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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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22/41

第22話 最凶公爵令嬢は、都合のいい男を好まない

 扉の前に立つ男は、最初から自分の見せ方を知っている顔だった。


 年の頃は十七か十八。学園の正規制服ではなく、王都貴族の子弟が課外の場で好んで着る、軽い礼装めいた上着を羽織っている。整った顔立ち、柔らかな物腰、よく通るが押しつけがましくない声。


 だが、その全部が少しずつ鼻についた。


 作りすぎているのだ。

 親しみやすさも、余裕も、距離の詰め方も。

 最初から“そう見えるように”整えた人間の匂いがする。


「セレスティア・ヴァン・グランフェル嬢」


 男はもう一度、穏やかに名を呼んだ。


「少し、お時間をいただけますか」


 教室の空気がまた一段静まる。


 一年一組の生徒たちは、ここ数日で学んでいた。

 セレスティアの前に現れる“外”の人間は、大抵ろくでもない。

 そして、そのろくでもなさが、毎回少しずつ質を変えていることも。


「何かしら」


 セレスティアは座ったまま問う。


 男は薄く笑う。


「ここで立ち話をするような内容ではありません」


「では、なおさら断るわ」


 即答だった。


 教室のあちこちで、わずかな息の揺れが起きる。


 イザベラ・フォン・クロイツは何も言わない。

 だが、明らかに面白くなさそうな目をしていた。

 たぶんこの男の種類が、彼女にとっても好ましくないのだろう。


 男は意外そうな顔を作った。


 作った、というのが重要だった。


「理由を伺っても?」


「あなたが嫌いな種類だから」


 今度は教室の隅で、本当に誰かが息を詰まらせた。


 男の笑みが、ほんの一瞬だけ薄くなる。

 だがすぐに戻した。


「まだ何もお話ししておりませんが」


「ええ」


 セレスティアは本を閉じ、ようやく視線を正面から向ける。


「でも、分かるもの」


「何がでしょう」


「あなた、自分に都合のいい距離感を最初から作っているでしょう」


 その一言で、男の瞳の奥がわずかに硬くなる。


 図星だ。


「少し誤解があるようですね」


「便利な言葉ね、誤解って」


 それは最近よく使った返しだったが、便利なのだから仕方がない。


「お名前は?」


 セレスティアが聞くと、男は一礼した。


「アーネスト・ヴァルグレイと申します」


 ヴァルグレイ。


 侯爵家か伯爵家か、そのあたりの王都系貴族にいたはずだとセレスティアは記憶を探る。中央社交寄り。武門ではなく、文官や婚姻で位置を広げる家筋。


 なるほど、だからこの匂いなのだ。


「それで、ヴァルグレイ卿」


 セレスティアは淡々と言う。


「何の用?」


「少し、あなたに興味がありまして」


「安いわね」


 即切りだった。


 アーネストの笑みがまた少しだけ揺れる。


「ずいぶん手厳しい」


「今さらでしょう」


「ええ、噂には聞いております」


「では、その噂どおりに断るわ」


「待ってください」


 アーネストは一歩だけ教室内へ踏み込んだ。


 その瞬間、廊下側にいたルークの気配がはっきりと冷えた。


「お嬢様」


「ええ」


 セレスティアは目だけでルークを制し、アーネストへ向き直る。


「何かしら」


「せめて、話くらいは聞いていただけないかと」


「価値があるなら聞くわ」


「でしたら、価値のある話です」


「自分で言うのね」


 アーネストは微笑んだまま言う。


「あなたのような方は、学園の中だけに置いておくには惜しい」


 その瞬間、セレスティアははっきりと不快を覚えた。


 今の一言で十分だった。


 この男は、自分を“学園の外へ引き上げてやる側”だと認識している。

 少なくとも、そういう顔で近づいている。


「断るわ」


 もう一度、今度はさっきより冷たく言った。


「なぜです?」


「今ので確定したから」


「何が」


「あなたが、私を値踏みした上で“使える形に置きたい”側の人間だってことが」


 アーネストはわずかに息を止めた。


「そのような失礼な意図は――」


「あるでしょう」


 セレスティアは切る。


「“学園の中だけに置いておくには惜しい”なんて、あなたが言う立場ではないもの」


 教室の空気が、完全に静まり返る。


 イザベラの目が細くなる。

 この言い方は、彼女にも刺さったはずだ。

 なぜなら、彼女もまた“場を選び、位置を決める側”の人間だからだ。

 ただし、この男と違うのは、自分がその発言をする時の重さを理解していることだろう。


「あなたは、私をどこへ置ける立場なの?」


