第19話 最凶公爵令嬢は、正式に差し出された剣を測る
翌日の午後、王立アルディオン学園の訓練場前には、いつもよりわずかに濃い熱があった。
明確な事件が起きているわけではない。誰かが騒いでいるわけでもない。だが、人の足が少しだけ遅い。視線が同じ方向へ向く。普段なら素通りする者まで、何となく訓練場前の空気を気にしている。
期待だ。
面白いものが起きるかもしれないという、あまり上品ではない期待。
セレスティア・ヴァン・グランフェルは、その熱を一瞥しただけで理解した。
「下品ね」
小さく呟くと、隣のルークが低く返す。
「すでに何か回っております」
「でしょうね」
「噂の速度からすると、内部で話が付いている可能性も」
「ええ」
つまり、今日ディルクが動くことを、どこかが知っていた。
騎士科の内部か。
見学席を好む野次馬どもか。
あるいは、その両方か。
セレスティアは訓練場前の石畳をまっすぐ進む。逃げる気はない。隠れる理由もない。こちらが躊躇する素振りを見せれば、それだけで勝手に意味を付けられる。
そして、その必要もなかった。
訓練場の入口手前に、すでにディルクが立っていたからだ。
昨日までと違うのは、一目で分かった。
表情の熱が抑えられている。
立ち方も、笑い方も、意図的に整えられていた。
荒さが消えたわけではない。だが、それを前に出しすぎない程度には削ってきている。
面白い、とセレスティアは思った。
本当に整えてきたのだ。
「グランフェル嬢」
ディルクが名を呼ぶ。
「何かしら」
「少し時間をもらえるか」
「ここで?」
「いや」
ディルクは周囲の空気を一度だけ見た。
「できれば、教師の立ち会う場所で」
その言い方に、ルークの視線がほんの少しだけ変わる。
警戒が一段下がり、代わりに評価が混じる。
「教師立ち会い」
セレスティアが繰り返す。
「ええ」
「ようやく学んだのね」
ディルクが少しだけ口元を上げた。
「言っただろう。整えて来ると」
「そこまでは言っていないわ」
「言外にはあった」
その返しは悪くない。
そしてディルクは続ける。
「正式に申し込む。訓練の一環として、教師立ち会いのもと、模擬戦を願いたい」
周囲の空気が変わった。
ただの挑発ではない。
正式な申し込み。
しかも教師立ち会いという条件付き。
セレスティアはディルクを見た。
昨日までのような苛立ちは薄い。完全に消えてはいない。だが少なくとも、それを自覚して外へ出しすぎない程度には制御している。
「理由は?」
セレスティアが問う。
ディルクは一拍置いた。
「お前の目が正しいか、見たい」
「私の目?」
「俺の剣を見て、雑だと言っただろう」
「ええ」
「なら、今度は整えた状態を見せてやる」
正面から来た。
好ましいと言えば好ましい。
傲慢だが、筋は通っている。
「それだけ?」
「それだけで十分じゃないか」
「足りないわね」
セレスティアは即座に切る。
「私が受ける理由としては」
ディルクの目が細くなる。
「では聞こう。何が足りない」
その問いに、セレスティアは少しだけ顎を引いた。
「あなたが整えて来たことは分かる。でも、それはあなたの都合でしょう?」
「……」
「私は、あなたの剣をもう一度見る価値は感じているわ。でも、模擬戦を受けるとなれば、私にとっての意味も必要よ」
ディルクは黙って聞いていた。
周囲に人がいる。
しかし誰も口を挟めない。
空気だけが張っていく。
「意味、か」
「ええ」
「例えば?」
「今のままだと、あなたが納得したいから来たようにしか見えないもの」
その言葉で、ディルクの表情にわずかな熱が戻る。
図星だ。
だが、昨日と違ってそれで崩れない。
「否定はしない」
「でしょうね」
「だが、それだけじゃない」
「続けて」
ディルクは一度、訓練場の入口の方へ視線をやった。
「騎士科の人間間で、お前の評価が妙なことになっている」
「妙なこと?」
「強い、静かだ、頭が切れる、王子に引かない、上級生にも動じない」
「事実でしょう」
セレスティアはあっさり言う。
ディルクが笑う。
「そうだな。だが、その上で“剣を交えれば分かる”と言い出す奴が増えている」
「それで?」
「俺が先にやる」
その一言で、空気がまた少し変わった。
ルークの視線がディルクへ向く。
これはただの腕比べではない。
“誰が最初にその役を取るか”という、騎士科側の論理も混ざっている。
