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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 玉響すばる


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第27話 最凶公爵令嬢は、拾う価値のある面倒だけ拾う

 翌朝、一年一組の空気は妙に整いすぎていた。


 静かなのではない。

 むしろ、静かに見せようとしている空気だ。


 令嬢たちはいつも通りに笑い、令息たちはいつも通りに本を開いている。けれど、その“いつも通り”が少しだけ作為的だった。誰もが何かを知っていて、しかし先に口にはしない。そういう均衡が、教室全体に薄く張っている。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルは、自席へ向かいながらそれを一目で理解した。


「早いわね」


 小さく呟くと、廊下側に控えたルークが低く返す。


「ええ」


「昨日の件、もう回っているのね」


「かなり」


 短い答えだったが、それで十分だった。


 アーネスト・ヴァルグレイのような男は、切られたあとで黙って消える類ではない。自分の中で都合のいい物語を作り、それを滲ませ、あるいは漏らし、そして周囲がそれを拾う。そういう手合いだ。


 だから早い。


 面倒ではあるが、想定外ではなかった。


 席に着く。


 そのタイミングを見計らっていたように、イザベラ・フォン・クロイツが立ち上がった。今日も完璧な笑みを浮かべている。だが、その歩幅と視線の置き方から分かる。今日はただの挨拶ではない。


「ごきげんよう、グランフェル様」


「ごきげんよう、クロイツ嬢」


 イザベラは机の横に立ち、声を少しだけ落とした。


「やはり、拾いに来ましたわ」


「何をかしら」


「あなたが昨日、切った面倒ですわ」


 セレスティアは少しだけ目を細めた。


 悪くない言い方だった。


「アーネストのこと?」


「ええ」


 イザベラは頷く。


「案の定、自分に都合のいい形で少し話を流し始めております」


「例えば?」


「“公爵令嬢は外の助言を聞かない”とか、“無礼を美徳と思っている”とか、その程度ですわね」


 安い、とセレスティアは思った。


 予想よりもさらに安い。


「思ったより語彙がないのね」


「ええ」


 イザベラは微笑む。


「そこは少し安心いたしましたわ」


「安心?」


「もっと厄介な作り方をされるかと思っておりましたもの」


 その評価は正しい。


 アーネストは面倒ではあるが、巧妙ではない。整った顔と柔らかい声で押し切れる範囲の相手にしか通じないやり方だ。セレスティアのような相手に切られた時点で、次の一手も薄くなる。


「それで」


 セレスティアが問う。


「あなたは何を拾いに来たの?」


 イザベラは少しだけ笑みを深めた。


「その程度で済んでいるうちに、扱いを決めた方がよろしいかと思いまして」


「扱い?」


「ええ」


「誰を?」


「アーネスト様を、ですわ」


 周囲に聞かれない程度の声量だが、内容は明確だった。


「放っておいても、大きくはならないかもしれません。けれど、放っておくことで“反応しないから触っていい相手”だと受け取る方も出てきます」


「なるほど」


「逆に、正面から潰しすぎれば、“外に強く出る公爵令嬢”として別の面倒を呼ぶ可能性もある」


 イザベラはそこまで言ってから、静かに続けた。


「ですから、拾うなら今ですわ」


 セレスティアは数秒、黙ってイザベラを見た。


 この女は、本当に“面倒の扱い方”という意味で頭が回る。

 好き嫌いではなく、拡大する前にどこで処理するかを考えている。


「私は、あの男そのものに価値は感じていないわ」


「ええ」


「でも、放っておいた時に周囲がどう解釈するかには少しだけ価値がある」


「その通りですわ」


 イザベラはすぐに頷いた。


「だから」


 セレスティアは静かに言う。


「拾うのは面倒そのものではなく、面倒を拾う人間の方ね」


 イザベラの瞳が、わずかに和らぐ。


「やはり、そういう見方をなさるのですね」


「当然でしょう」


「でしたら」


 イザベラは一歩だけ距離を詰めた。


「学級内については、わたくしが少し整えますわ」


「あなたが?」


「ええ」


「見返りは」


「今は要りません」


 その返答に、セレスティアは少しだけ眉を動かした。


「珍しいわね」


「借りにしておいてくだされば結構です」


「安くないの?」


「あなたに対しては、あまり安くしても意味がありませんもの」


 その返しは悪くなかった。


 イザベラは完全に理解しているのだろう。セレスティアに恩を売るなら、露骨すぎても安すぎても駄目だ。ちょうどいい重さで置いておくしかない。


「どう整えるつもり?」


 セレスティアが問うと、イザベラは答えた。


「難しくはありませんわ。アーネスト様が“外から助言してくださったのに切られた”という形で話したいのなら、その前提自体を軽く崩せばよろしいだけです」


「例えば?」


「“公爵令嬢へ対して、名目なく教室前へ来る方が不躾だった”という形に戻すのです」


 なるほど、とセレスティアは思う。


 それは嘘ではない。

 しかも、学級内の空気としてはかなり通りやすい整理だ。


「あなた、本当にそういうのが上手いわね」


「褒め言葉として受け取っておきますわ」


「好きにしなさい」


 そこでちょうど、一人の令嬢が教室へ入ってきた。イザベラの取り巻きの一人だ。こちらを見て一瞬だけ足を止める。イザベラはそれを視界の端で捉えつつ、表情を一切崩さなかった。


