第90話 最後の時を、今まで通りに
それからしばらくして、我々は森へと帰って来た。
きっと今頃アーラムは大騒ぎだろうな……。
そう考えると、アグニには申し訳なさが込み上げてくるが。
「さぁ、着いたぞ。我が家だ」
一緒の馬に乗っていたフィーを降ろしてやれば、彼女は興味深そうに周囲を観察していく。
彼女もエルフで、元々森暮らしなのだ。
特別珍しい物があるとは思えなかったのだが。
「良い、所ですね。こんなに静かな森は初めてかも知れません」
「そう言うモノなのかい? 俺には、良く分からないが……」
他の森とどう違うのか、そして彼女達が住むエルフの森とどう違うのか。
俺には予想も出来ないが、それでもフィーは胸いっぱいに空気を吸い込んでから。
「とても穏やか、安らげる環境が整っています。これも、世界樹の影響なのかもしれませんね」
そう言って微笑んでから、彼女はスーが乗っているリリシアの馬へと走って行った。
世界樹の影響、か。
確かにそうなのかもしれないが、俺達にとっては多分また別の理由もあるのだろう。
人族である俺に違いは分からないが、それでももし他と違う事があるのなら。
我々にとってここが“穏やかな場所”と感じられる様になったのは。
きっとスーが来てからなのだろう。
毎日淡々と狩りをこなしていたあの頃は、後ろ向きな気持ちも抱えていたと言うのに。
今では、確かに穏やかな気持ちでこの場所に帰って来られている気がする。
クマが迫って来たり、グリフォンに攫われたりと忙しい思い出も多いが。
それでも。
「グラベル……あの、だな」
感傷に浸っていれば、隣にはリリシアが眉を下げながら並んで来た。
彼女にしては珍しく、どう言葉にして良いのか迷っている御様子だ。
「師匠、馬を預かる。ついでにスーとフィーの様子も見ているから……その、ゆっくり話し合ってくれ。私は、二人の決断に従うから」
そう言って、シャームが三匹の馬の手綱を掴んで馬小屋へと向かって行った。
俺達の決断、か。
それはつまり……スーを手放すかどうか。
結論なんて出ているんだ、それがあの子の願いだというのなら。
でも、俺達は今逆の事を考えている。
自分でも分かっているからこそ、リリシアも確たる言葉に出来ずにいるのだろう。
「グラベル……と、とにかく、明日にしないか? ホラ、皆帰って来たばかりで疲れているだろう? だから、な。万全な状態じゃないと、とてもじゃないが神殺しなんて出来ないだろう? バステビュートの時だって、何で生きているのか分からない程だったんだ。一日二日くらいは休んでから……その」
気持ちは、痛い程分かる。
俺だってスーと離れたくない。
しかしソレは我々の我儘なのだ、一日また一日と欲張れば……その分辛くなる事が分かっている。
だというのに。
「そう、だな。せめて今日くらいは……ゆっくりしよう」
「あぁ、あぁ! そうしよう!」
俺達は、自らの願望を前面に押し出してしまった。
良くない事だと、誰の為にもならないと分かっていても。
もう少しだけ、そう願ってしまったのだ。
――――
「世界樹を使うのって、まだやんないよね? 皆家の中入ってるし、ムムもまだモモンガだし」
『何だよ、スー。急に寂しくなって来たのか?』
「そりゃ、まぁ……」
畑とゴツゴツ卵を温める係に任命した鶏の様子を見に行ってから、全員が家に入っていくところを見て少しだけ安心した自分が居た。
妹を“向こう側”に帰すってのは大いに賛成な訳だが、ちゃんと考えれば俺もって事なんだよな。
いや、今まではあんまり考えない様にして来ただけだと思う。
あちらに居た“須賀旭”の身体を取り戻すって事は、“こっち側”に居るスーの存在が消える事を意味する。
でも肉体とかある訳だし、こっちの体はどうなるんだろう?
