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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 玉響すばる


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19/41

第19話 最凶公爵令嬢は、正式に差し出された剣を測る

 翌日の午後、王立アルディオン学園の訓練場前には、いつもよりわずかに濃い熱があった。


 明確な事件が起きているわけではない。誰かが騒いでいるわけでもない。だが、人の足が少しだけ遅い。視線が同じ方向へ向く。普段なら素通りする者まで、何となく訓練場前の空気を気にしている。


 期待だ。


 面白いものが起きるかもしれないという、あまり上品ではない期待。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルは、その熱を一瞥しただけで理解した。


「下品ね」


 小さく呟くと、隣のルークが低く返す。


「すでに何か回っております」


「でしょうね」


「噂の速度からすると、内部で話が付いている可能性も」


「ええ」


 つまり、今日ディルクが動くことを、どこかが知っていた。


 騎士科の内部か。

 見学席を好む野次馬どもか。

 あるいは、その両方か。


 セレスティアは訓練場前の石畳をまっすぐ進む。逃げる気はない。隠れる理由もない。こちらが躊躇する素振りを見せれば、それだけで勝手に意味を付けられる。


 そして、その必要もなかった。


 訓練場の入口手前に、すでにディルクが立っていたからだ。


 昨日までと違うのは、一目で分かった。


 表情の熱が抑えられている。

 立ち方も、笑い方も、意図的に整えられていた。

 荒さが消えたわけではない。だが、それを前に出しすぎない程度には削ってきている。


 面白い、とセレスティアは思った。


 本当に整えてきたのだ。


「グランフェル嬢」


 ディルクが名を呼ぶ。


「何かしら」


「少し時間をもらえるか」


「ここで?」


「いや」


 ディルクは周囲の空気を一度だけ見た。


「できれば、教師の立ち会う場所で」


 その言い方に、ルークの視線がほんの少しだけ変わる。


 警戒が一段下がり、代わりに評価が混じる。


「教師立ち会い」


 セレスティアが繰り返す。


「ええ」


「ようやく学んだのね」


 ディルクが少しだけ口元を上げた。


「言っただろう。整えて来ると」


「そこまでは言っていないわ」


「言外にはあった」


 その返しは悪くない。


 そしてディルクは続ける。


「正式に申し込む。訓練の一環として、教師立ち会いのもと、模擬戦を願いたい」


 周囲の空気が変わった。


 ただの挑発ではない。

 正式な申し込み。

 しかも教師立ち会いという条件付き。


 セレスティアはディルクを見た。


 昨日までのような苛立ちは薄い。完全に消えてはいない。だが少なくとも、それを自覚して外へ出しすぎない程度には制御している。


「理由は?」


 セレスティアが問う。


 ディルクは一拍置いた。


「お前の目が正しいか、見たい」


「私の目?」


「俺の剣を見て、雑だと言っただろう」


「ええ」


「なら、今度は整えた状態を見せてやる」


 正面から来た。


 好ましいと言えば好ましい。

 傲慢だが、筋は通っている。


「それだけ?」


「それだけで十分じゃないか」


「足りないわね」


 セレスティアは即座に切る。


「私が受ける理由としては」


 ディルクの目が細くなる。


「では聞こう。何が足りない」


 その問いに、セレスティアは少しだけ顎を引いた。


「あなたが整えて来たことは分かる。でも、それはあなたの都合でしょう?」


「……」


「私は、あなたの剣をもう一度見る価値は感じているわ。でも、模擬戦を受けるとなれば、私にとっての意味も必要よ」


 ディルクは黙って聞いていた。


 周囲に人がいる。

 しかし誰も口を挟めない。

 空気だけが張っていく。


「意味、か」


「ええ」


「例えば?」


「今のままだと、あなたが納得したいから来たようにしか見えないもの」


 その言葉で、ディルクの表情にわずかな熱が戻る。


 図星だ。


 だが、昨日と違ってそれで崩れない。


「否定はしない」


「でしょうね」


「だが、それだけじゃない」


「続けて」


 ディルクは一度、訓練場の入口の方へ視線をやった。


「騎士科の人間間で、お前の評価が妙なことになっている」


「妙なこと?」


「強い、静かだ、頭が切れる、王子に引かない、上級生にも動じない」


「事実でしょう」


 セレスティアはあっさり言う。


 ディルクが笑う。


「そうだな。だが、その上で“剣を交えれば分かる”と言い出す奴が増えている」


「それで?」


「俺が先にやる」


 その一言で、空気がまた少し変わった。


 ルークの視線がディルクへ向く。

