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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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第21話 最凶公爵令嬢は、困ると言われても譲らない

 翌朝、一年一組の空気は妙に静かだった。


 騒がしさがないわけではない。椅子を引く音、教本を開く音、令嬢たちの抑えた挨拶、令息たちの短い会話。いつも通りの朝の教室の音はある。


 だが、その全部の下に、明確な熱が沈んでいる。


 昨日の模擬戦。

 セレスティア・ヴァン・グランフェルが、三年騎士科のディルクを正式な場で取り切ったこと。

 しかも相手は整えて来ていた。感情で荒れた剣ではなく、真正面から差し出された剣だった。


 それを、一年の公爵令嬢が取った。


 噂にならない方がおかしい。


 セレスティアはその熱を感じながら、いつも通りに窓際後方の席へ向かった。


「お嬢様」


「何かしら」


 廊下側に控えるルークが、低く言う。


「本日は、恐れと敬遠だけではございません」


「ええ」


「明確に、格を見直している目が増えております」


「でしょうね」


 セレスティアは淡々と答え、席へ着いた。


 学級の中で自分がどう見られているか自体には、あまり関心がない。

 ただ、見られ方が変わる時は、人の動きも変わる。

 だからそこだけは把握しておく価値があった。


 イザベラ・フォン・クロイツは、今日も完璧な笑みを浮かべていた。


 だが、その笑みの奥にある計算は、いつもよりわずかに濃い。セレスティアが席へ着くのを見計らったように立ち上がり、無駄のない足取りでこちらへ歩いてくる。


 周囲の空気がぴたりと薄くなる。


「ごきげんよう、グランフェル様」


「ごきげんよう、クロイツ嬢」


 イザベラはセレスティアの机の横、しかし近すぎない位置で止まった。


「少し、困りましたわね」


 柔らかな声だった。


 けれどその中には、いつもの社交辞令だけではない本音が混じっている。


「何が?」


 セレスティアが問うと、イザベラは小さく息をついた。


「あなたの評価が、また一段変わってしまいましたもの」


「そう」


「ええ」


 イザベラは微笑む。


「昨日までは“面倒な公爵令嬢”で済ませていた方々まで、今朝はそうはいかない顔をしていらっしゃるのです」


「失礼ね」


「事実ですわ」


 セレスティアは少しだけ口元を上げた。


「それで困るの?」


「困りますわ」


 イザベラは即答した。


「空気が変わるからです」


 そこには誤魔化しがなかった。


「どう変わるの?」


「恐れていた人は距離を詰めるかもしれません。逆に、今まで軽く見ていた方は不快になるでしょう。利用価値があると思う方も出てきますし、敵として扱うには高すぎると判断する方も出てきます」


