おっさんと猫と、過疎配信③
「捉えた」
ガイウスの指先が、主砲の物理トリガーに深く沈み込む。
《コタツ丸》は完全に敵巡洋艦の推進ノズルの真後ろ、これ以上ない必勝のポジションを確保していた。旧式操操艦技術の粋を集めた、完璧な戦術的勝利。あとはトリガーを引き絞り、質量弾で敵のエンジンブロックを粉砕するだけだった。
勝負あり。そう確信した熱い瞬間に、それは起きた。
ふすっ、という気の抜けた重い排気音のような音が、ガイウスのすぐ右側から聞こえた。
「――ぶにゃあ」
戦場に響くにはあまりにも緊張感に欠ける鳴き声とともに、視界の端から巨大な白黒の質量が降ってきた。
先ほどまでコンソールの脇で丸くなっていたデブ猫のモチである。何を思ったのか、モチは最も激しい戦闘機動の最中に優雅な大あくびを漏らし、そのまま重力に逆らうことなく、主砲発射コンソールの真上にどっかりと腰を下ろした。
それも、あろうことか「主砲発射ボタン」の真上に、である。
ずんぐりとしたモチの巨大な尻が、赤く輝く兵装起動スイッチを完全に覆い隠し、ナノマテリアルの安全ロックごと肉厚の脂肪で圧着した。
「おい、モチ!? どけ、そこは今一番押しちゃいけない場所だ!」
ガイウスはトリガーから指を離し、慌ててモチの脇腹を掴んで持ち上げようとした。
しかし、モチは液体のように形を変えてコンソールにしがみつき、むしろ「そこが良い」と言わんばかりに、ごろごろと喉を鳴らして体重を乗せていく。戦闘中のコンソールが放つ微弱な排熱が、デブ猫にとっては極上の床暖房だったらしい。
「艦長、問題が発生しました。主砲のトリガー回路が、モチ氏の臀部による過剰な物理圧力により一時的にフリーズしています。このままでは質量弾の緊急射出が不可能です」
「ラムダ、そんな冷静に報告してないで演算機能でシステムをバイパスしろ!」
「不可能です。我が艦の物理スイッチは、まさに猫の尻という想定外の質量を検知するようにはプログラムされていません。戦闘AIも『敵の肉厚な装甲』ではなく『身内の肉厚な脂肪』による妨害には対処を拒否しています」
「どんなAIだ!」
ガイウスが猫の尻と格闘している間にも、戦況は無情に流れていく。
背後を突かれてパニックになっていた敵巡洋艦《ブラッディ・ハウンド号》は、なぜか一向に追撃を撃ってこない《コタツ丸》に違和感を覚えたのか、のろのろと主機関を再起動させ、旋回を始めていた。絶好のチャンスが、一匹のデブ猫の温もりによって砂のように消えていく。
だが、悲劇はそれだけに留まらなかった。
「みゃあー」
今度はメインカメラを兼ねた配信用広角レンズの目の前に、白猫シロが子猫の身軽さで飛び乗った。
シロはレンズのガラス面を不思議そうに覗き込むと、画面を完全に遮る形で、ぺしぺしと小さな前足でカメラを叩き始めた。
結果として、銀河中のほんの一握りのリスナーが視聴していた配信画面は、凄まじい大激変を遂げることになる。
さっきまで渋いおっさんが神業のようなマニュアル操艦でミサイルを回避するガチガチの宇宙戦が映っていたはずの画面が、突如として、画面の八割を「レンズを舐めようとして巨大に引き伸ばされた子猫の鼻先と肉球」、そして背景音として「おいモチ、頼むから退いてくれ、エンジンが回っちまう!」というおっさんの悲痛な叫び声で埋め尽くされたのだ。
緊迫した戦場は一瞬で消滅し、そこには究極の弛緩空間が広がっていた。
この世の終わりのようなギャップに、それまで静かだった過疎配信のコメント欄が、爆発的な勢いで縦スクロールを始めた。
『@古参勢:おいちょっと待てwwwwwwwww』
『@戦術ニキ:え!? 主砲が撃てない理由、もしかして猫の尻!?』
『@名無し:画面が白い! 肉球しか見えんwwwwwwwかわwwwwww』
『@戦術ニキ:おいおっさん! ガチ戦術の途中で猫動画に切り替えるな! 心臓に悪い!』
『@アンチ:なんだこれwwwww戦闘しろよwwwwwでも子猫の鼻ピンクで草』
「シロ、カメラを叩くな! レンズに毛がつく! ああもう、タマまで俺の足にまとわりつくんじゃない!」
歴戦の退役軍人ガイウス・レーヴェン、いまや完全に猫たちの包囲網によって無力化されていた。
敵の猛攻を紙一重で避けた男が、わずか数キログラムの毛玉たちの自由奔放さによって、操舵席から一歩も動けない状態に追い込まれている。
「艦長、敵艦が完全に旋回を終え、こちらの正面を捉えました。主砲による反撃の照準がこちらに向いています」
「分かった、もう主砲は諦める! ラムダ、回避だ! モチを乗せたまま動くぞ!」
「了解。モチ氏の固定重力を計算に入れた最大制動を行います。……艦長、コメント欄の接続数が、通常の三百パーセントを超えて急上昇しています。原因は……おそらく猫です」
「うるさい、今はそれどころじゃない!」
ガイウスはモチを小脇に抱えようと悪戦苦闘しながら、左手一本でスロットルを限界まで押し込んだ。銀河一シュールで緊迫したドタバタ劇が、広大な宇宙の真ん中で繰り広げられていた。




