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黎明前奏そのⅣ

 ―――アビゲイル・ウィリアムズ。


 米国アメリカのセイラムにて生を受ける。


 その後、十三植民地時代のアメリカで起こった、“セイラム魔女裁判”の最初の告発者。(アビゲイルのみではなく他にも告発を行った者はいた)


 魔術師の疑いを持たれた150人以上の逮捕と投獄に関与した女性であり、魔女裁判後の生死は不明―――十七歳で死んだとも、娼婦として生きたともいわれている。


 魔女裁判のことの発端はアビゲイルと従妹のベティ・パリスらはある日、牧師に目撃される。腕を激しくばたつかせ、部屋の周りを走り、椅子の下で泳いで、煙突を登ろうとしていた。アビゲイルの体は明らかに不可能な位置に曲がったという。


 それが集団ヒステリー、集団パニック、集団幻覚、集団妄想と称されることもあるセイラム魔女裁判の始まりだ。


 さて、この物語に登場するのは同姓同名の女“アビゲイル・ウィリアムズ”だ。


 神に魅入られ、神を魅入った鉄心の少女。その心が示すは―――猩々緋(しょうじょうひ)のように赤く染まりし鉄。


 ―――魔術師。


 ―――魔女。


 彼女の願いは届くことはない。


 人間が故の矛盾、自身を疑わない怠惰、己の欠落を見落としたその先に絶望の招来が待ち受けていることを―――まだ彼女は知らない。


 嗚呼、可哀想なアビィ―――貴女にはやっぱり縄がお似合いだね。


 嗚呼、愛らしいアビィ―――もう軽くなってくれないの?


 嗚呼、痛ましいアビィ―――ナースはもう大丈夫だよ。


 嗚呼、気の強いアビィ―――あまり周りの人を困らせてはダメよ、もっと女の子らしくしなくちゃ。


 嗚呼、幼い日のアビィ―――お父さん、お母さんはもういない、だけど大丈夫きっと、大丈夫だよ。


 嗚呼、ある日のアビィ―――かみさまはひどいね、なんでこんなことするんだろうね、ああなかないで。


 ああ、あしたのあびぃ―――おいていかないでね、わたしたちはずっといっしょだよ。


 ああ、かわいそうであいらしくていたましくてきのつよくておさなくてあるひのあしたのあびぃ―――もえないで、どうか、どうか、もえつきないで。




※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※




 ―――森のなかで火が灯っていた。


 焚き火で私は暖まっていた。


 外は暗い、中は明るい。もう少し待っていようかな。誰を待っているのかも分からないまま、焦点の合わない暗闇を覗く。―――こわいなぁ。


 もっと火を強くすれば、もっと何かを燃やせば輝くのかな。言いつけを守っていたから―――絨毯(じゅうたん)は土まみれ。いらないよ。こんなもの。


 ちょこっとだけ、ほんとに少しだけ寒いなぁ。体が震えるなぁ、手がかじかむなぁ、お母さん、お父さん、どこにいるの?


 ――――。


 ごめんなさい、あとですっごいあやまるからさ。


 絨毯、燃やすね。


 絨毯の端っこが熱を帯びて燃えていく。端っこから中心にオレンジの炎が駆けていく。燃え尽きないで―――もっともっともっとたくさんたくさんたくさん、つつみ込んでよ。炎って、ああ、暖かい。


 ―――暖かいなぁ。




※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※




 私は魔術師を赦さない。


 ―――ウィリアムズの魔女。


 私たちの一族は魔術の歴史が始まってまだ浅い。それでも己の探求に目を輝かせていた少年のような父を、母と共に眺めるのは嬉しかった。


 父の魔法は誰よりも優しかった。人形をまるで魂が入っているかのように操る魔術。私はそれで何回も遊んでもらった。幼いころからずっと。


 当然ながら私も魔術について勉強をした。勉強をするのは楽しかった、父に教えてもらいながら学ぶのは特に。魔導書の古本特有のあの香りが好きだった。だから誕生日に魔導書を柄にもなく、ねだったらすごく喜んでいたな。―――なんて勉強熱心な子だ!……ってね。


