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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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20/41

第20話 最凶公爵令嬢は、真正面から来た剣を受ける

 放課後の第二訓練場は、いつもより明らかに静かだった。


 人がいないわけではない。

 むしろ、いる。


 ただしその数は絞られていた。


 騎士科補助訓練の名目で場は開かれているが、ガレス・ドレイクの指示により、見学は制限付きになっている。騎士科の一部生徒、訓練関係の教師、必要最小限の立会人。野次馬としての見物人は、入り口の時点でかなり弾かれていた。


 それでもなお、空気は濃い。


 見たい者だけが残っているからだ。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルが訓練場へ入ると、その濃さがわずかに揺れた。


 普段の学級内とは違う。

 ここにいるのは、少なくとも剣に意味を見ている者たちだ。

 だから視線も、単なる好奇心だけではない。


 測る目。

 確かめる目。

 そして、まだ見ぬものへの期待。


「お嬢様」


「何かしら」


 ルークが低く声を落とす。


「かなり絞られております」


「ええ」


「ですが、それでも十分に多い」


「だからいいのよ」


 セレスティアは淡々と言った。


「変な尾ひれがつきにくいもの」


 見られすぎるのは面倒だ。

 だが、見られなさすぎるのも厄介だ。

 閉じた場での模擬戦は、後でどうとでも語られる。だからこそ、今日くらいの人数がちょうどいい。


 訓練場中央では、すでにディルクが待っていた。


 木剣を手にしている。立ち方は昨日よりさらに整っていた。熱が消えたわけではない。だが、その熱を剣の前に出しすぎない程度には整理してきている。


 そしてそれは、セレスティアにとって十分な変化だった。


「来たか」


 ディルクが言う。


「ええ」


「逃げないな」


「逃げる理由がないもの」


 セレスティアは壁際の木剣架台から一本を取り、重さを確かめるように軽く振った。


 訓練用の標準木剣。

 癖は少ない。

 特別な得物ではない。


 だからこそ、誤魔化しが利かない。


「お嬢様」


 ルークがごく低く言う。


「何」


「お気をつけて」


「もちろん」


「ディルク先輩は、昨日よりずっと良い顔をしておられます」


「ええ」


 セレスティアは木剣を持ったまま訓練場中央へ歩く。


 その途中、見学列の中にレオン・ハルヴェインの姿を見つけた。彼は壁際寄りで、騒がず、しかし最も見やすい位置に立っている。


 視線が合う。


 ほんの一瞬だけ、レオンが目を細めた。

 気をつけろ、ではない。

 見せてくれ、に近い目だった。


 悪くない、とセレスティアは思う。


 ガレスが中央へ出る。


「条件は確認済みだな」


「ええ」


 セレスティアが答える。


「問題ない」


 ディルクも頷く。


「木剣のみ。模擬戦。勝敗は有効打で見る。必要以上の追撃は禁止。感情的な延長は認めん」


 ガレスの視線が二人を順に貫く。


「特にディルク。今日は訓練だ」


「分かっています」


 珍しく、ディルクは素直に返した。


「グランフェル」


「ええ」


「お前も、必要以上に切るな」


「善処します」


 その返答に、ガレスが少しだけ眉を寄せた。


 だがそれ以上は言わない。


「構え」


 訓練場の空気が変わる。


 セレスティアは木剣を静かに構える。高くも低くもない。無駄がなく、けれど防御一辺倒でもない構えだ。


 対するディルクは、やや前重心。圧をかけるのが本来の型なのだろう。だが、以前見た時より角が削れている。押し込み一辺倒ではなく、間を見るつもりでいるのが分かる。


 だからこそ、悪くない。


「始め」


 ガレスの合図と同時に、二人が動く。


 最初の一手は、探りだった。


 ディルクが踏み込む。

 重い。

 だが前回のように勢いだけで圧すのではない。入る角度に迷いがなく、受けさせる位置も選んでいる。


 セレスティアは正面から受けず、半歩ずらして木剣を滑らせた。


 乾いた音。


 互いにすぐ離れる。


 ざわ、と見学列が揺れる。


「やっぱり速い……」


「でも前と違う」


「ディルク先輩、押しつけてない……」


 セレスティアは内心でだけ頷いた。


 本当に整えてきた。

 感情で押し潰す剣ではない。

