第33話 最凶公爵令嬢は、一人で来た相手の本音を測る
放課後の廊下は、昼間よりも少しだけ人の輪郭が濃い。
講義が終われば、生徒たちはそれぞれの目的へ散っていく。誰と並んで歩くか、誰に声をかけるか、誰を避けるか。放課後は、そういう選択が昼より露骨に見える時間だった。
セレスティア・ヴァン・グランフェルは、本棟東側の回廊を一人で歩いていた。
正確には、少し後ろにルークがいる。だが女子寮へ向かう導線に入る手前までは、必要以上に存在感を出さない位置取りだ。最近はこの距離感も、もう周囲にとって見慣れたものになりつつある。
「お嬢様」
「何かしら」
ルークが低く言う。
「本日は、少々読みやすい気配でございます」
「ええ」
セレスティアも気づいていた。
隠れているつもりではない。
だが正面から堂々と来るわけでもない。
近づく理由を探りながら、こちらの歩幅に合わせて距離を詰めてくる気配。
「二年の女かしら」
「その可能性が高いかと」
セレスティアは少しだけ口元を上げた。
「悪くないわね」
「そうでございますか」
「ええ。少なくとも、群れたまま来るよりは」
そう言って数歩進んだところで、気配の主がようやく姿を見せた。
マリア・セルヴェーン。
昼にリディア・アシュクロフトとともに教室前へ来た、黒髪の二年令嬢だ。今日の昼は上品さを崩さぬまま踏み込み、イザベラ・フォン・クロイツに対してもやや強い視線を返していた。あの二人のうち、実質の芯はこちらだろうとセレスティアは見ていた。
「少し、よろしいかしら」
マリアが言う。
声は昼より低い。
今は“見られる場”ではないから、余計な柔らかさを削ってきたのだろう。
「内容によるわ」
セレスティアが答えると、マリアは一度だけ頷いた。
「妥当なお返事ね」
「今さらでしょう」
「ええ」
マリアはそこで、リディアのように愛想で包まず、そのまま続けた。
「昼の続きよ」
「それなら、なおさら聞く価値が薄いわね」
即切り気味に返すと、マリアの目がわずかに細くなる。
だが不快そうにはしない。
そこもまた、昼より本体に近い顔だった。
「そうでもないわ」
「どうして?」
「昼は人が多すぎたもの」
それは正しかった。
昼の教室前は、二年令嬢二人が一年公爵令嬢へ“上品な顔で悪意を運んだ”場だった。つまり、マリア自身にとっても本音を出し切る場ではなかったのだろう。
「では、今は本音なのね」
セレスティアが問うと、マリアは少しだけ視線をまっすぐにした。
「少なくとも、昼よりは」
悪くない。
セレスティアはそう判断し、足を止めた。
「聞くだけ聞くわ」
「ありがとう」
マリアは礼を言ったが、その言い方も過不足なく、媚びがない。
「まず、先に訂正しておく」
マリアは静かに言う。
「昼のあれは、半分くらいはわたしたちの不快だった。でも、半分は確認でもあった」
「何の?」
「あなたが、“男が寄ってくることを利用している側”かどうか」
セレスティアは一瞬だけ黙った。
そこを自分から言うなら、昼の二人組よりはだいぶましだ。
「それで?」
「違うと分かったわ」
マリアは淡々と続ける。
「少なくとも、昼のあなたの返し方は、“見え方を利用している女”のものではなかった」
「そう」
「ええ」
「では、何の用かしら」
セレスティアが問うと、マリアは一拍置いた。
「リディアと私は、少し違うの」
「見れば分かるわ」
「でしょうね」
そこでマリアは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「リディアは、女の空気が乱れるのを嫌う。私は、それを誰が使おうとしているかの方が気になる」
やはり、とセレスティアは思う。
この女は、感情そのものより盤面を見る側だ。
だからこそ、一人で来た。
「あなた、イザベラに少し似ているわね」
セレスティアがそう言うと、マリアの目がわずかに動く。
「嬉しくはないけれど、否定もしないわ」
「そう」
「でも、クロイツ様ほど上手ではない」
「知っているのね」
「ええ。嫌でも」
その短い返答に、いくつかの情報が混じっていた。
マリアはイザベラを意識している。
そして、少なくとも女子側の空気の主導権をめぐって、無関係ではいられない位置にいる。
「それで」
セレスティアが促す。
「あなたは誰を使おうとしていると思ったの?」
マリアはすぐには答えなかった。
少しだけ考え、それから言う。
「最初は、あなたが男を使っているのだと思った」
「違った」
「ええ」
「今は?」
「逆」
その一言は、昼にセレスティアが示した見方と一致する。
「やっぱりね」
「ええ」
