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第53話 大地の下に、巨大な魔力の川がありました

 第二観測点から届いた最初の深部測定結果を見たとき、エレナは数字より先に、測定器の故障を疑った。


『地表下五十メートル推定域。魔力濃度、平常地域換算比プラス六八』


「……六八?」


 国際通信室で読み上げたノア自身が、信じられないという顔をしていた。


 昨日の観測では、二十メートル付近で概算プラス五〇前後。そこから一日経っただけでさらに増えた、という話ではない。今回の装置は深度ごとに地下から伝わる魔力反応を分離し、おおまかな濃度差と方向を読むため、エルグランの鉱山技術と帝国の精密測定核を組み合わせたものだ。


 深くなるほど、値が上がっている。


「校正は?」


「三回やっています」


「測定核交換」


「一号と二号で同じ傾向。誤差は四パーセント以内です」


「周辺鉱床」


「高濃度魔石鉱脈は見つかっていません。少なくとも地表調査では」


 それでも、エレナはすぐ結論へ飛ばなかった。


「『巨大な地下魔力源を発見』とは、まだ書かないでください」


「書いてません」


「新聞に漏れたら絶対そうなります」


「そこまで予測できるようになったんですね」


「嫌な成長です」


 ノアが小さく笑った。


 けれど、その笑みも長くは続かなかった。


 現地から追加の数値が届いたからだ。


『東西方向差、軽微』


『南北方向差、大』


『北西側低、南東側高』


『流動感応器、継続反応』


 エレナは地図の上へ紙を並べた。


「濃いだけではない」


「動いてる?」


「“動いているように見える”です」


「また慎重」


「当然です」


 地下魔力の方向検出は、川の水流を見るほど単純ではない。


 魔力濃度の時間差。


 感応板に現れる偏り。


 周囲の地質。


 地下空洞。


 鉱物。


 複数の影響を除かなければならない。


「現地のエルグラン技師は?」


「地質だけでは説明しにくい、と」


「カルディア側は?」


「大気側の変動にも、同じ方向性が少しあるらしいです」


 その一言で、エレナの手が止まった。


「地下と大気が?」


「完全一致ではありません。でも、地下値が高くなる場所の上空で、大気側も少し上がっている」


 昨日まで、仮説だった。


 地下と大気。


 別のものではなく、同じ循環の一部かもしれない。


 その可能性が。


 少しだけ。


 現実の輪郭を持ち始める。


「現地へ」


 エレナは言った。


「流動方向の再測定を。ただし装置は一か所に固定しないでください」


「三点?」


「最低三点。できれば四点」


「距離は?」


「百メートルずつ」


「地形的に無理なら?」


「現地判断です」


 自分で全部決めない。


 それも。


 もう自然になり始めていた。


 昼過ぎ。


 四地点の測定が揃った。


 第一地点。


 地下推定流動、北西方向。


 第二。


 同じ。


 第三。


 同じ。


 第四。


 やや西寄りだが、ほぼ同じ。


 ノアが紙の上へ矢印を書く。


「これ」


 一本。


 二本。


 三本。


 四本。


 ほとんど。


 同じ方向。


「……流れてますね」


 リナが後ろから言った。


「まだ」


 エレナが返す。


「まだ何です?」


「“地下魔力に一定方向の移動傾向を確認”です」


「川って言いたくない?」


「言いたいです」


「言いたいんですね」


「かなり」


 正直。


 頭の中では。


 もう見えていた。


 地中深く。


 目には見えない。


 巨大な魔力の流れ。


 地下魔力井戸や鉱脈は。


 独立した溜まりではない。


 大きな循環の途中に。


