コラボ依頼が殺到しても、猫の飯が最優先②
「配信開始三秒前です、艦長。コラボ相手のエルザ氏、回線接続されました」
ラムダの事務的なアナウンスと同時に、艦橋のメインモニターへ美しい少女の姿が映し出された。
プラチナブロンドの長い髪をきっちりと結び、かっちりとした軍服風の配信衣装に身を包んだ少女――エルザ。彼女はチャンネル登録者数八千万人を誇る、銀河有数のトップ配信者だった。
現役の傭兵でもあり、冷徹な戦術と圧倒的なエイム力からついた異名は『氷の撃墜王』。画面越しでも肌がピリつくような、冷徹なオーラを放っている。
「初めまして、ガイウス・レーヴェン艦長。エルザよ。あんたの戦術、アーカイブで少し見せてもらったわ。旧式艦にあれほどの挙動をさせるなんて、なかなかの腕前ね。今日の合同演習、足を引っ張らないで頂戴」
ツンと澄ました声。一切の隙を見せない鋭い眼差し。
ただ可愛いだけのアイドル配信者ではない。その細い身体からは本物の強者のオーラが滲み出ていた。
ガイウスは思わず、身の引き締まる思いがした。これだ。これこそが、俺が求めていた硬派な戦闘配信の空気というやつだ。
「ああ、よろしく、エルザ君。こちらこそ胸を借りるつもりで――」
「にゃ〜〜〜〜〜ん」
ガイウスが挨拶を返そうとした瞬間、彼の膝の上に、茶トラのタマがのっそりと飛び乗ってきた。
タマはガイウスの腹に頭をぐりぐりとこすりつけると、そのままゴロンと仰向けになり、無防備な腹を晒して「へそ天」の姿勢を取る。続いて、子猫のシロがガイウスの足元で、自分の尻尾を追いかけてくるくると回り始めた。
その瞬間、通信画面の向こうで、劇的な異変が起きた。
「……はえ?」
『氷の撃墜王』の美しい顔が、見たこともない形に歪んだ。
カッと見開かれた目。完全に静止した呼吸。数秒のフリーズの後、エルザは画面に顔を限界まで擦り付けるようにして、凄まじい絶叫を上げた。
「お、お、お、お猫さまだじょーーーーーー!!! もちもちの、ふにふにの、お猫さまが画面の中にいるにゃんんんんんん!!!」
「……は?」
ガイウスの口から、間の抜けた声が漏れた。
しかし、美少女配信者の暴走は止まらない。彼女はきっちり結んでいたはずの髪を振り乱し、衣装の襟元を掴んでハァハァと荒い息を吐き散らしている。
「ちろちゃん! そこにいるのはちろちゃんね!? おててが白いからちろちゃん! ああん、なんて可愛いのちゅちゅちゅちゅちゅ!! タマちゃんはお腹を見せてどうちまちたかー!? 撫でてほしいんでちゅかー!? お姉ちゃんが今すぐ次元跳躍してそのお腹に顔を埋めてあげまちゅからねぇぇぇ!!」
「おい、エルザ君? 大丈夫か? 撃墜王?」
「うるさいわおっさんちょっとそこ退きなさいよお猫さまが見えないでしょ!? 画面の半分をおっさんで占有するなんて銀河の損失よ! ラムダちゃん今すぐこのおっさんをクロマキーで透過して!!」
「却下します、エルザ氏。艦長を透過すると、ただ猫が虚空に浮いているシュールな映像になります。……なお、エルザ氏の精神崩壊に伴い、同時接続者数が瞬時に二千万人を突破しました」
ラムダが完全に乾ききった声で状況を報告する。
モニターの横で爆速で流れるコメント欄は、もはやお祭り騒ぎだった。
『@名無し:撃墜王が墜落したぞ!!』
『@名無し:知ってた。猫を前にして耐えられる人類などいない』
『@戦術ニキ:冷徹な氷の微笑が、一瞬でドロドロの液体に……!』
『@アンチ:おいエルザしっかりしろ! 戦闘配信だぞ! でもシロちゃん可愛いから許す!』