「なるほど」


「つまり、皆さまが“あなたをどう扱うか”で迷い始めるのです」


 セレスティアはその言葉を聞いて、小さく頷いた。


 それは正しい整理だった。


 人は理解できないものを恐れる。

 だが、理解できないものが強いと分かった途端、次は「どう使えるか」「どう位置づけるか」を考え始める。


 それは恐れより厄介だ。


「それで」


 セレスティアが問う。


「あなたは、どう扱うつもりなのかしら」


 イザベラの灰青色の瞳が、ほんの少しだけ細くなる。


「今までと大きくは変えませんわ」


「本当に?」


「ええ」


 イザベラは微笑んだ。


「少なくとも、安く敵に回す気はさらに失せましたもの」


 かなり率直な表現だった。


 周囲が聞いているかもしれない教室内で、ここまで言うのは珍しい。だがそれだけ、イザベラ自身も昨日の結果を軽くは見ていないのだろう。


「では、味方になるの?」


 セレスティアがそう聞くと、イザベラは一拍だけ黙った。


 その沈黙に、彼女らしい精査があった。


「味方、というのは難しい言葉ですわね」


「逃げているの?」


「いいえ。整理していますの」


 イザベラは静かに言う。


「わたくしは、あなたの上に立てるとは思っておりません。けれど、あなたの隣に立てるかどうかは、まだ分かりませんわ」


 その返しは悪くなかった。


 少なくとも、簡単に“味方です”と安い言葉を差し出してくる手合いよりはずっとましだ。


「そう」


「ええ」


「なら、まだ保留ね」


「その通りですわ」


 イザベラはそこでほんの少しだけ笑みを深めた。


「ですが、一つだけお願いがございます」


「何かしら」


「これ以上、あまり急に盤面をひっくり返さないでくださいませ」


 教室の空気が、そこで少しだけ揺れた。


 令嬢たちには意味が分からないかもしれない。だが、分かる者には分かる言い方だ。これは単なる冗談ではない。


 昨日の模擬戦で、セレスティアは学級の外にあった評価軸まで一段動かした。イザベラにとっては、それが“盤面をひっくり返す”に等しかったのだろう。


「断るわ」


 セレスティアは即答した。


 周囲の空気が一瞬止まる。


 イザベラは驚かない。


 むしろ、その返答を予想していた顔だった。


「でしょうね」


「私は、あなたが整えた盤面に乗るために生きているわけではないもの」


「ええ、存じております」


「でも、一つだけ譲れることもあるわ」


 その言葉に、イザベラの瞳がほんの少し動く。


「何でしょう」


「盤面をひっくり返す前に、価値がある相手には少しだけ見る時間をあげること」


 イザベラはその意味を考えるように、数秒だけ沈黙した。


「……それは、わたくしも含まれますの?」


「あなた次第ね」


「厳しいですわ」


「今さらでしょう」


 イザベラは、そこで小さく笑った。


 その笑いには、困惑と少しの安堵が混じっているように見えた。


「では、その“見る時間”に値する側でいられるよう努力いたしますわ」


「そうするといいわ」


 会話はそれで一区切りついた。


 イザベラは一礼し、自席へ戻っていく。だがその背中を見ながら、セレスティアは一つだけ確信した。


 この女は、もう完全に自分を“学級内の厄介者”としてだけ見ていない。

 学級の外まで広がる変数として扱い始めている。


 それは悪くない変化だった。


「お嬢様」


 ルークが低く声をかける。


「何」


「クロイツ嬢は、かなり本音を混ぜておられました」


「ええ」


「困る、というのも」


「本当でしょうね」


 セレスティアは教本を開きながら言う。


「この学級で空気を整えてきた人間からすれば、外側の評価軸まで混ざり始めるのは面倒でしょう」


「ですが、彼女は完全に敵には回っておりません」


「ええ」


「いかがご覧になりますか」


 セレスティアは少しだけ考えた。


「やっぱり悪くないわね」


「クロイツ嬢が」


「ええ。少なくとも、自分が困ると認める程度には誠実だったもの」


 ルークは一礼する。


「承知いたしました」


 その日の講義は、妙に静かに進んだ。


 生徒たちの視線は相変わらず熱い。

 けれど、以前より不用意なものは減っていた。

 昨日の模擬戦で、セレスティアへ安く触ることの危うさを学んだ者が増えたからだろう。


 だが、それで平穏になるわけではない。


 安く触る者が減れば、今度は少し高い手が寄ってくる。


 昼休み前、教室の外に新しい気配が立った時、セレスティアはそれをすぐに感じた。


「お嬢様」


「ええ」


 ルークも気づいている。


 この気配は、騎士科の荒さではない。

 王族の直線でもない。

 学級の中の空気とも違う。


 もっと整った、だがそれゆえに面倒な気配。


 扉の向こうに現れたのは、学園の制服ではなかった。


 王都貴族の子弟が課外時にまとう、軽い礼装めいた上着。

 年齢は十七か十八。

 顔立ちは整っている。だが、その整い方に、あまり好ましくない自信が混じっていた。


 男は扉の前に立つと、教室内を軽く見渡し、最後にセレスティアへ視線を止める。


「セレスティア・ヴァン・グランフェル嬢」


 柔らかい声。


 だが、呼び方に馴れ馴れしさがある。


「何かしら」


「少し、お話しする時間をいただけますか」


 教室の空気がまた変わる。


 イザベラがゆっくり顔を上げる。

 この男は学級の人間ではない。

 しかも、招き方が最初から“対等な体”を装っている。


 面倒ね、とセレスティアは思った。


 そしてその予感は、ほぼ正しいだろう。


 最凶公爵令嬢は、困ると言われても譲らない。

 だが、譲らないからこそ、次はもっと整った“都合のいい男”が寄ってくる。


 学園の中と外をまたぐような、

 最も鼻につく種類の男が。

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