 開いた小さな窓なのではないか。


「もし本当に」


 ノアが地図を見る。


「大陸規模で繋がってるなら」


「はい」


「北部で減った分が」


「中央へ寄っている可能性はあります」


「じゃあ」


 ノアが大陸全図へ視線を移す。


「地下に、一本の巨大な魔力脈が?」


「一本とは限りません」


「網?」


「そちらのほうが自然かもしれません」


 大きな幹。


 そこから。


 枝。


 また枝。


 地下。


 山。


 平野。


 都市。


 鉱山。


 各地の魔力井戸。


「川というより」


 エレナはゆっくり言った。


「大陸の血管みたいなものかもしれません」


「血管」


 リナが少し嫌そうな顔をする。


「急に怖くなりました」


「では水路」


「そっちで」


「でも正式には地下広域魔力流路候補」


 ノアが笑う。


「主任、本当に名前が硬い」


「正式名称ですから」


 午後。


 国際合同魔導災害対策会議の技術部会が急遽開かれた。


 エレナは、発見を大げさに言わないよう気をつけた。


「現地四地点で、地下魔力に同方向の流動偏差を確認しました」


 エルグラン代表がすぐ聞く。


「流路と断定できる?」


「できません」


「では」


「でも、偶然の局所差だけでは説明しにくくなっています」


 カルディア側の気象技師が資料を見る。


「大気側にも同方向の偏りがある」


「はい」


「地下から放出?」


「それも仮説です」


「逆に大気から地下へ吸収されている可能性は?」


「あります」


 誰かが。


 少し笑った。


「結局、何も分からない」


 棘のある言い方。


 以前のエレナなら。


 少し傷ついたかもしれない。


 今は。


「はい」


 普通に答えた。


「だから測っています」


 相手が。


 一瞬黙る。


「ただ」


 エレナは続ける。


「昨日までより、分からない範囲は狭くなりました」


 地下に。


 高濃度域がある。


 方向性もある。


 大気と地下。


 連動している可能性。


 その三つは。


 昨日より。


 確かだ。


「では次は?」


 ベルナールが尋ねる。


「流速です」


「測れる?」


 エルグラン技師が顔をしかめる。


「正確には難しい」


「分かっています」


 エレナは答える。


「一定間隔で、同じ魔力変動がどこへ何分後に出るか」


「波を見る?」


「はい」


「自然変動待ち?」


「そのほうがいいです」


「人工的に刺激しない?」


 ハロルドが聞く。


「しません」


 即答した。


「この濃度で、地下へ魔力を注入して反応を見るのは危険です」


「同意する」


 ハロルドも。


 すぐ頷く。


 未知のものへ。


 刺激。


 その結果。


 何が起きるか。


 分からない。


「自然に出る変動だけを追います」


「時間がかかる」


「仕方ありません」


 早く知りたい。


 でも。


 早く知るために。


 事故を起こしては意味がない。


 その日の夕方。


 現地へ。


 追加観測手順。


 送信。


 第一地点。


 第二地点。


 第三地点。


 四地点。


 各装置。


 時刻同期。


 五秒以内。


 濃度。


 方向。


 大気。


 地下。


 同時記録。


 そして。


 夜。


 待つ。


 エレナは。


 通信室へ残った。


 ただし。


 今日は。


 夜勤班の指揮ではない。


「主任」


 ノアが言う。


「何時まで?」


「変動が一回取れるまで」


「それ、いつです?」


「分かりません」


「駄目じゃないですか」


「では」


 エレナは時計を見る。


「十一時」


「今九時半」


「一時間半」


「妥当です」