 もう十分、ということだろう。


「では」


 イザベラは小さく一礼した。


「拾う価値のある面倒だけ、拾わせていただきますわ」


「ええ」


「ただし」


 イザベラは少しだけ笑った。


「その結果、またあなたの評価が変わっても責任は取りません」


「勝手に変わるでしょうね」


「ええ、きっと」


 そう言って、彼女は自席へ戻っていく。


 その背を見ながら、ルークが低く言った。


「お嬢様」


「何かしら」


「かなり明確に、クロイツ嬢が動くと宣言されました」


「ええ」


「お任せになりますか」


 セレスティアは少しだけ考えた。


「学級内は任せるわ」


「学級外は」


「別ね」


 短く答える。


「アーネストの処理そのものには興味がない。でも、それをどう使って寄ってくるかには価値があるもの」


「承知いたしました」


 ルークは一礼した。


 午前の講義が始まる。


 だが一限の途中ですでに、微妙な変化が出始めていた。


 さきほど教室へ入ってきたイザベラの取り巻きの令嬢が、休み時間ごとに小さく人と話している。表向きは何でもない会話。けれど、視線の置き方と、話したあとの相手の表情を見ると分かる。


 空気を流し直しているのだ。


 アーネストが“親切な外の貴族子弟”ではなく、“不躾に教室前まで来た男”として認識されるように。しかも、それを露骨な工作に見せずに。


「早いわね」


 セレスティアが小さく呟くと、ルークが答える。


「かなり」


 イザベラは自分では動きすぎない。

 だが空気を整える時は、こうして周囲を適切に使う。

 やはり、この女は学級という場において極めて有能だ。


 二限目の終わり。


 休憩に入ったところで、今度は別の気配が教室外に立った。


 ルークが先にそれを拾う。


「お嬢様」


「ええ」


「騎士科側でございます」


 振り返ると、そこにいたのはレオン・ハルヴェインだった。


 ただし今日は一人だ。

 そして顔も、いつもより少しだけ真面目だった。


「少し、よろしいですか」


「内容によるわ」


「今日は短く済みます」


「どうぞ」


 レオンは教室内の空気を一度だけ確認し、それから言った。


「ディルク先輩、今日の午後は来ません」


「そう」


「あなたに無駄に顔を出すより、自分の訓練を優先すると」


 セレスティアはそこでほんの少しだけ口元を上げた。


「悪くないわね」


「ええ」


 レオンも頷く。


「たぶん、先輩なりに整えているんだと思います」


「そうでしょうね」


「それだけです」


「本当に短いのね」


「今日はその方がいいかと」


 それは正しい判断だった。


 ここ数日、ディルク、アルフレッド、レオン、イザベラ、外の男。さすがに接触が多すぎる。これ以上、教室前で長く話せば、余計な熱だけが増える。


「分かったわ」


 セレスティアがそう答えると、レオンは一礼する。


「では、失礼します」


「ええ」


 去っていく背中を見ながら、セレスティアは少しだけ思った。


 ディルクは、昨日の後にすぐ来ない。

 それは悪くない。

 熱のまま動くより、訓練へ戻る方がはるかにましだ。


「お嬢様」


「何かしら」


 ルークが低く言う。


「盤面、少し落ち着きますか」


「いいえ」


 セレスティアは即答した。


「これは落ち着いているのではなく、次の前の整理でしょう」


「たしかに」


「でも、悪くはないわ」


 教室の窓の外では、春の光がゆるやかに差していた。

 学園は何も変わっていないように見える。

 だが実際には、盤面の質が少しずつ変わっている。


 イザベラは学級の空気を整える側へ踏み込んだ。

 レオンは余計な熱を抑える伝達役を引き受け始めた。

 ディルクは、負けた後の勢いではなく訓練を選んだ。

 そしてアーネストは、少なくとも学級内では安く扱われる側へ落ちつつある。


 最凶公爵令嬢は、拾う価値のある面倒だけ拾う。

 それはつまり、価値のない面倒は周囲の盤面ごと利用して処理するということでもあった。


 そしてその日の放課後。

 セレスティアのもとへ、

 今度は珍しく、

 ルークではなく“家”からの正式な便りが届くことになる。


 差出人は――

 グランフェル公爵家当主、

 ヴァレリウス・ヴァン・グランフェルだった。

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