聖膜
部屋が薄暗いせいか、ルシアーナさまの顔色はかなり悪いようだ。
直接の面識はあまりないから、前と比べてどうかはわからないけれど、頬はかなりこけていて、体は折れそうに細い。殿下と同じ赤色の髪は、腰まで伸びている。
「視力の低下を感じられたのはいつくらいからでしょうか?」
「わからないわ」
ルシアーナさまの答えは相変わらず素っ気ない。
「今はどの程度、お見えになりますか?」
「それを調べるのはあなたの役目じゃないの? 少なくともあなたが誰かはわかるわ」
ああ、これは。
ジュテスト医師が気の毒になってくる。
取り付く島もないという感じだ。
少なくとも、二人の間に信頼関係はない。
あまりよく知らないけれど、ジュテスト医師は優秀な人だと思う。少なくとも私は、彼に診てもらってから鼻血がでることもなくなった。
これではジュテスト医師も腕のふるいようがない。
何かあったのか、相性が悪いのか、それはよくわからないけれど。
宮廷医師は他にもいる。誰かに変わってもらう方がいいのではないだろうか。
「ルシアーナさま、ジュテスト医師、もし問題がなければ、カーテンと窓を開けていただいてもよろしいですかな?」
柔らかな声で、ガデリ司祭が提案する。
「女神プロティアは陽光の神。そのお力を存分に発揮していただいた方がいい」
「司祭さまがそうおっしゃるのであれば」
ルシアーナさまが了承すると、家政婦長がカーテンと窓を開いた。
陽光がさしこみ、少し冷たい空気が流れ込んできた。
「診察中に申し訳ないが、快癒祈願を先にさせていただいてもよろしいでしょうか?」
明るく落ち着いた声に、少しぎすぎすした雰囲気が和む。
さすが高名な司祭。この人が次期大祭司候補だというのもよくわかる。
「まあ、よろしくお願いいたしますわ」
ジュテスト医師は無言で頭を下げ、一歩下がった。
「それでは失礼いたします」
ガデリ司祭が前に出るのに合わせて、兄が私に目配せした。
私たちは今日は司祭の助手という名目なので、それっぽく振る舞わなければならない。
とはいえ、私も兄も『神力』はない。ただ、神官すべてが神力を持っているわけでもないので、そこで疑われることはないだろう。私は司祭から預かっていた神具といわれる、小ぶりな錫杖のようなものをうやうやしく司祭に渡す。
「大いなる神プロティアよ」
ガデリ司祭が朗々と神の名を口にすると、置かれていた女神の神像がきらりと陽光をまとった。
「その慈悲を持って、ルシアーナさまの病を快癒させたまえ」
司祭が神具をぐるりと回すと、まばゆい光が神具から放たれた。部屋の温度がわずかに上昇したのか、体温が少しだけ上昇したのを感じる。
これはいわゆる、簡単な傷なら治るタイプの癒しの光というものらしい。
病気に対しては、直接治癒にはならないけれど、ちょっとした不調は消えるとのことだ。
「あたたかいわ」
ルシアーナさまの表情も少しだけ和らいだようにみえる。
「ルシアーナさま。この神具の輪、いくつかお分かりになりますか?」
やさしく司祭が問いかける。
「五つ、です」
「では、私の弟子の服の胸元の刺繍の花びらは何枚ですか?」
「……五枚かしら?」
ルシアーナさまは首を傾げる。
神具の輪の数はあっているけれど、花びらの数は、四枚だ。
「では私のこの服の胸元の花びらは何枚ですか?」
「五枚よね?」
これも違っている。司祭服の胸元の花びらは六枚なのだ。
結論から言えば、かなり近づいている司祭さまの服の模様ですら見えていないということである。
「あの、司祭さま、一体何をおっしゃりたいのです?」
ルシアーナさまは怪訝な声を出す。
「ルシアーナさまは、女神プロティアのことをよくご存じのあまり、見えていないことがあるようです」
ガデリ司祭は穏やかに口を開く。
「プロティア教では五という数を特別と考えております。ですから、神具の輪の数は五であっております。ですが、司祭服と、神官見習い服の刺繍に関しては、『階位』を表すため、大祭司は七枚の花弁、司祭は六枚、神官は五枚、神官見習いは四枚となっているのです。あまり知られてはいませんけれど」