 母がよく作ってくれたりんごのタルトは甘くて美味しかった。私も何度か真似して、教わりながら作ったけど母のようにはうまくいかなかった。お世辞にも美味しいとは言えない出来だった、それでも父と母は『美味しい』と言ってくれた。


 ―――わたしは。


 父と母の間には子供ができなかったらしく、孤児院で私を引き取ってくれた。そんな私に優しくしてくれて、両親に報いたいと思った。


 ―――でも叶わなかった。


 マサチューセッツ州のダンバースの町、ノースストリートの10年前の夜。


 私がまだ7歳の時だ。


 父と母が家を仕事に行っている最中の留守番を任された。―――めずらしいな……っと思った。頼ってくれて嬉しかったので、快く私は引き受けることにした。自分で家の用事をこなす―――ご飯を作ったり、洗濯物を干したり、畳んだり、部屋の掃除に勉強といつも以上に大変だった。


「まだかなぁ……」


 夜には勉強をして、暇をつぶしていた。そうただの暇つぶし、だけれど、父と母が帰ってくることはなかった。深夜の0時になろうとも帰ってくることはなかった。1時に2時になろうとも帰ってくることはなかった。


 ―――きっと仕事が長引いてるんだ……そう自分に言い聞かせて。


 だけども子供ながらに嫌な予感が脳裏を過ぎる。


 気がつけば家を飛び出していた。裸足のまま一生懸命に手繰(たぐ)り寄せるように、一心不乱に『お母さん!』『お父さん!』と悲鳴にも似た声を上げて走り回った。センターストリートの道中を走り回る。だけど、私の声は暗闇にのまれるだけだ。必死な私を嘲笑っているように暗闇の奥の目がこちらを覗いて見えるようだった。


 どの程度走ったのかも見当がつかないぐらい走ったあたりで―――街灯に照らされていてよく見えた。


 血を垂れ流しながら倒れ伏し、空虚な眼で暗黒を見つめる自分の両親の姿を―――見てしまった。父は背中に複数の刺し傷があった、だがそれだけではない、それは剣のようなもので突き刺されたようでそれで致命傷だった―――だが父はおそらく、何度も何度も繰り返し繰り返し刺されたのだと思われた。


 母はお腹をバッサリと裂かれていた。中身を覗くことができそうなくらい、赤黒い深淵がこちらを覗いていた。父が先に殺されたのか、母が先に殺されたのか。それすらもわからなかった。だけど―――


 私はそんなに考えられなかった。


 ―――敵が近くにいるかもしれない。 


 魔術師ならばそう考えて当然だろう―――だけど私は魔術師である前に一人の少女だった。魔術師として私はあそこで失格の烙印を押したのだ。


 ―――魔術師失格。


「パパ!ママ!」


 赤い水溜りができるほどの出血量だった。もうすでに事切れていることは確かだった。私は気づかないふりをした。ただ咽び泣いて、神にでも祈るように声を上げて―――


 「―――ーッうわぁぁ゙ぁぁぁぁぁぁー!」


 ただ叫んだ。


 日常を壊された。


 大好きな人を殺された。


 ―――赦さない。


 私は赦さない、魔術師を、この魔術社会も、神々を―――この遍(あまね)く地球に蔓延る神秘を赦さない。赦してやるものか。


 壊してやる。壊してやる。壊してやる。


 ―――その後に彼女はウィリアムズの魔女と呼ばれる。




※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※




 ウィリアムズの魔女は来たるべき時のためにその人生の全てを魔術の研鑽に費やした。それは皮肉なことに魔術社会の崩壊の望みを叶えるには魔術という神秘が必要不可欠であった。―――実際に血を吐いた。当然何度も死にかけた。だけど彼女の憎しみが、憤怒が―――彼の神童にすら差し迫らんとしていた。


