第39話 牙、炎、盾、そして沸き立つ血
外では、すでに千早が戦っていた。迫り来る巨大な手を、次々と斬り落としていく。
「これで全部? こんなの、冗談でしょ!」
目の前にあった手を一本斬り落とした瞬間、その切断された部分から、さらに五本の手が突然現れた。まるで何もないところから湧き出したかのようだった。
「えっ!? 今度は何? 本当に死なないの?」
四方八方から攻撃が千早へと襲いかかる。両手の剣には黒いエネルギーが食らいつき、無数の黒い触手が手のひらから噴き出すと、千早の両腕と両脚へと絡みついて強く締め上げた。
身動きが取れず、捕らえられた千早は、必死に身体を引き裂くようにして拘束を振りほどこうとした。
「くっ……強い! でも、ここで負けるわけにはいかないよ!」
しかし、どれだけ力を込めても拘束を破ることはできなかった。すると突然、さらに巨大な手が千早の真正面に現れ、すでに攻撃の力を溜め始めていた。
「まずい……私、本当に戦いの中で死ぬのかな。ずっと、そうなりたいと思ってたけど……」
下から冬花の声が響いた。
「千早!」
凪は千早を助けようと駆け出そうとした。しかし、その瞬間、別の二本の手が冬花へと向きを変え、凪は自分の身を守ることに集中せざるを得なくなった。
「千早……助けたいんだけど……私には、できないよ」
すべてが絶望的に思えた、そのときだった。千早を拘束していた手が、突然、鮮やかな青と紫が混ざり合ったエネルギーに包み込まれた。
手が、その場で完全に動きを止めた。
千早は突然の変化に驚いた。
「え? 何、これ?」
冬花と凪が、その場を包み込む見慣れない新たなエネルギーを見つめていると、突然、その背後に強い光が現れた。
冬花が振り返り、その目を大きく見開く。
「……何、これ?」
そこにいたのは、暁継だった。彼は現実へと戻っており、身体を包んでいた白いオーラは、鮮やかな紫と青が混ざり合ったものへと変化していた。その光は屋上全体を照らし出し、空気にはかすかな衝撃波が波紋のように広がっていた。
その隣には、レノヴィアが現れていた。その幽霊のような姿は、暁継にしか見えていない。
「集中して。私が手伝う。エネルギーを怪物へ向けて、その手を狙って」
暁継は頷き、怪物へと意識を向けた。エネルギーが両手から流れ出し、やがて身体から解き放たれると、外の世界へと現れていった。
その瞬間、以前にも感じた焼けるような感覚が、突然、腕全体へと広がった――しかし今回は、その強さが以前とは比べものにならなかった。
「くっ……これは……」
レノヴィアは暁継の腕に両手を添えた。
「私が一緒にいるよ。安定させるから」
彼女の手から白いエネルギーが輝き、腕に触れたまま、暁継の身体を駆け巡る痛みを和らげていく。
「今は、少し楽になった」
「うん。今のエネルギーを使って、手を包んでいるアノマエネルギーを弱めるの」
暁継は冬花へと視線を移した。
「槍のチャージに集中してください。手は俺がやります」
状況の切迫感と、今の暁継を取り巻いている奇妙な力を見て、冬花は彼を問いたださなかった。すぐに意識を槍へと戻した。
仕方ない。もっと力を使わないと
「フレア、レベルスリー!」
炎の槍を包んでいたエネルギーが、再び一気に強まった。武器は巨大なものへと成長し、その炎は激しく燃え上がりながら空へと噴き上がった。
冬花は再び暁継へと振り返った。その表情は、先ほどまでよりもさらに真剣だった。
「あなたが何ができるのかは分からない。でも、千早を解放できる? 本体の頭部に隙ができた瞬間、この槍を撃ち込むわ」
暁継は頷いた。
「はい。俺が手を弱らせます」
暁継はもう一度目を閉じ、すべてのエネルギーを腕へと集めた。そして、目を開く。
その瞬間、暁継のエネルギーが空へ向かって爆発するように広がった。それは千早を拘束している手の周囲へと広がり、その動きを完全に抑え込んだ。
手を包んでいた黒いエネルギーが、少しずつひび割れていく。やがて、それは砕け散って消え、手は本来の、弱まった状態へと戻った。
千早はその変化に気づいた。
「待って……アノマエネルギーが、さっきより弱くなってる?」
千早は残念そうに息を吐いた。しかし次の瞬間、その顔に大きな笑みが広がった。
「それなら……」
千早は弱体化した手を振りほどき、剣を強化すると、凄まじい速度で振り抜いて怪物の手を次々と斬り裂いた。
「弱くなったんだ? でも、さっきまでそっちがズルしてたんだから、私だってズルしていいでしょ?」
さらに多くの手が千早へ向かって伸びてきた。しかし、千早は先ほどまでとは比べものにならないほど容易く、それらを斬り伏せていった。手が再生しようとするたびに、暁継のエネルギーがその周囲を包み込み、黒いエネルギーを完全に消し去っていく。
千早は一本の手から別の手へと跳び移り、それぞれを一閃で斬り落としていった。
「ははは! 来てよ! そのズルを剥がしたら、これが本当の姿なの?」
様々な方向から、さらに光線が千早へ向かって放たれる。千早は素早く身を翻し、それらを手のほうへと弾き返して直撃させ、破壊していった。暁継のエネルギーは煙のように戦場全体へと流れ、完全に再生するより先に、肉片を消し去っていく。
