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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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26/41

第26話 最凶公爵令嬢は、切った相手の執着を嫌う

 夕暮れの学園は、昼とは別の顔を持っている。


 講義と訓練を終えた生徒たちが、それぞれの帰路や談話へ散っていく時間。校舎の白い壁は西日を受けて淡く赤みを帯び、石畳には長い影が落ちていた。


 その穏やかな景色の中にあって、セレスティア・ヴァン・グランフェルの機嫌は悪くなかった。


 昼の会談で、アルフレッド・レオンハルトとレオン・ハルヴェインが持ってきた話は、少なくとも筋が通っていたからだ。止めるのではなく、選びやすいように場を整理する。そういう提案なら、聞く価値はある。


「お嬢様」


「何かしら」


 北回廊を歩きながら、ルークが低く言った。


「少々、後ろが騒がしいかと」


「ええ」


 セレスティアも気づいていた。


 騒がしいというより、気配が雑なのだ。隠れる気があるようでない。追っていることを悟られたくないが、完全に消すほどの技量もない。あまり好みではない気配だった。


「誰かしら」


「かなり絞られます」


「そうね」


 そのまま角を一つ曲がる。


 曲がった先、ちょうど小さな中庭へ抜ける手前で、待っていたように姿を現した男がいた。


 アーネスト・ヴァルグレイ。


 昨日、教室の前で“都合のいい男”として切り捨てた相手だ。


 今日も整った顔をしている。だが昨日より少しだけ余裕がない。柔らかい笑みを浮かべてはいるものの、その奥にあるものは明らかに苛立ちだった。


「またあなた」


 セレスティアは隠しもせずに言った。


 アーネストの笑みが、わずかに引きつる。


「ずいぶんな歓迎ですね」


「歓迎していないもの」


「それでも、少しは話をしていただけるかと」


「昨日の時点で終わっているわ」


 ルークが半歩だけ前へ出られる位置を保つ。


 アーネストはそれを見ても下がらなかった。


 つまり今日は、昨日より少し強く来るつもりなのだろう。


「そう冷たくなさらずに」


 アーネストは声を柔らかくした。


「昨日は、私の言い方が悪かったのかもしれません」


「ええ」


 セレスティアは即答する。


「かなりね」


「……率直でいらっしゃる」


「今さらでしょう」


 そこでアーネストは、一度だけ笑みを消した。


 社交の皮を少し剥いだのだろう。だが完全には崩さない。そこが余計に鼻につく。


「では、率直に言いましょう」


「どうぞ」


「あなたは、今のままだと損をします」


 セレスティアは一瞬、表情を動かさなかった。


 それから、ほんの少しだけ目を細める。


「安いわね」


「何がです」


「脅し文句が」


 アーネストの眉がわずかに動く。


「脅しているのではありません。忠告です」


「同じでしょう」


 セレスティアは静かに切る。


「“あなたのためを思っている”顔で、“従わないと損をする”と言う人間を、私は忠告とは呼ばないわ」


 夕方の空気が、そこで冷えた。


 アーネストは数秒、セレスティアを見つめる。


「……あなたは本当に、人の善意を信じませんね」


「善意?」


 セレスティアは少しだけ笑った。


「それ、本気で言っているの?」


「少なくとも私は、あなたにとって不利益になる道を避けた方がいいと考えています」


「それが善意?」


「ええ」


「違うわね」


 セレスティアの声は静かだった。


「あなたは、“自分が教えてやる立場”にいたいだけよ」


 アーネストの顔が硬くなる。


「随分な言いようだ」


「昨日も言ったでしょう」


 セレスティアは一歩も引かない。


「あなたは最初から、“学園の中だけに置いておくには惜しい”なんて顔をしていた。つまり、私をどこかへ置いてやる側のつもりだった」


「それの何が悪いんです」


 ついに、少し本音が出た。


「悪いわよ」


 セレスティアは即答する。


「私を自分の都合のいい場所へ動かせる前提で話しているもの」


 ルークの気配がさらに研がれる。


 だがセレスティアは続けた。


「あなたみたいな男は嫌いなの」


「……」


「切られた理由も分かっていないでしょう?」


 アーネストが黙る。


 図星だ。


「あなたは、整った言葉で近づいているつもりでしょうけれど、根っこがずっと同じなのよ。“自分が選ぶ側だ”っていう顔が消えない」