 父の書斎にあった魔導書を読み漁り、それでもまだ足りないと感じたからか、あらゆる国を跨ぎ魔導書の売っている魔導店などに入り込み盗みを働いた。彼女は特別にお金があるわけでもなかったので仕方がないと割り切った。しかし、やはりどの店も防犯対策はバッチリなようで、魔導書に特別な魔力の印がついており、会計の時にそれを外すが外さずに外に出たらわかる、そんな術式が刻んであった。だからか外に出るといつもバレて、彼女は店の関係者を死なない程度に痛めつけてしまわなければならないこともしばしばあった。


 さて、そんなウィリアムズの魔女ことアビゲイル・ウィリアムズは数々の魔術をこの十年で網羅した。並の魔術師ならば少しずつ、何十年と掛けて覚えていく工程をたった十年ほどで完遂したのだ。


 魔術師としてこれ以上なく成長した彼女は刻印が刻まれた。虚星の神の食卓に添えられる食材として選ばれたのだ。そして彼女が願望器に掛ける願いは一つ。


 ―――魔術をこの世界からなくすこと。


 魔術戦争に生き残りさえすればその願いはもはや夢物語などではない、偽物でもなく、大いにあり得る現実―――本物に昇華されるのだ。


 彼女がメインウェポンとして扱う魔術は『作成した人形を操る魔術』だ。かつて彼女の父が、彼女に見せてくれたものだった。


 作成した人形を操る魔術は文字通りの能力を持つ。それは一見軟弱ともとれる力かもしれない、しかしこの魔術の真の恐ろしさは作った人形の材質や効力次第で如何様(いかよう)にでも化けるという点だ。戦闘用ならそれに特化した武器を取り付けたり、全身を鉄で武装なんてこともできるかもしれない。自らの重みで動けない場合は魔力のパッチを繋げて魔力を通すことで動かすことができるだろう。


 さらに彼女の実力はとどまることを知らず、自分の半身の人形すらも作れてしまった。作り出した人形は自身と全くの瓜二つで体の機能も遜色ないレベルだ。自身の魔術を行使しても機能に問題が生じることもない。それでいて魔力のパッチが通じる距離も国を跨ぐほどの距離でなければどこへいようとも動かすことができる。彼女の努力の才能ゆえの繋がりを慮る魔術だった。


 ―――そして黎明前奏。


 彼女は東京の山間部である、西多摩(にしたま)地区へとやって来ていた。旅館のチェックインもバッチリに済ませ、さて観光―――とはならず。無論、彼女には彼女なりの考えがあってこの地区へとやって来た。


 ―――おかしい……。


 今宵の夜は実に魔力が満ち満ちていた。それは異常とも呼べた。東京の都市部、それこそ渋谷や新宿はそんな状態では決してなかった、しかし東京の外れの方面、それも山間部から尋常ではない魔力の濃度が漂っていた。この魔術戦争となにか関わっているのだろうか?そんな疑問符が出てくる。


「考えても仕方ない」


 アビゲイル・ウィリアムズは自分のやるべきことのため、丑の刻となる夜宵に、この魔力で満ち溢れた獣道を歩いていた。手にはちょうど人が入りそうな大きさのキャリーケースを運びながら。―――適当に拓けた場所があればいいな……その程度に考えていた。


 だがそんな好条件な場所などそうそう当たりを引くはずもない。そう思いもっと深くの暗闇が生い茂る中を歩いてい行く。


 ―――暗闇は、苦手だ。


 彼女の恐怖の在処は根源的な恐怖である闇。両親と自身を引き裂いた途方もない深淵なのだ。闇や暗黒を見るとあの日のことがフラッシュバックする。その恐怖が彼女を蝕む、しかしそれでも魔術師である彼女は割り切っている。とことん魔術師らしい魔術師である。


 ―――ほんとに矛盾ばっか。


 ―――人間としても魔術師としても半端者で、やることなすこと全て矛盾に溢れている。それが人間の本質って言えばそれまでなんだろうけど、それでも私は自分自身を気持ち悪いと思う。なんでここまで頑張れたんだろう、なんで諦めなかったんだろうって、途中で踏みとどまれるところはいくらでもあったのに、それでも地獄に片足突っ込んで、さらに自分で自分を鼓舞して、今ではもう、肩までどっぷり浸かってしまっている。


