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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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28/41

第28話 最凶公爵令嬢は、家からの言葉を軽く見ない

 その日の放課後、セレスティア・ヴァン・グランフェルが寮へ戻ると、机の上に一通の封書が置かれていた。


 学園で使われる封筒ではない。

 王都貴族が好む装飾過多な私信でもない。

 厚みのある、無駄のない紙。封蝋には見慣れた紋章――グランフェル公爵家の印が、静かに刻まれている。


 それを見た瞬間、セレスティアの中で優先順位が一段変わった。


「お嬢様」


 背後で扉を閉めたルークが、低く声をかける。


「ええ」


「旦那様からでございますね」


「そうね」


 セレスティアは封書を手に取る。


 父、ヴァレリウス・ヴァン・グランフェル。


 彼からの手紙が頻繁に来るわけではない。必要があれば来る。必要がなければ来ない。その線引きは明確で、だからこそ軽くない。


 封を切る。


 中の便箋は一枚だけ。筆跡は端正で、余計な抑揚がない。父らしい字だった。


 セレスティアへ。

 学園内外でお前の名が早くも広がっていると聞く。

 良し悪しを今ここで述べるつもりはない。

 ただ一点だけ確認したい。

 お前が今、誰の盤面で動いているつもりか。

 答えは急がぬ。だが軽く考えるな。

 必要なら返書を寄越せ。

 ヴァレリウス


 短い。


 驚くほど短い。

 だが、それだけで十分すぎるほど重かった。


 セレスティアは読み終えてすぐには口を開かなかった。


 窓の外では、夕方の光が静かに落ちている。寮の庭木が揺れ、遠くで誰かの足音がした。学園はいつも通りの放課後を続けているのに、この一枚だけがそこから明確に切り離されていた。