 その一言一言が、丁寧に男の自尊心を削っていく。


「ですが」


 アーネストは、まだどうにか体裁を保とうとした。


「実際、外の世界は学園の中よりずっと複雑です。あなたほどの方でも、扱い方を間違えれば――」


「またそれ?」


 セレスティアは呆れたように言った。


「本当に語彙が薄いのね」


「何ですって」


「あなた、“損をする”“扱いを間違える”“外は複雑”って、そういう言葉しか持っていないでしょう」


 アーネストの表情から、ついに柔らかさが消えた。


 ようやく本性が出てきた、とセレスティアは思う。


「あなたは、自分が外の論理を知っている側だと思っている。でもね」


 セレスティアは淡々と続ける。


「知っていることと、使いこなせることは別よ」


「……」


「もっと言うと、知っていることをいちいち他人へ見せたがる時点で、二流なの」


 完全に沈黙が落ちた。


 アーネストの目の奥に、はっきりとした怒りが宿る。

 もう隠しきれていない。

 整った男の皮が剥がれ始めている。


「お嬢様」


 ルークが低く言う。


「これ以上は」


「ええ」


 セレスティアは頷く。


「もう十分ね」


 そしてアーネストを見る。


「私はあなたを選ばないわ」


 最後通牒のように言った。


「これで終わり。次に来るなら、今度は迷惑として処理する」


 アーネストの顔色が変わる。


「そこまで言いますか」


「ええ」


「私はただ――」


「ただ?」


 セレスティアは冷たく返す。


「切られたことが気に入らないだけでしょう」


 その一言で、全部終わった。


 アーネストの口元が震える。

 怒り。屈辱。

 そして何より、“自分はまだ余裕のある側だ”という顔を保てなくなった焦り。


 それが全部出た。


「……あなたは」


 低い声だった。


「本当に、厄介な方だ」


「今さらでしょう」


 返しもまた、いつも通りだった。


 アーネストは数秒立ち尽くし、それからようやく踵を返した。去り際の背中には、昨日のような余裕も、柔らかな仮面もない。


 ただ、切られたことに執着している男の背中だった。


 足音が遠ざかる。


 ルークが完全に気配を解いたのは、それを見送ってからだった。


「お嬢様」


「何かしら」


「案の定、でございました」


「ええ」


「切られたことそのものに執着しておりましたね」


「安い男ほどそうなるもの」


 セレスティアは淡々と言った。


「自分が拒絶される想定をしていないから、そこで止まるのよ」


「たしかに」


「厄介なのは、ああいうのが勝手に物語を作ることね」


「ご自分の中で、でございますか」


「ええ。“自分は善意で近づいたのに切られた”とか、“相手が無礼だった”とか、都合のいい形にするでしょう」


 ルークは静かに一礼した。


「その点は、わたくしも同感です」


「だから先に言っておいたのよ」


「迷惑として処理すると」


「ええ」


 セレスティアは中庭の方へ視線を向けた。


 夕方の風が低木を揺らす。空は少しずつ色を落とし、学園の一日は終わりへ向かっている。だが、自分の周囲だけは相変わらず静かに終わってくれない。


「お嬢様」


「何」


「本日の一件、クロイツ嬢あたりは好ましく思うかもしれません」


「どういう意味かしら」


「お嬢様が、あの種の外の男を明確に切ることが確認されましたので」


 なるほど、とセレスティアは思った。


 イザベラ・フォン・クロイツにとって、アーネストのような男は不快なはずだ。空気も、人の立ち位置も、何もかも“外から当然のように触る”顔をしているから。


「そうね」


 セレスティアは短く答えた。


「でも、だからといって借りが増えるわけではないわ」


「もちろんでございます」


「ただ」


 少しだけ言葉を切る。


「イザベラがああいう男を嫌うなら、そこは少しだけ話が早いかもしれないわね」


 ルークはそれに一礼で応じた。


 最凶公爵令嬢は、切った相手の執着を嫌う。

 拒絶されたことに意味を見出し、

 自分の中で都合よく物語を作る男は、

 最初から最後まで価値がない。


 そしてその価値のなさを、今度は周囲が見ていく。


 アーネスト・ヴァルグレイは、ここで終わる男ではないかもしれない。

 だが少なくとも、セレスティアの前ではもう終わった。


 それがどう波及するか。

 誰がどう拾うか。

 学園ではいつだって、切った後の方が少し面倒だ。


 そして翌日。

 その面倒を最初に拾いに来るのは、

 やはりイザベラ・フォン・クロイツだった。

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