 ―――私は魔術をなくすために魔術の探求を続けたけど、それってやっぱり矛盾だよね。自分からそういう世界に来てしまってるんだから。周りから背中を押されてこの地獄に来るならまだしも、自分で自分の背中を押してその景色を見ているんだから。なんで自分がここに立っているんだろう。


 ―――平和で慎ましく暮らせればよかったのにな。


 そうこうしているうちに洞窟のようなものを見つけた。ここからの魔力が特に濃い。まるで外界と内界を繋ぐ絶対領域だ。そこから異彩を放つ魔力だ。だが彼女は空気中に漂う魔力は濃ければ濃い程よいと考えていた。それは周りの魔力を自身で利用するためだ。


 ―――これから彼女はとある儀(・)式(・)を行おうとしていた。それは魔術史で禁忌とされ、父が研究していたことでもあった。おそらくだが父と母が殺された原因でもあったんだろう。


 ―――ホムンクルス。


 その最終作成段階に。


 大元をたどればホムンクルスはラテン語で『小さき人間の意』によるヨーロッパの錬金術師による人造人間伝説が始まりだ。製法については諸説ありつつも、一般的にはルネサンス期の錬金術師パラケルススの著作『De Natura Rerum(ものの本性について)』に描かれた。まず蒸留器に人間の精子を入れ、(さらに数種類のハーブと糞を入れる説もある)40日間密閉し、腐敗させると、透明でヒトの形をしたナニカが現れる。


 それがホムンクルスの製造方法らしいのだが、魔術世界でそのような手法をとったとしても出来上がるのは胸糞の悪い液体のみである。まだホムンクルスの生成が禁忌でない頃、多くの知識を用いて多くの魔術師たちがその作成に人生を注いだ。しかし、アビゲイルが確認できた記述では魔術史的に見ても一(・)度(・)だ(・)け(・)しか作成の成功記録が見つからなかった。


 そして禁忌とされている理由として『ホムンクルスが自我を持ち、人間を凌駕する知識を携え、神を招来させようとした』かららしいのだ。神の招来は人類の滅亡と同義のこと。ホムンクルスはそれを実行しようとし、阻止された。当然もう二度とこのようなことが起こらないようとある機関から禁忌指定されている。


 大前提として神の招来には途方もない魔力が必要だ。ホムンクルスのこの逸話からもわかる通り、どのような方法を用いたか定かではないが、ホムンクルスは最強の偽人類だ。それを使役する―――そうすることでこの魔術戦争で最高のアドバンテージになる。そして、それを使役することがアビゲイルの理論上では可能だった。


 『作成した人形を操る魔術』の利用だ。ホムンクルスの制作にはさまざまな要素による作成が不可欠。人形内の身体構造を人間に寄せ、血を通わせた。あくまで血液が体中を循環しているだけで、それが生命の鼓動になっているわけではないけど、装いだけでもかなりの出来だった。


 そして自身の魔術の性質―――自身が生み出した人形は己が操ることができる。これでホムンクルスに確立された自我が宿ろうともアビゲイルの術中から逃れることはできない。そうした不測の事態のことも考えてアビゲイルには成功する確信があった。ただ、それでもやはりホムンクルスの作成がそもそも失敗してしまった場合その限りでもないことだが。ただ、この魔力の濃い空間が時としてイレギュラーを呼ぶかもしれなかった―――それが吉と出るか凶と出るか全くの不確定であるのだが。


 そうした下準備も終えて、日本へとやって来ていた。薄暗い洞窟の中は少しじめついている。この程度のこと、アビゲイルが気にするほどのことでもなかった。そして儀式の最後の下準備が始められた。


 まずアビゲイルはポケットに入れていたナイフを取り出し、自身の掌(てのひら)を切り裂いた。鮮血がこの洞窟に小さく舞踊のように舞う。鉄さびのような不愉快な匂いで充満する。だが彼女は手を止めることなく、流れ出た己の生血を鉛筆の芯として見立て、洞窟の湿った地面をキャンバスに見立てながら魔法陣を描き出す。そして描き抜いた。