 これはただの腕比べではない。

 “誰が最初にその役を取るか”という、騎士科側の論理も混ざっている。


「あなた、自分が試したいだけではないのね」


 セレスティアが言うと、ディルクは肩を竦めた。


「半分はな」


「残り半分は」


「雑に触られる前に、俺が見ておきたい」


 レオン・ハルヴェインなら、もっと整った言葉を使うだろう。

 だがディルクは、やはりディルクなりの不器用さで来る。


 それでも、悪くない本音だった。


「お嬢様」


 ルークが低く言う。


「評価に値するかと」


「ええ」


 セレスティアは短く答え、それからディルクを見る。


「条件があるわ」


「言ってみろ」


「教師立ち会い。公開で構わない」


「問題ない」


「武器は木剣。魔術なし」


「当然だ」


「あと一つ」


 ディルクが少しだけ目を細める。


「何だ」


「あなたが負けても、感情で後を濁さないこと」


 短い沈黙。


 その条件だけは、少し質が違った。


 ディルクは数秒、セレスティアを見つめていたが、やがて笑った。


「……やはり嫌なところを見るな、お前」


「そう?」


「今ので分かった。お前は俺の剣だけじゃなく、その後まで見てる」


「当然でしょう」


 セレスティアは平然と言う。


「模擬戦は、終わった後の顔まで含めて質が出るもの」


 ディルクはそこで、初めて明確に楽しそうな顔をした。


 昨日までの苛立ち混じりではない。

 本当に面白いと思った時の顔だ。


「いいだろう」


 彼は答える。


「負けても濁さない。勝っても余計に煽らない」


「そこまでは求めていないわ」


「言っておく方が早い」


 その返しに、セレスティアはほんの少しだけ口元を上げた。


「そうね」


 そこへ、訓練場の中から声がした。


「何をしている」


 訓練担当教師、ガレス・ドレイクだった。


 彼は入口まで出てきて、ディルクとセレスティアを一目見ただけで、だいたい察したらしい顔をした。


「またお前か、ディルク」


「今度は正式です」


 ディルクが答える。


「教師立ち会いのもと、模擬戦を申し込みます」


 ガレスの目がセレスティアへ向く。


「グランフェル」


「条件付きで受けます」


「……なるほどな」


 ガレスは少しだけ空を仰ぐような息を吐いた。


「お前たちは、面倒を面倒のまま終わらせる気がないらしい」


「綺麗な言い方ですね」


 ディルクが言うと、ガレスは冷たく返した。


「褒めていない」


 そして数秒の後、教師は言った。


「なら、放課後補助訓練の枠を使う。観覧は制限付き。余計な野次馬は入れない」


 それは最善に近い処理だった。


 公開ではある。

 だが完全な見世物にはしない。

 少なくとも教師としては、そういう線引きをするつもりなのだろう。


「問題ないわ」


 セレスティアが答える。


「俺も異論はない」


 ディルクも頷いた。


 ガレスは二人を一瞥し、それから言った。


「なら、準備しておけ。お前たちが何を見せるつもりかは知らんが、少なくとも訓練の体裁だけは崩すな」


「承知しました」


 ディルクが珍しく素直に返す。


 セレスティアも必要十分に頷いた。


 話は決まった。


 それだけで、訓練場前の空気がまた変わったのが分かった。


 小さなどよめき。

 抑えた熱。

 見たかったものが、いよいよ正式な形になった時のざわつき。


「お嬢様」


 ルークが低く言う。


「お決めになりましたね」


「ええ」


「ご気分は」


「悪くないわ」


 セレスティアはディルクを見る。


 相手もまた、まっすぐこちらを見ていた。


 昨日までと違うのは明白だ。


 苛立ちは削られた。

 挑発だけでは来ていない。

 少なくとも今は、真正面から剣を差し出している。


 それなら、受ける価値がある。


「では後で」


 ディルクが言う。


「ええ」


 セレスティアは短く返す。


「整えて来なさい」


 その一言に、ディルクの口元が上がる。


「お前もな」


 彼は訓練場の中へ戻っていった。


 残された空気の中で、セレスティアはようやく小さく息をついた。


 ルークが問う。


「いかがご覧になりますか」


「悪くないわね」


「ディルク先輩を」


「ええ」


 セレスティアは静かに答える。


「ようやく、“見せるため”ではなく“測るため”の剣を持ってきたもの」


 ルークは一礼する。


「承知いたしました」


 最凶公爵令嬢は、正式に差し出された剣を測る。

 受けるのは義理ではない。

 価値があると判断したからだ。


 そしてその日の放課後。

 騎士科補助訓練の枠を使った正式な模擬戦で、

 セレスティア・ヴァン・グランフェルとディルクは、

 初めて真正面から向き合うことになる。


 見学席ではなく、

 噂の中でもなく、

 剣を交える者として。

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