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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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25/41

第25話 最凶公爵令嬢は、並んで来られても動じない

 教室の空気が止まったまま、数秒が過ぎた。


 第一王子アルフレッド・レオンハルト。

 二年騎士科のレオン・ハルヴェイン。


 その二人が並んで一年一組の扉の前に立つという状況は、さすがに誰の想定にもなかったのだろう。令嬢たちの手元は止まり、令息たちも本を開いたまま視線だけを上げている。イザベラ・フォン・クロイツですら、わずかに呼吸を浅くしていた。


 その沈黙の中心で、セレスティア・ヴァン・グランフェルだけがいつも通りだった。


「内容によるわ」


 立ち上がったまま、そう返す。


 アルフレッドは一瞬だけ目を細め、それからごく僅かに口元を緩めた。


「変わらないな」


「今さらでしょう」


「違いない」


 レオンはその横で小さく息を吐く。


「安心しました」


「何が?」


「この状況でも、いつも通りでいてくださったことです」


「気持ち悪いことを言うのね」


「よく言われます」


 その返しに、教室の後方で小さく息を呑む音がした。


 王子と騎士科上位生徒を前にして、セレスティアはまるで温度を変えない。いや、変えないというより、相手が変わっても会話の軸を動かさないのだ。


 アルフレッドが改めて口を開く。


「少し場所を移したい」


「何の話かしら」


「君一人の話ではない」


 そこで一拍置く。


「騎士科の空気と、学園内の今後についてだ」


 教室の空気がまた揺れた。


 今の一言だけで十分だ。

 ただの私的接触ではない。

 少なくとも、そう聞こえる。


 セレスティアはアルフレッドを見た。


 その言い方は、わざと少し広くしてある。周囲に聞かれても困らない程度にぼかしつつ、断りにくいだけの意味を持たせている。


 上手い。


 だが、それだけだ。


「ルークも同席するわ」


 即座にそう言うと、アルフレッドは頷いた。


「構わない」


 レオンも異論を挟まない。


 セレスティアはそこで、ようやく教室を出る方向へ一歩踏み出した。


「では行くわ」


「助かる」


 アルフレッドがそう言うと、教室内の空気がようやく少しだけ動き始めた。


 だがその動きは、三人が廊下へ出て扉が閉まった瞬間、一気に爆発しただろうことが容易に想像できた。


 中央棟の一角にある小会談室。


 最近、この部屋へ来る頻度が少し高すぎる気がするとセレスティアは思ったが、口にはしなかった。整えた場で話をすること自体は嫌いではない。むしろ、廊下や教室前で曖昧に済ませる方が面倒だ。


 四人で部屋へ入る。


 アルフレッドが主導して奥の席へ座り、セレスティアが向かいへ、レオンは少し横寄り、ルークは斜め後ろに立つ。位置だけ見れば不思議な会談だった。


 王子。

 公爵令嬢。

 二年騎士科上位生徒。

 護衛騎士。


 それぞれの立場がずれているのに、妙に均衡している。


「話を切り出したのは俺だが」


 アルフレッドが静かに言う。


「きっかけは、昨日と今日の騎士科側の動きだ」


「ディルク先輩のこと?」


 セレスティアが問うと、レオンが頷いた。


「ええ」


「それで?」


「先輩があなたへ本格的に接触し始めたことで、騎士科の中でも空気が割れ始めています」


「割れる?」


「はい」


 レオンの声は静かだが、内容は軽くない。


「単純に面白がっている者。あなたを測りたい者。近づきたい者。逆に、騎士科の外の人間が入り込みすぎていると不快に思う者」


「なるほど」


「そして」


 アルフレッドが引き取る。


「その変化が、騎士科の中だけで収まりそうにない」


 セレスティアは少しだけ目を細めた。


 ようやく本題が見え始めた。


「私が原因だと?」


「半分はそうだ」


 アルフレッドは誤魔化さない。


「だが、もう半分は元々そこにあった火種だ」


「火種、ね」


「騎士科は、力を軸に序列を作る。だが学園全体はそうではない。家格、王家との距離、政治、学級内の空気、外部からの評価。そこへ君のような存在が入ると、どの軸を優先するかで衝突が起きる」


「分かりやすいわね」


「そうだな」


 アルフレッドは頷く。


「そして君は、そのどの軸にも素直には乗らない」


「当然でしょう」


「だから余計に揺れる」


 そこまで聞いて、セレスティアはようやく一つ息を吐いた。


「それで、私に何を求めるの?」


 アルフレッドとレオンが、一瞬だけ視線を交わす。


 先に口を開いたのはレオンだった。


「結論から言います」


「どうぞ」


「しばらくの間、騎士科の公開性の高い場へ入るタイミングを、少しだけ選んでほしいんです」


 セレスティアは沈黙した。


 予想と少し違ったからだ。


 もっと直接的に、接触を避けろとか、ディルクと距離を取れとか、そういう話だと思っていた。だがこれは、完全な禁止ではない。タイミングの問題として切ってきている。


「なぜ?」


「今、騎士科側であなたに触れたがる者が増えすぎています」


 レオンは率直に言う。


「ディルク先輩が負けを濁さなかったことで、“正式に向き合えば測れる相手”だと思われた。そこへ外の話まで混ざり始めている」


 アーネスト・ヴァルグレイやウォルター・エルムヘイヴンの件を、この二人がどこまで知っているかは分からない。だが、“外の話まで混ざり始めている”という認識は、少なくともアルフレッド側にはあるのだろう。