 そしてキャリーケースの中に入っているものを取り出す。それはホムンクルスとなるための自身が作った人形だ。できるだけ人間に沿られて作られたソレは姿だけ見れば白髪となって髪をまとめていないアビゲイル・ウィリアムズであった。上文にて『手にはちょうど人が入りそうな大きさのキャリーケースを運びながら』―――と書いたがまさしく人ではないにせよ、それに近しい人形が入っていたのだった。


 描いた魔法陣の上に自身の人形を乗せる。自身に酷似した姿からか、はたまた服を着せることをしなかったせいかアビゲイルは少し煩雑な気分だった。


 準備はとうとう整った。最後に詠唱をする。


 それは命を与えるための小夜曲。




「―――其は生命(いのち)を軽くする。


「―――死を重くし、死は重さを忘れさせる礎となる。


「―――果敢なき血に泥を、可憐な華に狂気を、白痴なる者に不遜を。


「―――色を失い、胚を消す。


「天つ風に誘われ、暗き門は閉ざされんとし、虚星より舞い降りし御魂よ、循環せよ。


「拝せよ(みたせ)。


「抗せよ(みたせ)。


「吟せよ(みたせ)。


「介せよ(みたせ)。


「征せよ(みたせ)。


「五重の円環、ただ今宵の黎明は充たされる。


「―――其は告げる。


「誓いを此処に、汝は熾天の何処(いずこ)、乖離した天秤の泥人形。


「主の意志を源に其の知、其の鉾(ほこ)とし、我が命運に従い昇華されよ―――




 詠唱が始まった瞬間、魔法陣が悲鳴を上げるかのように、廃した音を立てる。それは人間に到底聞き取れるはずのない音域にあるはずの“音”だった。リズムも周期もない、ただ悪戯にこの空間に魔力を撒き散らすだけの魔術炉に成り果てたとでもいうべきだろうか。この音は息苦しさすら感じるようだ、悪魔に直接脳を触れられているかのような不快感と形容できる。


 魔力が吸い取られていく、詠唱の言の葉の一節一節が重荷だ。いつものアビゲイルならば半分も告げないうちに魔力切れとなっていただろうが、この絶対領域ならば魔力が切れることはない。ただ限りもある。詠唱を続けるなかでこの洞窟の魔力も底が一瞬のうちで見えてきた。魔力はぎりぎり保つかどうかだろう。


 次第に赤黒き鮮血で描かれた魔法陣は光沢を帯び、赤裸々な光が螺旋状に疼きながら魔法陣の中心、自身に見立てた人形へと吸収されていっているようだった。


 不愉快な音が混じり合うこの空間でアビゲイル・ウィリアムズは気づく。この悲鳴にも似た音は特殊に魔力の濃い場所で行なったから、魔力同士がこの空間で入り乱れあってこのような音がなっているのだと思っていたが、それはまったくの見当違いだった。


 今の今まで音だと思い込んでいたもの、それは生物の鳴き声に酷似していた。霊長類の声帯を潰して無理やり発声しようとしている死骸のような声だった。アビゲイルは何かを伝えようとする意思をそれから受け取ってしまった。


 アビゲイル自身現在何が起こっているのかわからない。イレギュラーな状況にまったく予想していなかったわけではなかったが、アビゲイルは驚きを禁じ得なかった。


 ―――結論から言ってしまえば、この儀式は失敗だった。


 そう、失敗したのだ。何が失敗だったのか。イレギュラーであるこの空間だったのか。はたまた純粋に魔力が足りなかったのか。それともホムンクルスの器、それ自体が適したものではなかったのか。