なんて思ったりもする訳だが、その思考さえも“逃げ”なのだろう。
俺が帰れば、どっちにしろ“スー”って存在は死ぬ。
そもそも帰るって事は、もう皆とも会えなくなるって事だ。
分かってた、ちゃんと頭では理解してたけど。
そう考えると……なんて言うか。
『お前の妹だけ帰しても、また同じ結果になるぞ』
「分かってるよ。雅は俺の中身が違うって気づいて、迎えに来てくれたんだろ? お前が通訳してくれたから、しっかり理解してる。アイツだけ送り返しても、またこっちに来ちゃうかもしれないし」
『だったらシャキっとしろ。お前が来てから、一番の大勝負だぞ』
「だから分かってるってば!」
思わず、抱っこしているビルに対して叫んでしまった。
なっさけねぇ、こんなの八つ当たり以外の何者でもないじゃないか。
自分でもソレが分かっているからこそ、ジワリと目に涙が浮かんで来る。
『俺はお前の兄貴分だ、基本的に我儘も聞いてやるつもりでいる。でもな、一個だけ厳しい事を言っておくぞ? 良く聞け、スー』
「なんだよ、まだお説教が続くのかよ? こんな時ばっかりいっぱい喋るじゃん」
ビルに見られないように、ブサ猫のモフモフに突っ込んで顔を隠していれば。
『泣くなら、俺だけ連れて家の外で泣け。アイツ等に涙は見せるな。辛いと思ってるのは、お前だけじゃねぇ。お前が泣けば、アイツ等は迷っちまうからな』
「……うん、そうする。ごめんビル、さっきは怒鳴っちゃって」
『いいさ、騒がしいのにはもう慣れたからな』
それだけ言って、ビルは俺が泣き止むまでジッとして居てくれた。
妹の事もあるし、友達とか両親の事もあるし。
だから帰らなきゃいけない、それは分かってるのに。
俺、ここに居たいって思ってしまった。
もっと皆と一緒に、のんびり暮らしたいって。
これは我儘で、皆に迷惑を掛ける事なんだって分かっているけど。
「ぅ、うぅぅ……この身体、すぐ泣くから嫌いだ……」
『いいじゃねぇか、泣いたって。俺が知ってるスーって小娘は、良く笑って良く泣く。活き活きした猫娘だからな』
「ビルぅぅ……大好き」
『あん? またご機嫌取りか? ……なんてな。俺も大好きだぞ、スー。お前が来たその時に、最初に会ったのが俺で良かったと今なら思うよ。全く、放っておけねぇ手が掛かる妹も居たもんだ』
ほんと、最初に会ったのがビルで良かった。
むしろコイツが俺を見つけてくれなかったら、初期で詰んでいた訳だし。
いくら感謝しても足りないくらい、ずっと面倒見てもらっていた。
周りの言葉が分からない俺の傍にずっと居てくれて、危ない時には助けてくれて。
そんでもって普段はぶっきらぼうなのに、こういう時にはちゃんと甘えさせてくれる。
「俺、長男だったから。こうして誰かにずっと甘えてたの、初めてかも」
『そういうや向こう側では兄貴だったか。ハハッ、何か違和感があんな。俺からすりゃ、お前なんぞまだまだ甘えたい盛りのガキだってのに。甘えろ甘えろ、俺は随分と長生きだからな』
二人揃って軽口を叩く頃には、随分と涙も引っ込んでくれた。
もういっぱい泣いた、それこそビルの毛が一部がビショビショになるくらいは。
よし、行こう。
いつまでも一人で外に居たら、皆が迎えに来てしまうかもしれないから。
最後くらいは、心配掛けさせない様に。
『もう、大丈夫か?』
「うん、サンキュ。戻ろうか、ビル。ムムも、そろそろ行くよー!」
叫んでみれば、世界樹にしがみ付いていたムムは滑空して来て俺の肩にとまった。
さぁ帰ろう、我が家へ。
自然とそう思えるくらいに馴染んでしまったのだ、この家に。
俺の異世界生活は、ここに住む皆に助けてもらった事から始まった。
そして多分、もうすぐ終わる。
だったら、笑って別れよう。
皆にも笑って欲しいなら、まずは俺が笑わなければ。
無理矢理にでも表情を柔らかくしてから、俺は玄関の扉を潜るのであった。
――――
「ホラ、スー。お湯を掛けるから、耳を押さえて目を瞑ってくれ」
「ん」
随分優しい顔を浮かべたリリシアが、スーの頭に桶でお湯を掛けていく。
そんな光景を湯船に浸かりながらボケッと眺めていた。
最近はずっと私がスーと一緒に風呂に入っていたのだが、今日ばかりはリリシアも一緒にという事になってしまった。
まぁ、それも仕方のない事だろう。
何やらいつもよりスーも大人しい気がするが、久々にリリシアと一緒に入ったからなのか。