『@猫博士:見てください、タマちゃんのあの無防備なへそ天。完全に艦長を信頼しきっていますね。素晴らしい』
「ち、違うのよリスナーのみんな……! 私はクールでスタイリッシュな撃墜王……ああっ、ミケちゃんが毛繕いしてペロペロしてるぅぅ! お耳がピコピコ動いてるぅぅ! 無理ぃぃぃ尊すぎて回路が焼き切れるぅぅぅ!!」
画面の向こうで、エルザはついに机に突っ伏してジタバタと足をバタつかせ始めた。
ガイウスは、あまりの温度差に目眩を覚えながらも、なんとかプロとしての仕事を全うしようと、魔改造されたマスターコンソールを叩いた。
「コ、ホン。エルザ君、取り乱しているところ悪いが、演習用の仮想敵が出現したぞ。正面から三、距離二万。俺が囮になって引きつける。君は右翼から回り込んで撃破を――」
「あーはいはい! 適当に撃っとくからおっさんは猫ちゃんが動かないようにしっかりホールドしてて!!」
「適当ってあんた……」
突撃してきた仮想敵の巡洋艦に対し、ガイウスは息を吐くように指先を動かした。
最新AIでも再現不可能な、絶妙なタイミングでの慣性移動。デブリの微細な影に船体を滑り込ませ、敵のセンサーを一瞬だけ欺瞞する熟練の操艦技術だ。《コタツ丸》は物理法則を無視したような滑らかな軌道を描き、敵の死角へと完璧に回り込む。
「ラムダ、主砲チャージ。敵の推進部へピンポイント照射だ。エルザ君、今だ、追撃を!」
「えーい、邪魔よ動く標的ぃぃ! 猫ちゃんを見る視界を遮らないでぇぇ!!」
エルザがヤケクソ気味に放った高出力レーザーが、ガイウスの完璧な誘導によって文字通り「勝手に」敵の急所に吸い込まれていった。仮想敵は派手な光の粒子となって爆散する。
軍の教科書に載せてもいいレベルの、完璧な連携、完璧な戦術だった。
「よし、撃破だ! 見事な連携だったな、エルザ君! 俺の描いた進路予測通りに君が――」
「はぁぁぁぁ……シロちゃん、今の爆発の光にびっくりちてお目目が丸くなっちゃったの? よちよち、怖くないよ〜、お姉ちゃんが悪い敵をめっ!ってちてあげたからねぇ〜〜」
画面の中の美少女は、ガイウスの戦術解説など一文字も聞いていなかった。
それどころか、コメント欄も完全に別の宇宙にいた。
『@名無し:今のシロちゃんの「にゃ?」って顔、最高に尊い』
『@戦術ニキ:今の《コタツ丸》のデブリ利用マニューバは神速。しかしそれ以上に、タマちゃんの肉球のピンクさが神』
『@古参勢:艦長がどれだけ凄い戦術を使っても、すべて猫の引き立て役にしかならないの草』
『@アンチ:おいおっさん! 画面の端っこで地味に神業繰り出すのやめろ! 猫が隠れるだろ!』
「……なぁ、相棒」
ガイウスは、遠い目をしながらぽつりと言った。
「俺の完璧な空間戦術、誰も見てなくないか?」
「はい、艦長。戦闘ログを確認しましたが、視聴者の視線トラッキングデータの九割九分が、あなたの膝の上で無防備に転がっている猫たちに集中しています。あなたの熟練の操艦は、ただの『背景のスクロール』として認識されているようです」
「背景……」
歴戦の退役軍人は、静かに膝の上のタマを撫でた。
タマは周囲の狂騒など我関せずといった様子で、ガイウスの温かい手のひらに気持ちよさそうに目を細め、より大胆な大の字へそ天を披露している。外部の人間がどれほど叫ぼうが、この《コタツ丸》の艦橋こそが、彼らにとって世界で一番安全で、絶対に脅かされない我が家なのだ。
「……まあ、お前たちが安心してるなら、それでいいんだけどな」
ガイウスは自嘲気味に笑い、諦め混じりの優しい手つきで、猫の柔らかいお腹をそっと撫で続けるのだった。