「……そうなの?」
ルシアーナさまは驚いたようだった。
「失礼ですが、目はほとんど見えておられないようですね」
ガデリ司祭は優しい声で指摘する。
「形は……わかるわ」
ルシアーナさまは呟く。神具の輪の数を当てたのは、単純に『知識』があったからだろう。本当は、見えてなかったのかもしれない。
「ルシアーナさま。ジュテスト医師は若いけれど優秀な人です。ですがいかに優秀な彼でも、患者である殿下の協力なくして、病を治癒することはできません」
「それは……」
ルシアーナさまは黙り込んだ。
自分が非協力的な自覚はきっとあるのだろう。
「ルシアーナさま。あなたの病は間違いなく進行していると、素人目でもわかります」
ガデリ司祭は静かに淡々と話す。
「ジュテスト医師の治療方針を納得できないのであれば、担当医を変えるよう私から陛下に言上することもできますが、まずはその前に、一つ私から提案をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……提案?」
「ダビー」
「はい」
兄が手のひらサイズの箱をガデリ司祭に渡した。
ちなみに、この箱、中に例のオブラートもどきがはいっているのだけれど、どんな箱にするかで、かなり悩んだ。
一応、食品? だしね。
装飾がごてごてしたいかにも宝箱って感じがいいのではないかと兄は言ったのだけれども、毎回毎回そんなのを用意するのもたいへんだからということで、シンプルな木の箱に落ち着いた。
「こちらは、ジュテスト医師から私が相談を受けていた時に、一緒に聞いていたこちらのアルキオーネ君が、神託を受けて作成した『聖膜』です。神へ捧げ、祈りは済ませております」
「『聖膜』?」
「はい。こちらでゴルを包んでから、服用していただけば、魔獣の『汚れ』は浄化できますでしょう」
もっともらしく、ガデリ司祭は話す。嘘をついているのだけれども、少しもそう感じさせない説得力がある。
「浄化?」
「はい。一度お試しくださいませ。『汚れ』は消えているのがお分かりになるかと思います」
にこやかにガデリ司祭は微笑んだ。
「騙されてはなりません! ルシアーナさま、そのようなもの、お口にされてはいけません!」
家政婦長が、ガデリ司祭とルシアーナさまの間に割って入った。
「司祭さまに対して、そのような物言いは、無礼でありましょう!」
家政婦長に対して兄の鋭い声が飛ぶ。家政婦長は相手が司祭であることを思い出したようで、悔しそうに唇をかむ。
「ダビー、やめなさい」
ガデリ司祭は静かに兄を嗜める。
「ルシアーナさま。信仰と信念を守られるのはご立派なことです。ですが、あなたの命を守ろうとしているのは、その信仰と信念なのか、ジュテスト医師の示す医学なのか、ご一考ください」
あくまでも、ガデリ司祭の口調は穏やかだ。
「わかったわ」
「ルシアーナさま?!」
家政婦長は顔色を変える。
「一度だけよ。司祭さまのお顔を立てることも大事だわ」
「……ありがとうございます。アルキオーネ君」
「はい」
私は、箱から片栗粉せんべい改め、『聖膜』を一枚取り出し、皿にのせた。そこへジュテスト医師がゴルをのせ、水で湿らせながら丁寧に包んでいく。
「噛まずに一息にお飲みください」
ジュテスト医師から皿を受け取ったルシアーナさまは、険しい顔をしながら口に含む。そして、不思議な顔をしながら、水でそれを流し込んだ。
「……何も、感じないわ」
ルシアーナさまは驚きの顔を浮かべている。
「魔獣の穢れはこれで浄化されております。どうか安心して服用してください」
ガデリ司祭が丁寧に頭を下げるのに合わせて、私と兄も頭を下げる。
「不思議なこともあるものね。体が……あたたかくなってきた気がする」
そんなに瞬間風速的に効くものなのかは謎だけれど。
とりあえず、ルシアーナさまの表情が少しだけ柔らかくなった。