それとも妹が家に来ているから恥ずかしいとでも思っているのか。
「あぁ、そういえば。スーは元々男の子なんだったか」
お湯に浸かってボーッとしていれば、ふとミーの言葉を思い出しポツリと呟いてしまった。
「どうしたシャーム、今更恥ずかしくなったのか? だったら後は私がやるから上がって良いぞ?」
クスクスと笑うリリシアが、妙に挑発的な笑みを浮かべて来るが……正直、元のスーの性別が何だろうと今更どうこう言う気は起きなかった。
現状は女の子な訳だし、どちらにせよ弟と風呂に入る様な気持ちにしかならないだろう。
「まさか、リリシアこそどうなんだ? エルフは高貴で、人に肌を晒す事を嫌がるんだろう?」
「それこそまさかだ。私自身高貴などと思っていないし、年齢なんてスーと比べればお婆ちゃんどころじゃない。今更恥ずかしがるつもりなんて無いよ」
そう言いながら、後ろからスーをギュッと抱きしめるリリシア。
彼女の表情は、どこまでも優しかった。
対するスーは「どうしたの?」と言わんばかりに、不思議そうな顔を浮かべながら振り返っている。
本当に元男の子なのか? 反応が物凄く普通というか、もはや慣れた感じなんだが。
「むしろ、懐かしく思ってしまってな。この子がココへ来た初日、こうして風呂に入れてやった。不安そうで、寂しそうで。放っておくと何処かに行ってしまいそうな雰囲気があった。だからあの時も、こうして抱きしめた」
過去の記憶を噛みしめているのか、抱きしめる手に少しだけ力を入れている様に見えるリリシア。
スーに関しては、柔らかく微笑みながら何か言葉を紡いでいるが。
「結局あの時も今も、スーの言葉は分からなかったな。全身で表現してくれるから、どうにか意思疎通は出来たが。私は、この子の言っている事を理解したかった。通訳など挟まず、何を言っているのか知りたかった。それも叶わぬままになってしまったな」
「……リリシア、スーの前では」
「あぁ、そうだったな」
グイッ目元を拭った彼女は再び微笑みを溢し、スーの事を立ちあがらせる。
少しだけ不安そうな顔をした彼女に、リリシアは首を振って答え浴槽の方を指さした。
「身体を冷やさない様にな、スー。私も体を洗うから、シャームと一緒に温まっていてくれ。ビルとムムは此方で洗っておくから、気にするな」
促され、スーは私と一緒に浴槽に身を沈めて来た。
そう広くはないので、二人で入ればいっぱいになってしまう。
いつかはスーも大きくなって、こうして一緒に入る事も出来なくなってしまうのだろう。
そんな風に思っていたのだが。
師匠にも相談して、もっと広い浴槽にしないかなんて話し合った事もあったと言うのに。
もう、その必要も無くなってしまうんだな。
「スー、こっちにおいで」
両手を広げて招いてみれば、いつもの様に私に背中を預けて来る。
小さい背中、腕の中にすっぽりと納まってしまう程。
こんな細い身体で、最初に見た彼女は泣いていた。
だからこそ、攫われた獣人の子だと思って二人に喧嘩を売ったんだったな。
今ではもう懐かしく感じるのに、まだそんなに経っていないと思うと……随分と、色濃い記憶になってしまったものだ。
「あれから、私は強くなれたのかな? スー」
「――? シャーム、――」
「いや、何でもない」
いつだって何かに助けられ、大した役には立てなかった私だが。
この子はずっと傍に居てくれたのだ、頼ってくれたのだ。
例え守り切れなかった時だって、私を責める様な素振りなど見せず。
あっちにこっちにと手を引っ張ってくれた。
居心地が良かったんだ、スーの隣を歩くのは。
今まで灰色の記憶ばかりだった私に、色をくれたこの子を。
守りたいと、そう願っていた筈なのに。
「スー」
「ん? ――」
彼女の頭に、ゆっくりと自分の額をくっ付けた。
私は今、とても我儘な感情を胸の底に抱えている。
行って欲しくない、もっと傍に居て欲しい。
絶対に口に出せないこの願いが、数日前からグルグルと渦巻いているのだ。
全く、情けない。
この子を守るどころか、守られていたのは私の方じゃないか。
「いや、何でもない」
それだけ言って、無理矢理にでも微笑むのであった。
スーが姉の様に慕ってくれるのなら、最後まで私はそうあろう。
今は、それ以外泣かずにいられる方法が思いつかないのだから。




