りとても美しい」
美形というほどではないけれど、非常に気さくで誠実そうな人だ。さすが宗教家というべきだろうか。
「いえ、こちらこそ、司祭にご同行いただけると助かります」
ジュテスト医師は丁寧に頭を下げる。
ちなみに、ジュテスト医師とガデリ司祭は顔見知りらしい。
「私で力になれるなら構いませんよ。私としてもルシアーナさまが信仰の為に健康を害するのはみておられませんし」
ガデリ司祭は顔を曇らせる。
「ダリン司祭は熱心でまじめな司祭なのだけれども。光輪派の考え方は少々過激すぎるところがあるからねえ。魔物を嫌うのはわかるけれど、我々の生活は、魔物から得るもので豊かになっている側面もあるということを忘れがちだから」
今日、ここに来るにあたって、神殿の力関係について、エミリアさまに少し教えていただいた。
現在神殿のトップは大祭司であるマーダ・グリアレン氏はかなりご高齢で、だんだん力を失いつつあるらしい。穏健派であるグリアレン氏の後継者と目されているのがガデリ司祭だ。ただ、最近、若い世代、特に女性を中心に圧倒的人気を得てきているのが、光輪派のローバー・ダリン司祭らしい。エミリアさま曰く、少々過激で、選民主義的な思想が、信者たちの心をつかんでいるとのことだ。
「その通りです。魔物を遠ざけたとしても、龍の脅威はなくなりません。また、たとえ龍の病がなくなったとしても、この世にはまだ病はたくさんあるのですから」
ジュテスト医師はため息をついた。
私たちは、四人乗りの馬車に乗り込み、椿宮へと向かう。
「それにしても、食べられるもので薬を包むとは考えたね」
「ええ、私も驚きました」
ガデリ司祭とジュテスト医師に褒められて、私は恐縮する。
「苦い飲み薬にハチミツを入れたりしますから、それみたいにできたらいいなあと」
前世にあったものを再現しようとしただけなのではあるけれど。さすがにその話をすると長くなってしまう。
「ああ、確かに」
私にもっと知識があったら、糖衣錠とかカプセルにするとか選択肢も増えるのだけれど、私の知識ではオブラートが限界だ。
そのオブラートですら、まだもどきレベルだけれども。
「とりあえず、一晩祈りを捧げた『聖膜』だとルシアーナさまには説明しようと思う。ジュテスト医師が私に相談に来た時に、たまたま弟子のダビーとアルキオーネ嬢に神託があって開発したものということにするよ」
「神託ですか?」
神託を受けるなら、ガデリ司祭が受けたほうが自然ではないだろうか。
「アルキオーネ嬢の偉大な発明を私が奪うわけにはいかない」
にこりと、ガデリ司祭は微笑む。
「偉大……ですかね?」
私は首を傾げた。
「偉大ですよ」
ジュテスト医師が横から力強く頷く。
「効くとわかっていても、飲むのが困難な薬はたくさんあります。私達医師だって、患者が嫌がるとわかっているものを飲ませたいわけではありません」
「それは……そうですけれど。まだ、理想とするものにはなっていないので」
薄さ、柔らかさなど、まだ改良点がたくさんある。
「アルキオーネは商品化したいらしいですけれど、売れますかね?」
「売れますよ。少なくとも『聖膜』として売るなら、一定数の需要があります」
ジュテスト医師は断言した。
「魔物由来の薬剤は、かなりありますからね。それに、そうでなくても神殿で浄化したものとなれば、『効く』気がするではありませんか」
「……それは詐欺では」
効能がないのに、効能があるように見せかけるのは、やっぱりよくないように思える。まあ、『浄化したから大丈夫』なんて最初から詐欺なのだけれども。
「プラシーボ効果という言葉を、アルマク嬢は知っているかい?」
にこにことガデリ司祭は笑いかける。
「ええと。はい」
「まさしく、信じる者は救われる、だよ。誇大広告を打つわけじゃない。祈りをささげるのは事実なのだし」
それはそうだ。
何事も気持ち次第。効くと思えば、効くかもしれない。
何より、ルシアーナさまが信じてゴルを服用できるのであれば、それでいいのだ。
「でも、お兄さま、私たち、この前、椿宮に行ったばかりです。ジュテスト医師に同行して大丈夫でしょうか?」
厨房で料理するという上級貴族にあるまじき行動をとって、睨まれたばかりだ。
「私は本宮側の入り口から入りますので、椿宮の門からは入場しません。そのため、ポルダ子爵にお会いすることはめったにありません」
本宮で受付をすませているということで、椿宮では、ほぼ顔パスでルシアーナ妃の部屋に案内されるらしい。それはありがたいけれど、ちょっと警備状況として甘いのではないだろうか。
「本宮の受付については、リオン殿下が根回ししてくれているから、問題ないだろうし。そもそも、たとえ見とがめられても、ガデリのおっちゃんと俺が親しいのは事実だし、開発者がアルキオーネなのも事実。それを理由に追い出されることはないさ」
「まあ、そうですけれど」
余計な詮索をされたりしたらと、ちょっと思う。
「いろいろ権威主義なところがある人だったから、逆に俺とアルキオーネに何か物言うような根性はないだろうと思う」
「そうですね……言われるとしたら、私の方でしょう」
ジュテスト医師が苦笑する。
「診察に関係ない人間を同行させるわけですから」
「……なんかすみません」
私は思わず頭を下げる。
普通に考えれば、同行するのはガデリ司祭だけでよい。
「やあ、着いたようだ。とりあえず、いってみよう」
悩んでいても仕方がない。私たちは馬車を降り、椿宮へと向かうことにした。
本宮と椿宮は長い渡り廊下でつながっている。
陛下がお渡りになるときにお使いになるものらしいが、とにかく長い。椿宮はいわゆる別宮の中では一番遠い。愛がなかったら面倒になっちゃうかもって思う程度には長いのだ。まあ、陛下が遠のいている理由は物理的な距離ではないとは思うのだけれども。
ルシアーナさまの寝室に近い入り口には護衛騎士がいたけれど、殿下から言付けがあったらしくて、私たちは見とがめられることなく同行を許された。
「妃殿下、診察に参りました」
ジュテスト医師が声をかけると、女性が扉を開いた。たぶん、ポルダ家政婦長だろう。
「本日は司祭さまもご一緒です」
私と兄はガデリ司祭の後に続いて中に入った。
大きなガラス窓のある部屋だけれど、カーテンがされていて、昼間なのに薄暗かった。貴人の部屋だけあって、寝室であるのにかなり広い部屋だ。枕元には、金色の女神プロティアの神像が置かれている。
ポルダ家政婦長は、ガデリ司祭の顔を知っていたいのだろう。声こそ出さなかったが、かなり驚いた顔をしたものの、すぐに表情を消し、ルシアーナさまのベッドの傍らに黙って立った。
ルシアーナさまはベッドの上で身を起こした状態だった。こちらをぼんやりと見ている。
「お加減はいかがですか?」
「……どうかしら」
ジュテスト医師の声掛けに対して、ルシアーナさまは気のない返事をする。
どこか目の焦点が合っていない。
「ルシアーナさま、おひさしぶりでございます」
ガデリ司祭が前に歩み出て、神官の礼をとる。
「司祭さま?」
ルシアーナさまはその声で、ようやく司祭がそこにいることに気づいたようだ。
「ルシアーナさま、ひょっとして目が?」
ジュテスト医師の声が険しくなる。
「見えないというわけではないわ」
ルシアーナさまは、そっけなく答えた。