 どのみち関係のないことだ。


 アビゲイルは詠唱が終わったタイミングで知る。この空間が文字通り歪んでいることに。それから四方の虚空に留めのない暗黒が湧き出ていた。それは魔力で出来ていた。


 それは―――


 途方もない深淵、途方もない暗晦、途方もない悪夢。


 暗闇から湧き溢れたのは異聞と畏敬の汚染された魔力の泥。アビゲイルは直感する、これは地球上に属すことのない絶対値。人類の抗いなど意味を成さない存在。それは人類悪ですらなく、意志の有無すら怪しい。


 ――――雎顔ゥ」縺ョ螂ウ逾。


 この空間が泥で満ちていく。普通ならば魔力の泥は外へと溢れ出ていくのだろう、だが泥は溢れることなく洞窟内に溜まっていく。隔絶された絶対空間との見方があったが、今ならばクローズドエリアだとも言える。


 泥の溢れる中心には自身を形作られた人形が魔法陣と共に鎮座していたがもうすでに泥に呑み込まれ、その影すら見当たることはない。


 本来ならば儀式は不発、どう転んだとしても失敗に終わるはずだった。―――それほどまでにホムンクルスの生成は高度な魔術だったのだ。だが、イレギュラーの介入とこの空間、そして―――深(・)い(・)森(・)であった点。不幸にも条件が揃ってしまったのだ。異常存在にとって好都合な状況へと。―――この儀式はホムンクルスを形成するものではなく、ナニモノかを招来するものへと書き換えられたのだ。


            「縺ゅ↑縺溽カ壹¢縺ェ縺輔>』


 アビゲイルが脱出を試みようとした時には遅かった。泥がすでに彼女の脚を呑み込みつつあった、それだけなら良かったが、その深淵の泥は彼女の逃亡を許さない。逃げられない、脚が掴まれ固定されているかのよう。


「―――クソっ!―――クソっクソっクソっ!」


 やるせない気持ちを泥にぶつける。腕を手を叩きつける。けれど、彼女のその行動に意味などない。


 ―――失敗した。失敗した。失敗した。


 ―――何が駄目だったのか。


 ―――それを考える余地すら今の私にはない。


 ―――ママ。


 ―――パパ。


 ―――ごめんなさい、壊せなかった。


 ―――………いや。


 ―――最後に希望くらい、賭けてもいいよね。


 アビゲイルは自身の死を直感していた。罰当たりな人生、魔術師としても人間としても半人前。懺悔と後悔、そして悔恨。そんな彼女は半ば自棄にも似た感情で願った。


「私の魔術を、私の命を、私の魂を―――私の凡(すべ)てをアナタに差し上げます。だからどうか………この魔術社会を完膚なきまでに―――破壊して」


           「縺ゅ↑縺溘♀繧ゅ@繧阪>縺ュ』


 その言葉を最後にアビゲイルは意識を手放した。汚染された魔力の沼に呑まれ、その姿はポツリと姿を完全に消した。


 ―――しかし。


      「螂ス縺阪h縲√≠縺ェ縺溘∩縺溘>縺ェ螽』




※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※




 燃えて、燃えて、燃えて。


 灼熱が体温に染み込んでくる。


 防腐剤が敷き詰められた体内から綿が燃え上がる。


 私、燃え尽きないで。


 私、燃え尽きないで。


 私、燃え尽きないで。


 どうかどうか、全身の血管を引っ剥がえされるような陵辱に耳を貸さないで。


 父と母が大切にしていたのは窓のうちの箱庭なんだよ。


 命の炎。


 私は絨毯。


 私はお人形。


 私は前面鏡。


 じゃあ意味なんてないよね。


 これも意味ない。


 意味縫い。


 いみぬい。


 いみない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。


 ない。                 燃え尽きた。




 ――――私は燃え尽きない。




※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※




「おーい、命まで取った覚えはないぞー』


 どこか力が抜けてしまいそうな声で意識が覚醒する。どこか熱い瞼(まぶた)を開き、アビゲイルの瞳孔が捉えたもの、それは月の光に照らされた昏(くら)い森に一人の―――女だ。


