コラボ依頼が殺到しても、猫の飯が最優先①
ぴぴぴぴぴぴ、と鼓膜を優しく震わせるような電子音が、軍用戦艦並みにアップグレードされた《コタツ丸》の艦橋に鳴り響いていた。
かつてのオンボロ駆逐艦だった頃の、突き刺さるような不快な警告音ではない。耳に心地よい超高音質のサラウンド音声なのが、かえってガイウス・レーヴェンの神経をじわじわと逆撫でした。
「……なぁ相棒。その、お上品な小鳥のさえずりみたいな音を今すぐ止めるか、せめて音量を三割ほど落としてくれないか。耳の奥が痒くなってくる」
ガイウスは四十代後半の渋みをにじませた顔に、これでもかと深い縦皺を刻み、灰色の短髪をがしがしとかきむしった。あごの無精ひげをさする指先が、不自然なほど滑らかに駆動するマスターコンソールの金属光沢に触れる。
「却下します、艦長。これは不法投棄されたデブリ帯のコンテナからサビ猫のポチ氏を救出した際、リスナーから投げ込まれた超高額スパチャによって最適化された『猫の睡眠を妨げない極静音・高周波通知アラート』です。音量を落とすと、私の演算領域以外での物理的なログ消失リスクが高まります」
青白いホログラムとして投影されたラムダは、男女どちらともつかない中性的な姿のまま、宙に浮かせた数十枚のウィンドウを光速で弾いていた。かつてはドットが粗く、時折ノイズで砂嵐になっていた相棒の姿は、いまや産毛の一本まで再現できそうなほど高精細だ。その高性能化した頭脳のほぼすべてが、現在、ある一種の処理にのみ費やされている。
「それにしても凄まじい勢いですね。全銀河最大の動物動画アカウント『ねこまとめ』に切り抜かれた影響は、私の予測モデルの最大値を遥かに凌駕しています。チャンネル登録者数は先ほど一千万人を突破。現在も一分間に数千人規模で増殖を続けています」
「一千万……。おいおい、どこの地方惑星の総人口だよ」
ガイウスは、ため息と一緒に視線をコンソールから足元へと落とした。
そこでは、つい先日救出されたばかりのサビ猫――べっ甲色の毛並みが特徴的なポチが、小さな喉を「ぐるぐる」と鳴らしながら、ガイウスのブーツに額をこすりつけていた。そのすぐ後ろからは、艷やかな三色の被毛を持つ三毛猫ミケ、真っ白ふわふわ子猫のシロ、モッサリとした茶トラのタマ、そして白黒ぶちの肥満猫であるモチが、一列に並んでこちらを見上げている。
「にゃあ」
「にゃう」
五匹の猫たちによる、一糸乱れぬ「飯をよこせ」の大合唱。
これには歴戦の退役軍人も、完全に形無しだった。ガイウスの目元が、無意識のうちにふにゃりと緩む。
「よしよし、待たせたな。今美味い飯にしてやるからな」
ガイウスは、スパチャの量子決済によってナノマテリアル物質変換システムから生み出された、一缶で安月給の数日分は吹き飛ぶ超高級キャットフードのプルタブを引き抜いた。
パカッ、という小気味よい音とともに、厳選された最高級の宇宙マグロと特製ビタミンゼリーの芳醇な香りが艦橋に広がる。猫たちの目の色が同時に変わり、尾がピンと垂直に立った。
「ほら、ポチ。お前はまだお腹がびっくりするといけないから、少しずつな。ミケもポチの分を取るんじゃないぞ。モチ、お前はもう十分に肉が余ってるだろうが」
それぞれの名前が刻まれた特製重力制御皿にフードを分けてやると、五匹は一斉に頭を突き合わせ、シャグシャグ、ペチャペチャと一心不乱に食べ始めた。ポチも先住猫たちに威嚇されることなく、すっかり馴染んで夢中で食べている。
小さな背中が規則正しく上下し、小さな舌が器用にフードを巻き上げていく。そのあまりにも平和で、あまりにも愛らしい光景を眺めているだけで、ガイウスの胸の奥に溜まっていた突然の不条理な人気によるストレスが、綺麗さっぱり霧散していくのが分かった。
「ああ……癒やされる。猫が美味そうに飯を食っている、これ以上の平和がこの宇宙にあるか? いや、ないな」
「大変微笑ましい光景ですが、現実に戻ってください艦長」
ラムダの乾いた声が、至福の時間を無慈悲に切り裂いた。ホログラムの相棒は、眼鏡を押し上げるような仕草をしながら(実際には眼鏡などかけていないが)、一枚の真っ赤なウィンドウをガイウスの目の前に突き出してきた。
「猫たちの食事中に失礼します。先ほどから狂ったように鳴り響いているこの通知ですが、すべて他配信者からのコラボ依頼、および大手企業からのスポンサー契約の打診です。現在、保留フォルダに自動振り分けした分だけで三千件を超えました」
「ほう、コラボか。俺も一応は一介の戦闘配信者だからな。現役時代の戦術理論を語り合えるような、渋いベテラン傭兵あたりからの熱いオファーでもあるのか?」
ガイウスがわずかに期待を込めて尋ねると、ラムダは一切の感情を排した無機質なトーンで言い放った。
「いえ。まともな戦闘配信の依頼は、厳密にカウントして『ゼロ』です」
「ゼロ」
「はい。内訳としては、『銀河の超人気美少女配信者と行く! もふもふ猫ちゃん観察ツアー演習』や、『大手キャットフードメーカー主催・実戦環境下における最新猫缶の嗜好性テストタイアップ』など、全件が猫たちの出演を前提としたものです。艦長に対する純粋な戦術的評価に基づいた依頼は、私の高度なフィルタリング機能を使用せずとも、文字通り一つも見当たりません」
ガイウスは、再び深いため息をつき、マスターコンソールに背を預けた。
最新鋭のシールド、次元跳躍波動エンジン、そして軍用戦艦並みのスペック。今やそのすべてを誇るこの《コタツ丸》の艦長となった俺は、一体何のために退役し、何のために戦闘配信を始めたのだろうか。
「……俺は、ガチの戦術戦闘配信をしていたはずなんだがなぁ」
「過去形ですね。諦めてください。今の私たちが銀河に提供しているのは『超高性能戦艦の無駄遣いによる、極上の猫癒やしコンテンツ』です」
ラムダのツッコミは、最新のレーザー砲よりも正確にガイウスの胸を撃ち抜いた。それでも、皿を綺麗に舐め終えて「にゃーん」と満足そうに鳴くポチの顔を見てしまうと、ガイウスはもう、笑うしかなかった。