 少なくとも今の一手には、相手の反応を見ようとする冷静さがあった。


 二手目。


 今度はセレスティアが入る。


 真正面ではない。ディルクの利き足側へ少しだけ軸をずらし、重心の変化を探るように踏み込む。ディルクはそれを読んでいたらしく、受けではなく捌きで返した。


 悪くない。


 三手。四手。


 打ち合いは静かだった。


 速い。

 だが荒れていない。

 互いに“勝ちたい”以上に、“相手を見たい”が前にある。


 そのせいで、一手ごとの密度が高い。


 見学者たちが息を潜め始める。


 もう、軽口は消えていた。


 五手目で、ディルクが一度だけ強く来た。


 真正面からの圧。だが以前のような雑な押しではない。受けさせた上で、そこから崩すための重さ。


 セレスティアはそれを受け、次の瞬間には木剣を回し込んで軌道をずらす。


 ディルクの目がわずかに細くなる。


 読んだ。

 だが、読み切れなかった。

 そういう顔だ。


 そこへセレスティアが返す。


 速さよりも、位置。


 ディルクが下がる。

 完全には崩れない。

 けれど、主導権がほんの一瞬だけ入れ替わる。


 見学列の空気が張りつめる。


「……っ」


「今、どっちが……」


「まだ分からない」


 その通りだった。


 どちらも、まだ“決め”に行っていない。

 決める前に、相手の底を見ようとしている。


 ディルクが笑った。


 声には出さない。

 だが、口元だけで笑う。


 先ほどまでの苛立ちではない。

 本当に面白いものに当たった時の顔だ。


「いいな」


 小さく、それだけ言った。


「そう」


 セレスティアは淡々と返す。


「ようやく剣らしくなったわね」


 その言葉で、ディルクの足が一瞬だけ止まりかける。


 止まりかけた、というのが重要だった。


 完全に止まらない。

 だが、響いている。


 次の瞬間、ディルクが大きく踏み込んだ。


 今度は見せるためではない。

 取りに来た。

 その意思が明確に出ている。


 セレスティアは半身を引き、木剣の腹で角度を殺す。だが、ディルクはそこからさらに追ってきた。重心がぶれない。これは先ほどまでと違う。


 整えてきた剣に、決断の重さが乗った。


 悪くない、とセレスティアは思った。


 だから今度はこちらも、少しだけ深く入る。


 木剣が交差する。

 軋む音。

 力は拮抗しない。ディルクの方が重い。

 だが、セレスティアはその重さを真正面から受けず、わずかにずらしながら踏み込みの内側へ入った。


 近い。


 ディルクの瞳が、そこで初めて大きく動く。


 近すぎる。

 この間合いは、もう圧だけでは支配できない。


 セレスティアの木剣が、最短距離で上がる。


 ディルクが反射で受ける。

 受けきる。

 だが完全ではない。


 次の一瞬、セレスティアは自分から下がった。


 見学列がざわつく。


「今、入ったのに……」


「なぜ引いた?」


「決められた……?」


 レオンだけは、黙って見ていた。


 分かっている顔だった。


 今のは決めに行かなかったのではない。

 決めに行けたが、あえて切ったのだ。


 まだ見る価値があるから。


 ディルクが息を吐く。


 荒れてはいない。

 だが、今の一瞬で完全に理解したのだろう。


 目の前の公爵令嬢は、思った以上に深いところまで入ってくる、と。


「……なるほど」


 ディルクが言う。


「何が?」


 セレスティアは構えを崩さない。


「俺がお前を面白がっていたんじゃない」


 見学列が静まる。


「逆だな」


 その言葉に、セレスティアはほんの少しだけ口元を上げた。


「ようやく気づいたの?」


 次の瞬間、空気がまた変わった。


 ディルクの中で何かが切り替わる。

 苛立ちではない。

 熱でもない。

 もっと単純な、剣士としての集中だ。


 そしてそれは、セレスティアが見たかったものでもあった。


 再開。


 今度の打ち合いは、さらに静かだった。


 音だけが響く。

 乾いた木剣の衝突。

 踏み込み。

 衣擦れ。

 吐息。


 ディルクはもう、無理に押し込まない。

 セレスティアも、ただ躱すだけではない。

 互いに相手の選択肢を削りながら、一番深いところへ入れる一手を探す。


 十手、十五手、二十手。


 長い。

 だがだれていない。


 むしろ、見る側の呼吸が追いつかなくなる。


 やがて、その均衡が崩れた。


 ディルクが一瞬だけ、右足へ重心を寄せた。

 癖ではない。

 打ち込みの前の“溜め”だ。


 セレスティアはそれを見た瞬間、前へ出る。