 片手を腰に当て、


 しかし奇妙な点が一つあった。その姿、形、顔、髪質がアビゲイルに酷似していた。いや、酷似ではなくほ(・)と(・)ん(・)ど(・)同(・)じ(・)だったのだ。アビゲイルはまるで写し鏡を見ていると錯覚するだろう、しかしソレは自身と違うポージングや違う表情をするのでそれが姿見でないことを知る。そして自身の姿に似たものを同時に思い浮かべていた。


 ―――ホムンクルスの魂を生成するはずだった人形。


 それ以外にないと思った。だが仮にそうだとするのならば儀式は成功していたことになる。ならばアビゲイルの目の前にいるのはホムンクルスということになる。アビゲイルは必死にまわらない思考を広げるがそれ以外の考えに至らない。


「やっと起きた。結構待ったんだよ?』


「…………………………」


 アビゲイルは思考を止めない。先ほどの現象は何が起こったんだ。幻覚か、もしくは幻影の魔術か。なら誰がそんなこと―――ホムンクルス?意識が芽生えた瞬間からあんな高度な魔術を使えるはずがない。才覚はあれど、学ばなければひよっこ当然なのだから。


「……もしかして、私のことホムンクルスだと思ってる?』


「…………!」


「不正解だよ』


 ―――限りなく自分に近しい見た目で、私が酔っ払ってんじゃないかと思う。今の言いぐさはホムンクルスじゃない。なら何者?魂を生成する儀式で私はなにを―――


「―――割り込ませてもらったの』


「………………?」


「うーんと、あの儀式の外側から解釈を変えさせてもらった……とでも言えばいいのかな?―――魂を作成する儀式から招(・)来(・)の(・)儀(・)式(・)にね』


「……………は?」


 ―――何言ってるんだこの女。いや、女じゃないかもしれない。まして人間でもないかもしれない。こいつ、自分で私の儀式の術式を変えて招来の儀式にした―――そして、もしかすると、自(・)分(・)自(・)身(・)を(・)招(・)来(・)し(・)た(・)?(・)


「詳しく話す気はないけどね』


 ―――面倒くさいしと付け加えて、ニヤけづらをするだけでこいつは何も言わない。


「そんなことよりアナタ、きれいな赤髪ね。燃え上がる猩々緋みたい、すごくカワイイ、一生愛でてたくなる』


 背後から声がした。前方にいたはずのナニカは消えており、背後からの声と髪を触る感触がアビゲイルを伝ってくる。


「―――いつの間に」


「いつからだろうねえ』


 アビゲイルの猩々緋のような、情熱の薔薇のような髪の毛を弄(いじ)り詰(なじ)り、艶容な手つきで髪の毛を絡めたり搦めたり、まるで蜘蛛の糸に雁字搦めにされてしまったかのようだ。ソレが自分の姿見そっくりなのだからいたたまれ難い。