「最近、皆さん時間交渉が上手くなりましたね」


「相手が主任なので」


 九時五十二分。


 第一変動。


 地下値。


 第二地点で。


 一・八パーセント上昇。


 小さい。


 誤差域ぎりぎり。


「一回じゃ無理」


 ノア。


「はい」


 十時十三分。


 第三地点。


 同じような上昇。


「時間差?」


「二十一分」


「でも方向が」


 流動方向。


 逆。


「……逆?」


 エレナが。


 紙を取る。


 昨日まで。


 北西方向。


 今。


 一時的に。


 南東。


「装置異常?」


「確認します」


 現地。


 再校正。


 正常。


 数分後。


 元の方向へ戻る。


「何です、これ」


 ノアが言った。


「反射?」


「地下で?」


「分かりません」


 エレナは。


 数字を見る。


 流れ。


 一定ではない。


 揺れている。


「川でも」


 リナが。


 端で言った。


「逆流することありますよね」


「あります」


「詰まったときとか?」


 その言葉。


 エレナの指が。


 止まる。


「詰まり」


「いや、適当に言いました」


「分かっています」


「本気にしないでください」


「本気にはしません」


 ただ。


 仮説。


 流れが。


 一定方向。


 でも。


 時々。


 逆。


 もし。


 どこかで。


 押し返されているなら。


「圧力差」


 エレナが呟く。


「圧力?」


 ノア。


「魔力にも」


 正確な意味では。


 圧力という言葉が適切か分からない。


 でも。


 流れ。


 濃度差。


 押し出し。


「高い側へ」


 エレナは。


 地図の中央を見る。


「集まりすぎて」


「入りきらない?」


「まだ何とも」


 その直後。


 現地から。


 別の報告。


『第四地点、大気魔力プラス二六』


「二六?」


 ノアが。


 顔を上げる。


「さっきまで一九」


「変化率」


「一時間で七」


「警戒」


「地下は」


 ノアが。


 次。


「プラス六三」


 室内の空気が。


 一気に変わる。


「一時間前は五二です」


「十一?」


「はい」


 撤退基準。


 一時間で一〇パーセント以上。


 超えた。


「撤退」


 エレナ。


「現地判断ではなく?」


「事前条件です」


「了解」


 国際共通符号。


 急上昇。


 撤退推奨。


 いや。


 今回。


 すでに。


 共同合意。


 基準達成時は。


 撤退。


「送ります」


 ノアが操作。


 受信確認。


『撤退開始』


 エレナは。


 少し。


 息を吐く。


 決めておいてよかった。


 この場で。


 行くか。


 戻るか。


 議論しなくていい。


 でも。


 その数分後。


 現地から。


 追加。


『第三観測器 自己加熱』


 エレナの顔が。


 変わる。


「どのくらい?」


『外装温度、規定比プラス一四度』


「停止!」


 エレナが即座に言う。


「もう現地も停止操作」


 ノア。


 続報。


『主回路停止操作、反応なし』


「反応なし?」


「……はい」


 今度は。


 エレナが。


 立ち上がる。


「内部魔石を外せます?」


「現地に聞きます」


 数秒。


 返答。


『内部魔石固定部、異常発熱。接近危険』


「触らせないで」


「了解」


「隔離」


「雪上へ移動は?」


「人が持たない」


「なら」


 エレナ。


 考える。


 装置。


 地下。


 高魔力。


 自然環境から。


 勝手に。


 何かを吸っている?