 ディルクも同時に動く。


 正面からぶつかる形。

 だが、その半歩の差で、セレスティアの木剣が内側を取った。


 乾いた鋭い音。


 次の瞬間、セレスティアの木剣の先が、ディルクの首筋へ寸前で止まっていた。


 完全な有効打。


 訓練場が静まり返る。


 誰も声を出さない。


 ディルクの目だけが、真正面からセレスティアを見ていた。

 悔しさはある。

 だが、それ以上に、納得があった。


「……そこまで」


 ガレスの声が入る。


 セレスティアは木剣を引く。

 ディルクも、すぐには動かなかった。

 数秒の後、ようやく一歩下がる。


「勝敗は明白だ」


 ガレスが言う。


「グランフェルの有効打」


 見学列が遅れてざわめく。


「勝った……」


「ディルク先輩に……?」


「本当に……?」


「いや、でも……」


 だが、そのざわめきの質は、いつもの軽さではなかった。


 目の前で見たのだ。

 真正面から整えて来た三年騎士科の上級生を、セレスティアが正面から取り切ったことを。


 ディルクは木剣を下ろし、数秒だけ黙っていた。


 そして。


「……負けだ」


 はっきりと言った。


 濁さない。

 言い訳もしない。

 条件どおりだ。


 セレスティアはそれを見て、少しだけ満足した。


「ええ」


「お前、やっぱり嫌なところまで見てるな」


「今さらでしょう」


 ディルクは、そこで初めて本当に笑った。


 悔しさを飲み込んだ上での笑いだ。

 負けたことをごまかさない顔。


 悪くない、とセレスティアは思う。


「面白かった」


 ディルクがそう言う。


「そう」


「またやろう」


「整えて来るならね」


 その返しに、ディルクは木剣を肩へ担ぎかけて、途中でやめた。今の自分には、その仕草が少し軽く見えるとでも思ったのだろう。そういうところまで、今は少しだけ変わって見えた。


 ガレスが前へ出る。


「終わりだ」


 教師の声音は低いが、どこか納得も混じっていた。


「野次馬どもはもう散れ。お前たちが見たのは訓練だ。余計な尾ひれをつけるな」


 そんなことが効くとは思えない。

 だが、それでも教師として言うべきことなのだろう。


 セレスティアは木剣を返しに向かう。


 ルークが静かに近づいた。


「お嬢様」


「何かしら」


「お見事でございました」


「そうでもないわ」


「ディルク先輩は、かなり整っておられました」


「ええ」


「それでも取り切られた」


「だから価値があったのよ」


 ルークは一礼する。


「承知いたしました」


 木剣を架台へ戻すと、視線を感じた。


 レオン・ハルヴェインだ。


 見学列の端からこちらを見ている。驚きではない。

 むしろ、ようやく見たかったものを見た人間の目だった。


「何かしら」


 セレスティアがそのまま問うと、レオンは近づいてきた。


「いえ」


 彼は小さく笑う。


「やはり、受けて正解でしたね」


「そうね」


「ディルク先輩も、たぶん同じことを思っているでしょう」


 その通りだろう。


 負けた。

 だが、安くはなかった。

 そういう負け方だった。


「あなたは」


 セレスティアが言う。


「満足した?」


 レオンは一拍だけ考え、それから正直に答えた。


「ええ。かなり」


「そう」


「ただ」


「何?」


「これで終わらないとも思っています」


 その言葉に、セレスティアは少しだけ目を細めた。


 そうだろう。

 学園はこういう勝負を、一度で終わらせてはくれない。


 一年公爵令嬢が三年騎士科上位を正面から取った。

 その事実だけで、また別の熱が生まれる。


「ええ」


 セレスティアは静かに答える。


「知っているわ」


 最凶公爵令嬢は、真正面から来た剣を受ける。

 そして受けた上で、価値があれば取り切る。


 ディルクは負けを濁さなかった。

 だからこの模擬戦は、ただの見世物では終わらなかった。


 だが同時に、その結果は新しい波紋を呼ぶ。


 騎士科。

 学級。

 王族。

 そして学園の外。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルという名は、

 もう“面倒な公爵令嬢”の枠では収まりきらない。


 そして翌日。

 その波紋の中で、

 最初に動くのはイザベラ・フォン・クロイツだった。


 彼女は笑顔のまま、

 こう言うことになる。


 ――少し、困りましたわね。

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