 アビゲイルは逃げられない。物理的に―――という意味ではなく心の重きという意味で、ミイラ取りがミイラになるようだ。


「はな……して」


「うーん、どっちかって言うと命令する側はコッチなんだよね』


 それを訊いてアビゲイルはひたすら声を上げる。


「離して……!離してよ……!」


 だが返ってくる言葉は―――


「だぁーめ』


 という無情な応えだ。


 ―――なんなんだよッ……もう、なんだよこいつ。意味わからない。ほんとに意味わからない。


 思考があまり切り替えられていない。魔術師の実力では他の陣営ですら引けを取らない力を有している彼女だが、魔術師としての在り方は根本的に彼女に向いていないのだ。


 すると女は奇妙に笑い―――


「ごめんね、ちょっとイジワルしただけ』


 と言い、アビゲイルの燃え上がるような赤い髪から手を離す。二呼吸ほど置いて、アビゲイルは口を上げる。


「―――あなたはいったい……」


「あ、やっぱ知りたい?そうだよねぇー、私人気者だもん。やっばアイツとは好感度が違うんよ』


 アビゲイルは急に饒舌になるなこの人、などと思いながら女が言葉を繋げるのを待つ。


「ごっほん……―――私は女神!豊穣と地母の女神!さぁー私を心の赴くままに、子々孫々に至るまて崇め奉りなさい!アッーハハハハハハハハハハハハハハハ!』


 自称する女神の爆笑が深い森の深い夜に駆け巡った。




※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※




 「私は黒山羊(くろやまひつじ)。気安く羊ちゃんって呼んでね』


「は、はぁ……」


 女神と名乗ったこの女に不信感を隠そうともせず、アビゲイルは思考を広げる。


 女神とは元来神話や宗教において特別な包容力や美しさを持つ存在として描かれる。だがこの自称女神に包容力を求めるのは間違っている気がする。ラフな女子高生と話しているような、そんな荘厳さとか神聖さなど持ち合わせていないのだ。さらにはこの女神とんでもないことを抜かすのである。


「元気ないね、腑(はらわた)でも啄(ついば)まれた?もっとこう、元気出しなさいよ!女(・)神(・)の(・)使(・)徒(・)らしくその立場に合った振る舞いを心がけなさい。先が思いやられるよ―――』


「今なんて……?」


 アビゲイルの眉が吊り上がり、悪戯がばれた子どものように心臓が脈打つ。金魚のように口をパクパクさせ、思ったように声が出せない。彼女のまごついた様子に優しく言い聞かせるように言う。


「なんてもこうも、キミが望んだことじゃない?』


「わたし……が?」


「そう、キミだよ!』


 女神は饒舌に騙る。


「―――女神である私に祈りと願い、そして代償を支払ったんだ。えっと魔術社会の破壊……だっけ?その君の願いに報いるためには神と使徒の関係が一番だったんだよ。完全顕現ができれば手っ取り早かったんだけど……まあ、私の完全顕現は現状難しい、ので!陰ながら私がキミの敵を屠り去り!キミを魔術戦争で優勝させます』


 虚星の神を利用するのが魔術社会破壊の一番の近道だからね―――と付け加えて。


 使徒。

 使徒は自らが崇拝する神のメッセンジャーであり、代行者であり、委託者なのだ。人類史ひいては魔術史という視点から論じても、今まで確認された使徒は十一人であり、またそれも遥か太古の話であって、現状この地球上に使徒と呼べる存在はいない、もしくは確認できていない―――この瞬間までは。


 アビゲイル・ウィリアムズ。


 ウィリアムズの魔女。


 彼女が十二人目の使徒であり、魔術戦争最後の参加者だ。


 そしてソレは魔術戦争と―――確かにそう口にした。この得体の知れない何かとともに少女は歩いてゆく、途方もない暗闇を。


「ちょっと待って、私が払った代償ってなんだったの?私はいったい何を支払ったの?」


「それもキミが言ったことだろう。凡てさ、キミの』


「私の……凡て」


 確かに言った。半ばやけだったけど。


「―――私はキミの神だ。キミの願いが成就するまで私はキミを助け、支えよう。そういうモノだからね』


 ―――でもね。


「神に対価を求めるという行為自体、私が言うのもなんだけど、あまり推奨できないんだよね。代償が半端ないから、それでも私はきっちり代償を求めるけどね。そういう性(さが)みたいなモノなのさ。そうそう、結論を言っちゃえばキミの願いを成就した暁には私はキミを―――』


「言わなくてもいい」


「…?なんでさ、自分に興味ない?』


「私は……そんな覚悟もう、疾うの昔に済ませてある」


 ―――魔術社会を破壊するなら、私は生きるも死ぬもこの女神に預ける。


 覚悟は疾うの昔にしてただろう。だが本来予測していたものとは違うにしろ、アビゲイル・ウィリアムズは最大の戦力を手に入れた。取り返しのつかない代償を支払ったことによって。


 この女神と使徒の異色のタッグチームが第四次魔術戦争を渾沌へと陥れていく。


「私はアビゲイル・ウィリアムズ!豊穣の女神たるあなたの使徒であり、魔術師ウィリアムズの魔女!」


「おー!』


「これからよろしくお願いします。羊さん」


「よろしくね!私はもうキミのことが好きだよ!』


「あ……ありがとうございます」


「それじゃーさ、服ない?』


「ないです」


「寒い』


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