「つまり、今の私は安く触れない相手になった」


「そうだ」


 アルフレッドが答える。


「そして安く触れないなら、今度は“きちんとした形で近づく名目”を欲しがる者が増える」


「面倒ね」


「まったく同感だ」


 そこで初めて、少しだけ温度が揃った。


 セレスティアはレオンを見た。


「あなたも同意なの?」


「ええ」


「でも、それは私にとって何の利益があるの?」


 正面から問う。


 アルフレッドは、それを待っていたように答えた。


「無秩序に場が増えるより、価値のある場だけを選べる」


「選ぶのは最初から私でしょう」


「その通りだ」


 アルフレッドは肯定する。


「だから“選ぶな”ではない。君が選ぶ時、余計な熱が乗りすぎている場を避けた方が、結果として君にとっても見やすいはずだ」


 それは間違っていない。


 セレスティアにとって重要なのは、価値があるかどうかだ。

 価値のある剣を見ること。

 価値のある人間と話すこと。

 価値のある盤面にだけ乗ること。


 騒ぎそのものに価値はない。

 ただ、騒ぎが多すぎると、価値の見極めに無駄な熱が混ざる。


「つまり」


 セレスティアは静かに整理する。


「しばらくの間、騎士科全体が妙に熱を持っている。だから、私がそこへ不用意に入ると、価値のない接触まで増える」


「ええ」


 レオンが頷く。


「そして、その熱が少し落ち着くまでの間だけでも、選ぶ場を絞ってほしいんです」


「誰のために?」


「あなたのためでもあり、こちらのためでもあります」


 その答えは正しかった。


 正しすぎて、むしろ気に入らないところがなかった。


「お嬢様」


 ルークが低く言う。


「筋は通っております」


「ええ」


 セレスティアは答える。


 それからアルフレッドを見る。


「これは、王子としての要請?」


「半分はそうだ」


「残り半分は?」


「個人的な判断だ」


 アルフレッドの青い瞳は揺れない。


「君が、安い騒ぎの中心に置かれるのは、見ていて不快だからな」


 その言い方に、セレスティアは少しだけ目を細めた。


「保護者みたいなことを言うのね」


「気に入らないか」


「少しね」


 アルフレッドが、ごく僅かに笑った。


「そうだろうと思った」


 レオンもまた口元を緩める。


「ええ。かなり」


「うるさいわね」


 短い沈黙のあと、セレスティアは結論を出した。


「分かったわ」


 アルフレッドとレオンが、同時に視線を向ける。


「しばらくの間、騎士科の場に入る時は自分で一段選別する」


「それで十分だ」


 アルフレッドが答える。


「ただし」


 セレスティアは続ける。


「それを理由に、私が避けているとか、引いたとか、勝手な解釈を広げたら面倒よ」


「そこは俺が処理する」


 レオンが言った。


「少なくとも騎士科側で、その種の安い受け取りは減らします」


「あなたが?」


「ええ」


「大変ね」


「多少は」


 そう言いながらも、レオンの顔に嫌そうな色はない。


 この男はこういう調整役を嫌いきれないのだろう。いや、嫌いでも必要ならやる類かもしれない。


「それで、今日は終わり?」


 セレスティアが問う。


「ああ」


 アルフレッドが答える。


「本題はそれだけだ」


「案外まともだったわね」


「失礼だな」


「今さらでしょう」


 その返しに、今度はアルフレッドがはっきりと口元を緩めた。


「違いない」


 会談はそこで終わった。


 立ち上がる。

 ルークがさりげなく位置を戻す。

 レオンが扉を先に開く。

 王子がその後ろに続く。


 妙な組み合わせだが、不思議と破綻していなかった。


 廊下へ出たところで、レオンが一歩だけ横へ並ぶ。


「一つだけ」


「何かしら」


「今日、受けていただいて助かりました」


「あなたの整理は悪くなかったもの」


「光栄です」


「それ、便利ね」


「ええ。使い勝手がいいので」


 アルフレッドが横で小さく息を吐く。


「お前たちは、いつもそういう調子なのか」


「今さらでしょう、殿下」


 セレスティアが言うと、アルフレッドはもう反論しなかった。


 そのまま三人と一人は廊下を分かれる。


 セレスティアとルークは教室へ戻らず、そのまま北回廊へ向かった。昼休みも終わりに近い。わざわざまた教室の熱の中へ戻る意味が薄い。


「お嬢様」


「何かしら」


「受けられましたね」


「ええ」


「アルフレッド殿下とハルヴェイン先輩の要請を」


「正確には、筋の通った整理をね」


 セレスティアは窓の外を見る。


「私はあの二人に従ったわけではない。合理的だったから採っただけよ」


「存じております」


「でも」


 少しだけ言葉を切る。


「悪くはなかったわね」


「どちらがでございますか」


「両方よ」


 ルークは静かに一礼した。


「承知いたしました」


 最凶公爵令嬢は、都合よく扱われることを嫌う。

 だが、筋の通った整理には乗る。

 相手が王族でも、騎士科上位でも、同じだ。


 そして今日、

 アルフレッドとレオンは、

 初めて“セレスティアを止める側”ではなく、

 “セレスティアが選びやすい形を整える側”へ回った。


 それは小さな変化だった。

 だが確実に、盤面の質を変える変化でもあった。


 そしてその日の夕方。

 その変化を、最も面白くなさそうに受け取る男が一人いた。


 アーネスト・ヴァルグレイ。


 彼は、安く切り捨てられたままで終わる男ではなかった。

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