「あなた、自分が試したいだけではないのね」
セレスティアが言うと、ディルクは肩を竦めた。
「半分はな」
「残り半分は」
「雑に触られる前に、俺が見ておきたい」
レオン・ハルヴェインなら、もっと整った言葉を使うだろう。
だがディルクは、やはりディルクなりの不器用さで来る。
それでも、悪くない本音だった。
「お嬢様」
ルークが低く言う。
「評価に値するかと」
「ええ」
セレスティアは短く答え、それからディルクを見る。
「条件があるわ」
「言ってみろ」
「教師立ち会い。公開で構わない」
「問題ない」
「武器は木剣。魔術なし」
「当然だ」
「あと一つ」
ディルクが少しだけ目を細める。
「何だ」
「あなたが負けても、感情で後を濁さないこと」
短い沈黙。
その条件だけは、少し質が違った。
ディルクは数秒、セレスティアを見つめていたが、やがて笑った。
「……やはり嫌なところを見るな、お前」
「そう?」
「今ので分かった。お前は俺の剣だけじゃなく、その後まで見てる」
「当然でしょう」
セレスティアは平然と言う。
「模擬戦は、終わった後の顔まで含めて質が出るもの」
ディルクはそこで、初めて明確に楽しそうな顔をした。
昨日までの苛立ち混じりではない。
本当に面白いと思った時の顔だ。
「いいだろう」
彼は答える。
「負けても濁さない。勝っても余計に煽らない」
「そこまでは求めていないわ」
「言っておく方が早い」
その返しに、セレスティアはほんの少しだけ口元を上げた。
「そうね」
そこへ、訓練場の中から声がした。
「何をしている」
訓練担当教師、ガレス・ドレイクだった。
彼は入口まで出てきて、ディルクとセレスティアを一目見ただけで、だいたい察したらしい顔をした。
「またお前か、ディルク」
「今度は正式です」
ディルクが答える。
「教師立ち会いのもと、模擬戦を申し込みます」
ガレスの目がセレスティアへ向く。
「グランフェル」
「条件付きで受けます」
「……なるほどな」
ガレスは少しだけ空を仰ぐような息を吐いた。
「お前たちは、面倒を面倒のまま終わらせる気がないらしい」
「綺麗な言い方ですね」
ディルクが言うと、ガレスは冷たく返した。
「褒めていない」
そして数秒の後、教師は言った。
「なら、放課後補助訓練の枠を使う。観覧は制限付き。余計な野次馬は入れない」
それは最善に近い処理だった。
公開ではある。
だが完全な見世物にはしない。
少なくとも教師としては、そういう線引きをするつもりなのだろう。
「問題ないわ」
セレスティアが答える。
「俺も異論はない」
ディルクも頷いた。
ガレスは二人を一瞥し、それから言った。
「なら、準備しておけ。お前たちが何を見せるつもりかは知らんが、少なくとも訓練の体裁だけは崩すな」
「承知しました」
ディルクが珍しく素直に返す。
セレスティアも必要十分に頷いた。
話は決まった。
それだけで、訓練場前の空気がまた変わったのが分かった。
小さなどよめき。
抑えた熱。
見たかったものが、いよいよ正式な形になった時のざわつき。
「お嬢様」
ルークが低く言う。
「お決めになりましたね」
「ええ」
「ご気分は」
「悪くないわ」
セレスティアはディルクを見る。
相手もまた、まっすぐこちらを見ていた。
昨日までと違うのは明白だ。
苛立ちは削られた。
挑発だけでは来ていない。
少なくとも今は、真正面から剣を差し出している。
それなら、受ける価値がある。
「では後で」
ディルクが言う。
「ええ」
セレスティアは短く返す。
「整えて来なさい」
その一言に、ディルクの口元が上がる。
「お前もな」
彼は訓練場の中へ戻っていった。
残された空気の中で、セレスティアはようやく小さく息をついた。
ルークが問う。
「いかがご覧になりますか」
「悪くないわね」
「ディルク先輩を」
「ええ」
セレスティアは静かに答える。
「ようやく、“見せるため”ではなく“測るため”の剣を持ってきたもの」
ルークは一礼する。
「承知いたしました」
最凶公爵令嬢は、正式に差し出された剣を測る。
受けるのは義理ではない。
価値があると判断したからだ。
そしてその日の放課後。
騎士科補助訓練の枠を使った正式な模擬戦で、
セレスティア・ヴァン・グランフェルとディルクは、
初めて真正面から向き合うことになる。
見学席ではなく、
噂の中でもなく、
剣を交える者として。