「外部導入口」


 エレナが言う。


「閉じられます?」


 返答。


『閉鎖済み』


「それでも加熱?」


 ノア。


 顔が。


 青くなる。


『上昇継続』


 おかしい。


 内部魔石。


 止めた。


 外部導入口。


 閉じた。


 それでも。


 熱。


 上がる。


「空間から」


 エレナが。


 呟く。


「回路そのものへ流れ込んでる?」


 そんな設計ではない。


 でも。


 環境魔力。


 高すぎるなら。


 通常なら。


 無視できる微小感応路。


 回路材そのもの。


 そこから。


 誘導。


 流入。


「全員」


 エレナが言う。


「装置から離れてください」


 ノアが送る。


「観測器は?」


「捨てます」


「共同封印記録」


「捨てます」


 即答。


「データ核」


「捨ててください」


「高価です」


「人より?」


「了解」


 現地。


 撤退。


 距離。


 取る。


 五十メートル。


 百。


 護衛。


 技師。


 全員。


 装備。


 最小。


『第三観測器、発光確認』


 リナが。


 小さく息を呑む。


「光ってる?」


 ノアが読む。


『青白色』


 百五十年前。


 記録。


 青白い空。


 帯。


 光。


 エレナの胸が。


 強く鳴る。


「まさか」


 でも。


 今は。


 考察。


 後。


「撤退を優先」


 エレナ。


「現地に」


 ノア。


「はい」


『距離百五十。装置周辺、魔力反応上昇』


「爆発する?」


 リナ。


「分かりません」


「じゃあ」


「もっと離れて」


 送信。


 二百。


 三百。


 岩陰。


 そのとき。


 通信石。


 強い雑音。


 反射。


 ノアが。


 受信周波数を。


 手動で切り替える。


「現地?」


「待って」


 音。


 乱れる。


 そして。


 短い。


 緊急符号。


 三。


 急激な低下ではない。


 五。


 重要設備障害。


 八。


 通信障害。


 さらに。


 聞き慣れない。


 不規則信号。


「何です?」


 エレナ。


「現地側で」


 ノアが。


 必死に読む。


「観測器が……」


 受信紙。


 途切れ。


 次。


『第三観測器、制御不能』


『周辺装置二基にも過充填兆候』


「全部切れ!」


「切ってます!」


「内部魔石も」


「外してる!」


「通信器は?」


「最低限一基残す!」


 ノアの声。


 もう。


 敬語も。


 飛んでいる。


 エレナは。


 気にしない。


「人を先に!」


「現地も撤退中!」


 新しい符号。


『負傷』


 その一文字。


 エレナの呼吸が。


 止まった。


「誰?」


「まだ」


「状態」


「来てない」


「治癒瓶」


「現地医療班が持ってる!」


 受信。


 途切れる。


 雑音。


 高魔力環境。


 通信。


 乱れる。


「ノア」


「はい」


「通信維持だけ」


「分かってる」


 エレナは。


 机へ。


 両手を置く。


 行きたい。


 今すぐ。


 現地へ。


 そんな。


 不可能な衝動。


 でも。


 行けない。


 間に合わない。


 今。


 自分の役割。


「医療担当へ」


「はい」


「現地治癒瓶の種類と残数確認」


「送ります」


「撤退先」


「第一観測点より手前、岩壁避難地」


「距離」


「四キロ」


「移動できない負傷者なら?」


「現地判断」


「はい」


 任せる。


 今こそ。


 任せる。


 でも。


 胸。


 苦しい。


 さらに。


 受信。


『負傷者一名』


『意識あり』


『自力歩行困難』


『救護開始』


 エレナは。


 小さく。


 息を吐いた。


 生きている。


 少なくとも。


 今。


「撤退継続」


 ノアが言う。


「現地共同責任者から」


『観測中止』


『全隊退避』


 正しい。


 それでいい。


「お願いします」


 エレナ。


 誰へともなく。


 言った。


 観測器。


 捨てていい。


 データ。


 途中でいい。


 仮説。


 明日でいい。


 だから。


 帰ってきて。


 それだけ。


 夜十一時。


 現地隊は。


 第二観測点を離れた。


 通信は。


 断続的。


 でも。


 移動している。


 その後ろ。


 誰も近づかない場所で。


 第三観測器の反応。


 最後の自動記録だけが。


 中継器へ。


 一度。


 届いた。


『外部魔力流入 設計上限超過』


『内部遮断 不能』


『核温度 上昇』


 そこで。


 記録は。


 途切れた。


 エレナは。


 その紙を。


 しばらく見た。


 今まで。


 ずっと。


 魔力が足りないことを。


 心配していた。


 暗くなる。


 弱くなる。


 止まる。


 だから。


 少ない魔力でも動く道具を作った。


 でも。


 世界は。


 逆側からも。


 壊れる。


 魔力が。


 多すぎる。


 それだけで。


 魔導具は。


 自分から止まることすら。


 できなくなる。


 大地の下に。


 巨大な魔力の流れがある。


 その仮説は。


 今日。


 かなり強くなった。


 けれど。


 喜ぶには。


 代償が大きすぎた。


 そして。


 エレナたちは。


 まだ知らなかった。


 高濃度の魔力そのものが。


 これから先。


 世界中の魔導具にとって。


 「不足」と同じくらい危険な敵になることを。

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