マリアは静かに頷く。
「あなたを使いたがっている男が複数いる。しかも、それぞれ別の理由で。騎士科、外の貴族子弟、王子に近づきたい者、王子から距離を測りたい者」
かなり見えている、とセレスティアは思った。
少なくともこの女は、“不快だから嫌う”だけではない。
「それで、あなたは何をしに来たの?」
「取引に近いものかしら」
その言い方に、ルークの気配がわずかに引き締まる。
マリアもそれを感じたのだろう。だが構わず続けた。
「わたしはあなたの味方ではない」
「そうでしょうね」
「でも、あなたを使いたがる男たちに、女側の空気まで好きに使われるのは不快なの」
そこは、かなり本音だった。
「だから?」
「女子側で動きがあれば、必要なものだけ流す」
マリアはセレスティアを見た。
「その代わり、あなたも“誰がどう使おうとしてきたか”のうち、女側に関係するものがあれば少しだけ返して」
なるほど。
完全な同盟ではない。
善意でもない。
だが、かなり筋の通った提案ではある。
「あなた、イザベラと競合しないの?」
セレスティアがそう問うと、マリアは少しだけ笑った。
「するわよ」
「なら、あなたに情報を返すと、あなたの盤面にも乗ることになる」
「半分はそうね」
「半分は?」
「あなた自身が見やすくなる」
そこまで整えて来るなら悪くない、とセレスティアは思った。
この女は、イザベラほど完成されてはいない。
だが、その分だけ本音の比率が高い。
「保留にするわ」
セレスティアは答えた。
マリアの目がわずかに細くなる。
「即断で切らないのね」
「価値があるもの」
「そう」
「でも、今すぐにあなたの盤面へも乗らないわ」
「ええ。それでいい」
マリアはあっさり頷いた。
「最初から欲張ると、たぶんあなたは消えるでしょう」
「よく分かっているのね」
「昼に見たから」
その返しに、セレスティアはほんの少しだけ面白くなった。
「では、最初の一つだけ」
マリアが言う。
「何かしら」
「アーネスト・ヴァルグレイは、まだ諦めていない」
セレスティアの目がわずかに細くなる。
「知っているわ」
「でも、今度は自分からではなく、女側の“品位”の話へ乗せようとしているわ」
「どういう意味?」
「“グランフェル公爵令嬢は外の男も女も騒がせる”という見え方を作りたいの」
そこまで聞いて、セレスティアは内心で小さく息を吐いた。
やはりそう来るか。
自分で近づいて切られた以上、今度は“自分とは無関係に周囲がそう見ている”形へずらしたいのだ。
安いが、面倒ではある。
「ありがとう」
セレスティアは言った。
「これは価値があったわ」
マリアは少しだけ目を見開いた。
たぶん、素直に礼を言われるとは思っていなかったのだろう。
「……そう」
「ええ」
「なら、来た甲斐はあった」
その言い方は、少しだけイザベラに似ていた。
だがもっと乾いていて、もっと個人の損得に近い。
「一つだけ言っておくわ」
セレスティアが言う。
「何?」
「私は、女の不快そのものは軽く見ない。でも、それを誰かが使おうとするなら、そちらの方を切る」
マリアは数秒、セレスティアを見た。
「やっぱり、昼の見立ては間違っていなかったわ」
「何が?」
「あなた、思ったよりずっと盤面で見ている」
「今さらでしょう」
マリアはそこで、小さく笑った。
「ええ。今さらね」
会話はそれで終わった。
マリアは一礼し、すぐには背を向けず、最後に一つだけ言った。
「クロイツ様には、わたしが来たことを隠すつもりはないわ」
「好きにしなさい」
「ええ、そうする」
そのまま去っていく。
歩幅が乱れない。
悪くない女だと、セレスティアは思う。
ルークが低く言った。
「お嬢様」
「何かしら」
「女子側の盤面が、もう一段増えました」
「ええ」
「いかがご覧になりますか」
セレスティアは少しだけ考えた。
「マリア・セルヴェーンは、悪くないわね」
「クロイツ嬢とは別種で」
「ええ」
「扱いは」
「保留」
短く答える。
「でも、情報の価値はある」
「承知いたしました」
ルークは一礼した。
最凶公爵令嬢は、一人で来た相手の本音を測る。
群れの中の上品な悪意ではなく、
一人で来た時に何を言うかで、
相手の質を測る。
そして今、
女子側の盤面はイザベラだけではなくなった。
マリア・セルヴェーン。
イザベラ・フォン・クロイツ。
リディア・アシュクロフト。
それぞれが違う形で、不快と空気と利用価値を見ている。
盤面はさらに細かくなる。
そして翌日。
その細かくなった盤面を、
最初に“面白い顔”で見に来るのは、
やはりディルクだった。