 セレスティアの声は静かだった。


「王都? 社交? 派閥? 縁談? 何でもいいけれど、少なくとも最初からその顔で来るなら失礼よ」


 アーネストの笑みが、今度こそ消えかける。


 だが完全には崩さない。

 そのあたりは訓練されているのだろう。

 嫌らしい。


「……やはり、噂どおり簡単ではない方だ」


「簡単な女を探していたの?」


 返しが早すぎて、アーネストが一瞬詰まる。


 そこで初めて、教室の後方で誰かが噛み殺しきれない笑いを漏らした。


 アーネストの顔色が、ほんの僅かに変わる。

 周囲に聞かれている。

 しかも、自分が押しているつもりで押し返されている。


 この構図はたぶん、彼にとって好ましくない。


「グランフェル様」


 ここでイザベラが初めて声を挟んだ。


 柔らかい。

 だが、温度は低い。


「よろしければ、その方を廊下へお返しになってはいかがかしら」


 視線はアーネストへ向いている。


 助け舟のように見える。

 だが実際には違う。


 これ以上この男に教室内の空気を触らせたくないのだ。

 つまり、イザベラにとっても“不快な侵入者”認定されたということだろう。


 アーネストはその声で、ようやく自分が完全な歓迎を受けていないことをはっきり悟ったらしい。


「……失礼いたしました」


 だが引き際もまだ少し鼻につく。


「また改めます」


「来なくて結構よ」


 セレスティアが言うと、アーネストの顔がわずかに引きつった。


「そうおっしゃらずに」


「ええ。そう言っているの」


 もう取りつく島がない。


 アーネストは数秒だけセレスティアを見つめ、それから一礼して教室を去った。


 扉の向こうへ気配が消えると、張りつめていた空気が一気に戻る。


「今の、誰……?」


「ヴァルグレイって言ってた?」


「外の人よね?」


「すごいわね……あそこまで……」


 囁きが一斉に広がる。


 セレスティアは気にせず教本を開いた。


 だがイザベラはまだ席へ戻らず、机の横に立ったままだった。


「珍しいわね」


 セレスティアが言う。


「何がですの?」


「あなたが、あんな男に割って入るなんて」


 イザベラはほんの少しだけ笑う。


「学級の空気を乱されるのが嫌いなだけですわ」


「本当に?」


「半分ほどは」


 やはりこの女は、半分を隠さない時の方が信用できる。


「残り半分は?」


 セレスティアが問うと、イザベラは数秒だけ黙った。


 その沈黙の後、彼女は静かに言った。


「あなたを、ああいう安い方に触らせるのが少し不快だったのです」


 教室のざわめきの中で、その一言だけが妙に鮮明だった。


 セレスティアは一瞬、言葉を選ばずにそのまま返す。


「そう」


「ええ」


「面白いことを言うのね」


「わたくしも、少し驚いておりますわ」


 イザベラは苦笑に近い表情を見せた。


 自分で口にして、自分で少し意外だったのだろう。

 だがその本音は悪くない。


「では」


 セレスティアは淡々と言う。


「今のは借りにしておくわ」


 イザベラの目が、ほんの少しだけ見開かれた。


「借り、ですの?」


「ええ」


「返してくださるの?」


「価値があればね」


 その返しに、イザベラはようやく完全に笑った。


 作り物ではない、とは言わない。

 だが、いつもの社交用の笑みより少しだけ体温があった。


「それは、期待しても?」


「好きにすればいいわ」


 イザベラは一礼して自席へ戻る。


 その背中を見ながら、ルークが低く言った。


「お嬢様」


「何かしら」


「クロイツ嬢、かなり本音でいらっしゃいました」


「ええ」


「いかがご覧になりますか」


 セレスティアは短く答える。


「やっぱり悪くないわね」


「そうでございますか」


「ええ。少なくとも、あの男よりはずっと」


 ルークは静かに一礼した。


 最凶公爵令嬢は、都合のいい男を好まない。

 その男が整った顔をしていようと、

 柔らかい声で近づこうと、

 自分を“どこかへ置いてやる側”の顔をした瞬間に切る。


 それは学園の外の論理だ。

 そしてセレスティアは、それを学園の中へ安く持ち込ませる気がない。


 だが、だからこそ別のものも見える。


 イザベラが、ああいう男を嫌うこと。

 ルークが何も言わずとも気配を変えること。

 学級全体が、以前のように安くこの場を面白がれなくなっていること。


 盤面はまた少し変わった。


 そしてその日の放課後。

 セレスティアの前に現れるのは、

 またしてもディルクだった。


 ただし今度は、挑発でも模擬戦の申し込みでもない。

 負けたあとで、ようやく少しだけ真っ当に近づいてくる形で。

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