「お嬢様」


 ルークが、少しだけ声を落とす。


「何かしら」


「旦那様らしいお言葉で」


「ええ」


 セレスティアは便箋を机に置いた。


「無駄がないわね」


「はい」


「でも、だから重い」


 ルークは何も挟まない。


 こういう時、彼は余計な慰めを入れない。そこがいい、とセレスティアは思う。


「誰の盤面で動いているつもりか、ね」


 セレスティアは小さく繰り返した。


 悪い問いではなかった。

 むしろ、核心に近い。


 ここ最近だけでも、いくつもの盤面があった。


 学級。

 イザベラ・フォン・クロイツが整える空気。

 騎士科。

 レオン・ハルヴェインやディルクが持ち込む剣の論理。

 王族。

 アルフレッド・レオンハルトが見ている秩序。

 学園の外。

 匿名で測ろうとする政治と社交。


 そのどれにも、セレスティアは完全には乗っていない。

 だが、完全に無関係でもない。


「お嬢様」


「何」


「返書はなさいますか」


 ルークの問いは簡潔だった。


 セレスティアは少しだけ考える。


「ええ」


「今夜のうちに?」


「そのつもりよ」


「かしこまりました」


 ルークは一礼する。


 セレスティアは椅子に腰を下ろした。手紙をもう一度読む。父の言葉はいつもそうだ。説明が足りないのではない。必要な分しか書かないだけだ。


 問いを与える。

 答えは自分で出せ。

 だが、軽くは考えるな。


 それが父だった。


「お嬢様」


 ルークが再び低く言う。


「僭越ながら」


「どうぞ」


「旦那様は、現状をお叱りになっているわけではないかと」


「ええ、分かっているわ」


 セレスティアは即答した。


「叱るならもっと直接書くもの」


「はい」


「今のこれは、“止まれ”ではなく“見失うな”でしょう」


 ルークの目がわずかに細くなる。


「左様でございます」


 セレスティアは便箋を畳みながら、内心で整理した。


 父が気にしているのは、評判の良し悪しではない。

 敵が増えたことでも、王子や上級生と接触していることでもない。


 自分が、自分の足で盤面を選んでいるのか。

 それとも、周囲の熱に引かれて“動かされている”のか。


 そこだ。


 そして、その問いは痛いほど正しい。


 セレスティアはこれまで、自分で選んできたつもりだ。

 イザベラとは、話す価値があると判断したから話した。

 ディルクとは、整えてきた剣に価値があると判断したから受けた。

 アルフレッドとレオンの整理も、筋が通っていたから採った。


 だが同時に、周囲の熱が盤面を押し広げてきたのも事実だった。


 もし気を抜けば、いずれ“自分が選んでいるつもりで、選ばされている”形に落ちる。


 それを父は見ている。


「厄介ね」


 セレスティアが呟くと、ルークが静かに返す。


「ですが、ありがたい厄介さかと」


「ええ」


 その通りだった。


 面倒だが、必要な言葉だ。


「紙を」


 セレスティアが言う。


「はい」


 ルークがすぐに筆記具と便箋を整える。こういうところに無駄がない。


 セレスティアは筆を取ったが、すぐには書かなかった。


「お嬢様」


「何かしら」


「お考えを、そのままお書きになればよろしいかと」


「分かっているわ」


 少しだけ視線を落とす。


「でも、その“そのまま”を削るのが一番面倒なのよ」


 ルークはそれに対して何も言わない。肯定も否定もしない。ただ、そういうものだと分かっている顔で立っている。


 しばらくして、セレスティアは筆を走らせ始めた。


 長くは書かない。

 父が長文を好まないことは知っている。

 必要なのは、弁明でも感情でもなく、今の自分が何を軸に動いているかの確認だ。


 書き終えるまで、部屋の中は静かだった。


 紙を置き、乾きを待つ。


「よろしければ」


 ルークが言う。


「読み上げを」


「ええ」


 セレスティアは小さく頷いた。


 そして、自分の書いた返書を声に出した。


 父上。

 今の私は、誰かの盤面に乗るつもりで動いてはおりません。

 ただし、盤面そのものは増えております。

 学級、騎士科、王族、学園の外。

 それぞれが別の論理で近づいてきますが、現時点では価値があると判断した相手にのみ応じています。

 ただ、熱が広がる速度は想定より速いとも感じています。

 ゆえに今後は、“()()()()()()()()()()”だけでなく、“()()()()()()()()()()()()”も含めて見ます。

 見失ってはおりません。

 セレスティア


 読み終えて、ルークが静かに一礼した。


「十分かと」


「そう?」


「はい。旦那様がお求めなのは、お嬢様の現在地の確認かと存じますので」


 セレスティアは少しだけ息を吐いた。


「そうね」


 返書としてはこれでいいだろう。

 感情を足しすぎても意味がない。

 足りないのではなく、必要な分だけ届けばいい。


 蝋を用意し、封をする。


 その作業をしながら、セレスティアは改めて思った。


 家からの言葉は軽くない。

 イザベラやレオンやアルフレッドの言葉が不要だという意味ではない。

 だが、父の一言はそれらを全部一段高い場所から見直させる。


 それが家だ。


「お嬢様」


「何かしら」


「少し、お顔が落ち着かれました」


「そう見えるの?」


「ええ」


 ルークは答える。


「旦那様からの問いで、軸が改めて整ったように見えます」


 セレスティアは封書を机へ置き、椅子の背に軽く体を預けた。


「たぶんそうね」


「はい」


「結局、私は誰と話すかより、どの盤面を自分で選ぶかの方が大事なのよ」


「ええ」


「相手が王子でも、上級生でも、侯爵令嬢でも同じ」


「承知しております」


 ルークの返答には迷いがない。


 それがありがたかった。


 最凶公爵令嬢は、家からの言葉を軽く見ない。

 父の問いは命令ではなかった。

 だが命令よりも深く、自分の足元を見直させる。


 そして、その返書を書き終えた時点で、

 セレスティアの中で一つの基準がより明確になっていた。


 価値があるか。

 筋が通っているか。

 そして、自分が主導を持っているか。


 この三つが揃わない盤面には、もう前より長くは乗らない。


 夜の気配が窓の外へ降り始めていた。


 返書は明朝、グランフェル家へ向けて出させる。

 それでよかった。


 だが、その夜のうちにもう一つ、小さな動きが起きることを、

 セレスティアはまだ知らない。


 イザベラ・フォン・クロイツが、

 珍しく自分からではなく、

 “学級の外の女”について警戒を寄越してくるのだ。

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