槍へのチャージを続けながら、冬花はその光景を集中と驚きが入り混じった表情で見つめていた。
彼の力がアノマエネルギーを浄化しているの? こんなもの、今まで見たことがないわ
冬花の視線が、明らかに力の制御に苦しんでいる暁継へと戻った。
顔色がよくない。このまま力が尽きる前に、早く終わらせないと。……仕方ないわね
冬花は再び千早へと目を向け、声を張り上げた。
「千早!」
「先生?」
「もういけるわ! 時間がない。でも、気をつけて!」
その言葉を聞いた瞬間、千早の表情が変わった。笑みがさらに大きくなり、その瞳には興奮の光が宿った。
「ふふっ……そうこなくっちゃ」
その言葉が口から出た直後、千早のエネルギーが突然さらに強まり、外へ向かって爆発するように広がって、身体全体を完全に包み込んだ。
爪と牙が、より長く、鋭く伸びていく。二つに結ばれていた髪も弾けるようにほどけ、髪がエネルギーと混ざり合いながら、激しく空中を舞った。
「さあ、狩りを始めよう!」
その瞬間、千早の背後に狼のような姿をしたものが現れ、彼女は怪物の手へ向かって飛び出した。
凄まじい速度で移動しながら、千早は巨大な腕の群れを真正面から一気に突き抜けた。その両手の剣が、空気と雨を切り裂きながら、恐ろしい速度で振るわれていく。
次の瞬間、怪物の無数の腕が肉片となって弾け飛んだ。ほんの数秒のうちに、千早はそれまでとは比べものにならない速度で、そのすべてを斬り裂いていた。
暁継は、千早が解き放った力を目の当たりにし、目を見開いたまま呆然としていた。
「全部……斬った? なら、今がチャンスだ!」
しかし、その直後、切断された腕がすでに再び繋がろうとしていることに気づいた。
千早は目を細め、再びそれらへ突撃しようと身構えた。
「そんなの、させるもんか!」
だが、動こうとした瞬間、千早の視界が突然ぼやけ始めた。
「え? うそ……今、寝てる場合じゃ……」
千早が空から落ち始めたのを見て、冬花が叫んだ。
「千早!? まずいわ。完全に力を使い果たしてる!」
冬花は凪へと振り向いた。
「凪! 受け止めて!」
「うん」
凪は両腕を上げ、千早が落下する力を逆転させた。落下が止まり、その身体が空中に浮かぶ。そして凪は、ゆっくりと千早を屋上へと導いていった。
「千早? 大丈夫?」
千早はゆっくりと目を開いた。その瞳はすでに疲労で半分閉じかけていた。
「先生……ごめん。身体が……動かせない」
「大丈夫。あとは私がやるわ」
冬花は再び怪物へと意識を向けた。
「再生してる。もう槍を撃つしかないわ。時間がない」
しかし、その瞬間、暁継が腕を上げ、エネルギーを前方へと勢いよく放った。空中で細いエネルギーの糸が再生し始めている肉片一つ一つに強く絡みつき、その内部にある黒いエネルギーを徐々に消し去りながら、再生を完全に止めていく。
だが、暁継のエネルギーがすべての手へ届くには遅すぎた。
暁継にのしかかる圧倒的な力がさらに重くなり、腕はより強く輝き始めた。焼けるような感覚も激しさを増し、まるで腕の内側が煮え立っているかのようだった。
くっ……さっきより、ずっときつい……。でも、ここで止まるわけにはいかない。痛みなんて無視しろ。俺は、失敗しない!
「うぅぅぅっ!」
暁継は残されたすべての力を腕へと集中させた。エネルギーがさらに大規模に外へと迸り、再生しようともがいている残りの手へ、ついに届いた。
暁継は叫んだ。
「御園さん! 今です!」
冬花は一瞬たりとも無駄にしなかった。片腕を上げると、ついに身体からエネルギーが爆発するように溢れ出し、槍を前へと動かし始めた。
「いくわ! 地獄へ落ちなさい!」
その動きに合わせて、槍が前方へと放たれ、炎が空を激しく焼きながら突き進んでいった。
槍が自分へ向かってくるのを見て、怪物の本体にある巨大な目が左右へと激しく動いた。必死に隙を探しながら、さらに手を再生させようとする。
しかし、暁継のエネルギーによって、その動きは完全に封じられていた。
他に手段がなくなった怪物の目が黄色いエネルギーを帯び始め、攻撃の力を溜めていく。
そして、巨大な光線を途切れることなく放った。
光線と槍が衝突した瞬間、二つの力が互いに押し合い、凄まじい衝撃波が発生した。猛烈な風が屋上を駆け抜け、全員がその場に立っているだけでも必死になるほどだった。
冬花は槍を押し返している怪物を見つめ、苛立ちを募らせた。
「この馬鹿なアノマリー……! 本当にしぶといわね!」
そのとき、凪は近くから聞こえてきた亀裂音に気づいた。振り向くと、結界がさらに大きくひび割れ始めている。
「先生……結界が、もうすぐ崩れるよ」
「何ですって!? くそっ! 玄士! どこにいるの!? この馬鹿!」
暁継は怪物の腕が再生するのを防ぎ続けながら、かろうじて立っていた。腕は痛みで今にも引き裂かれてしまいそうだった。それでも、残された力をすべて注ぎ込み、自分の力を維持し続ける。
まずい……この力を使っても、俺は本当に何も変えられないのか?




