鍛冶屋3
スサスサと白い靴下を畳に摩りながら近づいてきた少女が立ち止まる。
「あの、腰にある鞘を外してもらえますか?」
フローラが困ったように眉を曲げた。
両足をもぞもぞとすり合わせながら、視線をユウの腰辺りに向けている。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
カチャカチャと音を鳴らしながら鞘を外して畳の上に置く。
すると、彼女はユウの背中側へと回る。
背は低く、ユウの肩辺りにフローラの頭があった。
エミリーよりも少し背が高いぐらい。
「それでは、両手を広げてください」
落ち着いた声の言う通りに腕を伸ばす。
細長い紙が押し当てられるのと同時に、ピタ、と背中にフローラの胸が触れてしまう。
「あの」と声を出そうと、後ろを振り向く。
だが、一生懸命に腕を伸ばして採寸を頑張っている少女にユウは口を閉ざした。
(こんな真剣な表情のフローラに水を差すようなことは言えないよなあ)
体が近づくたびに、まるで風船を背中に押し当てられるような感触が伝わってくる。集中しているのか、気にした様子のないフローラは真面目な顔で紙にメモを取っていた。
後ろから胸囲を撫でるような優しいタッチに、腰を摩る手つき。
そのたびに、背中にぽよんとした感触が押し付けられてしまう。
二人きりの静寂な空間で、ユウの邪な感情が湧き上がってくる。
(この子、不用心すぎる!)
しかし、ユウのために働いてくれている彼女のため、ユウも内なる悪魔と必死に戦っていた。
「では、前のほうも測ります」
「ま、前!?」
「はい? 何かおかしなことを言いましたか?」
「い、いや、気にしないでくれ……」
無垢な瞳に見つめ返されたユウは煩悩にまみれた自分をどうしようもなく思った。
胸タッチの誘惑から解放され一息ついたユウだが、目の前にしゃがみこむフローラに別の問題が浮上してくる。
膝を立てて足の長さを測る少女。
艶やかな黒髪を結ぶ団子ヘアに襟の隙間から危うい谷間の肌が見え隠れしている。
しかも、それだけにとどまらず、
(見えてる、見えてるよ!)
心の中でユウが叫び声を上げる。
ミニスカートのような短い裾からは青色のパンツが丸見えになっていたのだ。
「うーん、これぐらいかな」
長さを間違えないように目を光らせた幼い顔立ちには誠実さが現れている。
しかし、着物の裾からは華奢な太ももが付け根まで公然となっているのだ。
いや、部屋に二人きりという状況では私然というほうが適切かもしれない。
「うん、これぐらいだ」
そう言って、少女が立ち上がろうとした時だった、
「わっ」
バランスを崩したフローラが後ろにコテンと倒れてしまう。
両足を広げた姿に、慌てて下着を隠すように両手を股の前に置く。
「っ!? ……見ましたか?」
「み、見えてないから大丈夫だ」
顔を紅潮させた少女にユウの目が泳ぐ。
すると、彼女は胸に手を当てて安心したように息を吐いた。
(言えない。採寸中ずっと見えていたなんて、言えない)
「ふぅ、これで必要な場所は測り終わりました」
正座を崩したような格好でフローラが笑顔を見せる。
ずっと立ちっぱなしだったユウも畳に腰を下ろした。
「立ってるだけでも、結構疲れるねこれ」
「初めての方は皆さん同じことを言います」
そう言って寄り添うように微笑む少女。
初対面で特に話すネタもなく、無言の時間が続く。
さて、困ったと思っていたら、フローラが先に口を開いた。
「右腕、少し長いんですね」
「え?」
それが、採寸で測ったユウの右腕のことだと気づくのに時間がかかった。
間を空いて頷くと、こちらの理解を待っていたかのように話し出す。
「似ています。私の兄に。冒険者だった兄に」
「あはは、それは嬉しいな。その兄は今何を?」
会話の糸口を掴んだユウは深く考えずにそう口に出したことを後悔した。
フローラの顔に深い影が落ちたからだ。
冒険者だった。過去形で話された言葉で察するべきだったのだ。
「兄は、もういません。現場には折れた剣が落ちてあったと聞きました」
「そうだったのか……悪い。無神経だった」
「いえ……いいんです」
アレンの言葉がふいに脳裏をよぎる。
クラージュ団に加入して初日の帰り道に聞いた言葉。
『冒険者ってのは常に危険と隣合わせだ』
竜禍の森での一件でその意味が痛いほど理解できていたつもりだった。
しかし、それがつもりだっただけなのだと突き付けられる。
それだけフローラの言葉が重くユウの胸にのしかかったからだ。
「鍛冶屋で働いていて辛くならないか?」
なぜフローラはここで働いているのか疑問に思う。
折れた剣のことを、武器を見るたびに思い出してしまうのではないのだろうか。
自分だったらそんなトラウマを呼び覚ますようなところからは逃げてしまうだろう。
「もし、剣が折れなかったら兄は今も生きていたかもしれない。そう思ったら、悔しくて」
商人のような柔らかい笑顔は消えて、恐ろしく据わった目にユウの肝が冷えた。
畳の一点を見つめる瞳には深い闇が広がっている。
「だから、私が作るんですよ。他の誰でもない。ミカエル様ですら作れない究極の一振りを」
小さく、だが確かに空気を揺らした声。
華奢な体にもかかわらず、その姿はユウの何倍も大きく見える。
ただの小間使いだと思っていたが、実はここに弟子入りをしているのかもしれない。
「フローラは強いんだね」
「何がですか?」
「過去から逃げずに、立ち向かうなんて俺にはできないよ」
夢に出てきた人型の化け物がどこまでも追ってくる。
異世界に来ようとも、逃がしてはくれない。
「だって、もう十分すぎるほど傷つきましたので。これ以上、私の心に傷をつけるスペースはありませんから」
後ろ髪をまとめたお団子を触りながら、無邪気に笑うフローラが眩しかった。
傷つく場所がないと言ってのける少女がとても眩しかった。
だから、ユウは自然とフローラの頭に手を伸ばしていた。
「本当に、強いよ」
「わっ、頭を撫でないでください……お兄ちゃん……」
自分が何を口走ったのかを認識したフローラは慌てて口を押える。
その顔は真っ赤に沸騰していた。
「今のはなしで! 聞かなかったことに……」
「あはは、気にしないでいい。俺でよければいくらでもそう呼んでくれてかまわない」
子供が担任の先生をお母さんと呼ぶようなものだ。
そこには、安心感が含まれているはず。
目じりに涙を溜めた少女の涙袋に人差し指を近づける。
「あっ」
フローラが瞼を閉じて、唇を引き締めた。
綺麗な肌を傷つけないように、そっと顔を近づけて優しく涙を拭きとる。
「あの……ありがとうございます」
「俺のほうこそ、大事なことを教えてもらった気がするよ」
お互い至近距離で見つめ合っていた時、バタンと勢いよく扉が開かれた。
「ユウ! 採寸は終わった……か……」
アリスの視線の先には涙を浮かべて顔を赤くさせたフローラと、彼女へ覆いかぶさるように顔を近づけるユウがいた。
「エミリーに続いて……フローラにまで手を出すつもりか!」
「ご、誤解だ!」
アリスの怒声とユウの情けない声が室内に響き渡ったのだった。




